ヒロインと私 3
私はすぐに自分のステータス画面を起動する。
「なに、これ……」
するとそこには以前の「村娘」というふざけた二文字はなく、代わりに「聖女」と表示されていた。
その黒く崩れかけたぐちゃぐちゃな文字に、ぞくりと鳥肌が立つ。こんなの、絶対におかしい。向かいに立つエリカも、ひどく不安げな表情を浮かべていた。
「わ、私があまりにポンコツだから、聖女じゃなくなってしまったんでしょうか……」
「そんなことない! 多分、私のせいだ」
私という異質な存在が紛れ込んだせいで、この世界には今、聖女が二人がいるような状態なのだ。
そしてふと、ひとつの仮説が思い浮かぶ。
──もしもゲームシステムが私とエリカ、どちらがヒロインなのかと混乱し始めているとしたら。
今回、イベントの場に中途半端に呼ばれたことにも納得がいく。ステータス画面が聖女になっていたのだって、エリカよりも聖女としての力が強い私を、そう認識し始めている可能性がある。
「……どうしたら、いいの」
私がどう過ごそうと、この世界に来てしまった時点でこうなることは避けられなかったのかもしれない。
そもそも私は何故、再びここへ来たのだろう。
「ニナさん、大丈夫ですか? お顔が真っ青です」
「あ、ごめんね、びっくりしちゃって」
つい考え込んでしまったけれど、今はとにかくこの場所から脱出すべきだ。そう思い、顔を上げた時だった。
「…………っ!」
ぞくりと背中に悪寒を感じた私は、反射的に振り返り、すぐさま防御魔法を展開する。それと同時に、目の前で真っ黒な炎が弾けた。
耳をつんざく様な爆音に、部屋全体が大きく揺れる。
「な、なに……?」
今、一秒でも反応が遅れていたら、間違いなく私達は死んでいた。その事実に、一瞬で緊張感が走る。
エリカもそれを悟ったのだろう。震える彼女に「大丈夫」と声をかけ、庇うように立つ。
教徒の残党かと思ったものの、幹部は皆倒したはず。今の威力を見る限り、相当な魔法使いに違いない。そんな下っ端キャラなどいただろうか。
煙が収まっていく中、軽い足音が聞こえてくる。そうして現れた人物の姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。
「あれ? きみ、見たことがある」
深い闇のような漆黒の髪と目、青白い肌。血色の悪い唇に、頬の切り裂くような大きな傷には見覚えがあった。忘れたくても、忘れられるはずがない。
その姿を視界に捉えた瞬間、私は呼吸をするのも忘れ、その場に立ちつくしていた。手足が震え出す。
そんな私を見て、男はこてんと首を傾げ、笑う。
「ねえ、なんで生きてるの? 確かに殺したのに」
──今目の前にいるのは間違いなく、2年前、私を殺した男だった。
逃げなければと思うのに、身体が動かない。喉からはひゅっと空気が漏れるような音がするだけ。
「ニナさん……?」
戸惑うようなエリカの声で、はっとする。けれど、しっかりしなければと強く思っても力が入らない。
「ああ、そうだ。ニナ、ニナだ。思い出した」
「…………」
「もう一回殺せるなんて、運がいい。今日はそっちを殺しに来たんだけど、二人纏めて殺せるなんて嬉しいな」
歌うように、楽しそうに男は笑う。どうやら今回はエリカを狙い、ここへ来たらしい。
前回は不意打ちで攻撃をされて攫われ、拘束されたまま殺されたのだ。何故自分がこんな目に遭わされているのか、尋ねる暇もないまま。
震える唇を、なんとか開く。
「どうして、私達を殺そうと、するの」
「僕がそういう風にできているからだよ」
答えになっていない答えを、当然だとでも言いたげに返してくる。まるで、そのために存在するかのように。
震える手をきつく握りしめた後、男へと向ける。すると男はにやりと笑い、先程とは反対に首を傾けた。
「ねえ、ニナ。僕にたくさん刺されて痛かった? 何度も焼かれて辛かった?」
「──っう、」
その言葉を聞いた途端、猛烈な吐き気が込み上げてきて、私は口元を片手で覆った。一瞬にして、惨たらしく殺された記憶が鮮明に蘇ってくる。
悪い夢だったと、忘れることができたと思っていたのに。もう、思い出すこともなくなっていたのに。あの時の恐怖はしっかりと、身体に染み付いていたらしい。
いつの間にか目の前までやって来ていた男は、私の首を片手でぐっと掴み、軽々と持ち上げた。その細い身体からは想像もつかない力できつく喉を締められ、苦しさで視界がぼやけていく。
抵抗したいのに、力が入らない。全身の血が逆流するような恐怖から、私は指先ひとつ動かせずにいた。
「っニナさ──っきゃ!」
私を助けようと駆け寄って来たエリカを、男は風魔法のようなもので吹き飛ばすと、彼女は頭を打ったのか、そのまま意識を失ってしまったようだった。
「や、めて……!」
「大丈夫。殺してないよ。楽しみはとっておかないと」
「…………っ」
「今度はどう死にたい? あ、潰してみようか?」
この声を聞くと、もう駄目だった。怖くて、怖くて悲しくて怖くて悲しくて、辛くて、何もできなくなる。
魔法をどんなに使いこなせるようになっても、こんな時に何もできなければ無意味だと思い知らされる。
そんな状況で、ふと思い浮かんだのは彼のことで。私が再び死んだら、元の世界に戻ったら、きっとアルヴィン様は悲しんでしまう。
また、あんな悲しげな顔はして欲しくない。ぼんやりとしていく意識の中、そう思った時だった。
「──あれえ?」
間の抜けた声と共に、男の腕が胴体から離れていく。
同時に宙に投げ出された私の身体は、ふわりと優しい温かな風に包まれ、そっと地面に下ろされた。
一体、何が起きたのだろう。両足が床についた後も力が入らず、崩れ落ちるように倒れ込んでしまう。
「っニナ!」
そんな私のぼやける視界の端に見えたのは、こちらへと駆けてくるアルヴィン様の姿だった。




