愚か者の恋
アルヴィン様の表情は真剣そのもので、曖昧な答えでは、きっと納得してくれないだろうと悟る。
「……私、は」
私は一体どうしたいんだろう。正直、自分でもよく分からない。けれどひとつだけ確かなのは、アルヴィン様が側からいなくなるのは嫌だということだった。
『おはよう、ニナ。今日もかわいいね』
『ニナが笑ってくれるのが、一番嬉しくて幸せなんだ』
『今日は天気がいいから、散歩に行こう? 東庭園にはニナの好きな花がたくさん咲いているから』
『おやすみ。いい夢を見てね、また明日』
私は自分が思っていた以上に、アルヴィン様と過ごす時間を楽しく、大切に思っていたのかもしれない。
時折物騒なことを言うけれど、アルヴィン様は誰よりも私に優しくて、何があっても私の味方でいてくれる。そんなアルヴィン様に、私は甘えていたのだろう。
「アルヴィン様がいなくなるのは、嫌です」
「本当に? 今後のここでの暮らしも保証するし、俺以外の人間には自由に会えるんだよ」
「それでも、アルヴィン様に会えなくなるのは嫌です」
それは私自身の、正直な気持ちだった。恋愛感情を抱いているわけではないけれど、この短期間で私の中でアルヴィン様の存在が大きくなっていたことに気づく。
やがてこちらへと近づいてきたアルヴィン様の手が、私の頬に触れた。ひやりとした冷たい手のひらの感触に、小さく肩が跳ねる。
「ニナが俺を選んでくれたのなら、もう遠慮は一切しないよ。本当にそれでいいの?」
「その、遠慮っていうのはどういう」
「俺が嫌なことはしないでもらうかな」
魔物討伐に行かないだとか、異性とあまり近づかないとかだろうか。それくらいなら、問題はない気がする。
どこかに行きたいのならアルヴィン様も一緒に行けば良いのだし、異性と触れ合いたいわけでもない。
静かに頷けば、彼はようやく微笑んでくれた。
「それでも俺の側にいたいって思ってくれるんだ」
「はい」
「嬉しい。本当に嬉しい。ありがとう、ニナ」
ぎゅっと抱き寄せられ、アルヴィン様は何度も「嬉しい」と私の耳元で繰り返し呟く。
「俺も、ニナが必要だよ」
そんなにも喜ぶことなのだろうかと思いながらも、嬉しそうなアルヴィン様を見ていると不思議と安堵した。
◇◇◇
「オーウェン、戻ってきていたのか。後は俺がやっておくからお前はもう休んでくれ」
執務室へ入ってきたアルヴィンは僕を見るなりそう言うと、書類の山積みになった机の前に腰掛けた。
「ニナは?」
「部屋で眠ってる。テオとディルクは?」
「テオはディルクが部屋まで抱えて行ったよ」
「そうか」
それだけ言うと、アルヴィンはペンを手に取る。その表情はとても穏やかなもので、先程テオからの知らせを聞いた時とはまるで別人だった。
あの時は城ひとつ吹き飛ばしてしまうのではないかと、本気で心配になったくらいだ。
「やけに機嫌がいいけど、何かいいことでもあった?」
「ああ。こんなに上手くいくとは思わなかった」
「ニナに何をしたのかな」
「質問をしただけだ」
アルヴィンは書類にペンを走らせながら、ニナに対して自分が必要かどうか二択を迫ったと話した。
「こんなにも早く選択を迫るつもりじゃなかった。俺も思っていた以上に、余裕がなくなっていたんだろう。ニナがディルクを大切に思っていることも知っていたし」
「…………」
「正直、賭けだった。俺はまだニナにとってただの友人の一人でしかないと思っていたから」
アルヴィンは形の良い唇で、美しい弧を描く。
誰よりも綺麗で爽やかな笑顔を浮かべながら、腹の中ではそんなことを考えているのだ。人というのは本当に分からない、恐ろしいと改めて思う。
「それでもニナは俺を引き止めてくれた。その瞬間、喜びでどうにかなりそうだったよ」
今まではアルヴィンが側にいて欲しいと縋る立場だったものの、今度はニナが側にいることを自ら望んだ立場になったのだ。その差は大きいだろう。
今後アルヴィンがニナに嫌だと言ったことは、我慢すべきだと思い込むに違いない。
「ディルクも可哀想に。失恋確定かな」
「ニナに想いも告げず、ニナが消えても何もしなかった人間を、俺は哀れだとは思わない」
そう断言したアルヴィンからは、苛立ちのようなものが感じられた。そしてふと「ニナが消えても何もしなかった」という言葉に違和感を覚えてしまう。
「……ニナを再び呼んだのは、まさか君なの?」
「ああ」
あっさりと答えたアルヴィンに対し、驚きを隠せない。だってそんなこと、できるはずがないのだ。
「どうやって? 聖女召喚の儀に必要な神聖力だって、あと数年は溜まらないはず」
「俺の魔力を代用した」
「人間の力でどうにかなるものじゃないだろう」
聖女召喚に必要な神聖力というのは、国の中心にある水晶に自然と溜まっていく。そしてそれが満ちた時、聖女召喚の儀が行われるのだ。
エリカの召喚が行われたばかりの今、次の召喚は五年先とも言われていた。
「だが、ニナはここにいる。それが答えだよ」
「…………」
そして、再び違和感を感じてしまう。
アルヴィンは元々国一番の魔法使いではあったものの、最近の魔力量や能力は明らかに跳ね上がっていた。魔力量というのは、自然とゆるやかに増えるものだ。
急激にそれを得る方法など、ひとつしかない。
「──まさかアルヴィン、君は」
「それ以上は言わないでほしいな」
「…………っ」
予想が確信に変わり、僕は片手で目元を覆った。そんなこと、絶対にあってはならないというのに。
アルヴィンの立場なら、尚更だろう。
「バレた場合、君だって無事ではいられないよ」
「もちろん分かっている。オーウェンが黙ってくれさえいればいい。ああ、エリカもかな」
「……エリカには見えていたんだね」
「ああ」
禁術魔法の色は、漆黒だと聞いている。だからこそ魔法塔で禁術を使った人間を見た際、エリカの様子がおかしくなった理由にも納得がいった。
その時に初めて彼女は黒い魔力の意味を、アルヴィンが禁術を使ったことを知ってしまったのだろう。
そして口止めをするために、アルヴィンは常に最優先だったニナを置いて、エリカとその場を去ったのだ。
「身体に問題は?」
「今のところはない」
「でも、この先もそうとは限らないよ」
「だろうな」
僕が言わなくとも、アルヴィンは全てを分かっているのだろう。禁術魔法を使うリスクも、何もかもを。
「たとえ力を使いこなせたとしても、早くに死ぬ可能性が高いと言うじゃないか」
「ニナに会えないまま長生きするよりはマシだ」
「……本当に、どうかしてるよ」
「俺はニナにもう一度会うためなら、どんなことでもすると決めたんだ。後悔はしていないよ」
僕はアルヴィンのニナへの想いの深さを、見誤っていたのかもしれない。まさか大罪である禁術に手を出すなんて、思ってもみなかった。
「俺が死んだとしても、ニナが幸せに暮らしていける環境を作っておきたいんだ。協力してくれないか」
そして今後のニナの幸せの中に、アルヴィンの存在は必要ないかのような口振りに胸が痛んだ。
「ねえ、アルヴィン。それよりも、長生きする方法を探してくれとか頼んでくれないかな」
「ニナを最優先にしてほしい」
「……本当に馬鹿だね、君は。大馬鹿だ」
「俺にそんなことを言うのはお前だけだよ。それに簡単に死ぬつもりはない。誰にもニナを渡したくないんだ」
困ったように笑うアルヴィンは、本当にどうしようもない人間だと思う。
全てを持っていたはずの彼が、ひとりの異世界の少女のために全てを捨てるなんて、愚かでしかないだろう。
それでも、不器用で自分勝手なアルヴィンも幸せになって欲しいと思う僕もまた、愚かなのかもしれない。




