これはもしかしなくても修羅場 1
「──ナ、ニナ、いい加減に起きなさいよ」
ふわふわとする意識の中、そんな声が聞こえてくる。
もう2時間経ったのだろうか。もう少しだけ眠りたいと思いながら、温かいシェリルを抱きしめた。
「まだ、ねむい」
「…………っ」
「お前、ディルクを殺す気なの?」
──あれ、この声、聞き覚えがある。それに、ディルクを殺すだなんて、どういう意味だろう。
そうしてゆっくりと重たい瞼を開ければ、すぐ目の前には何故か、整いすぎたディルクの顔があった。
「えっ? え、えええ!?」
驚きで一瞬にして意識がはっきりした私は飛び起き、ディルクから慌てて離れる。そのままソファから落ちた私を、シェリルが背中で受け止めてくれた。なんて出来た子なのだろう。
あらためて身体を起こし、両目を擦る。間違いなく目の前には、ラーラとディルクがいた。
よく分からないけれど、どうやら私はシェリルではなく、ディルクの腕にしがみついて眠っていたらしい。本当に訳がわからない。
「ど、どうして、二人が、ここに……?」
向かいのソファに座っていたラーラは、長く細い脚を優雅に組み直し、じっと私を見つめた。
「ディルクが靴を渡しに行きたいって言うから、優しい私はアルヴィンにバレないように一緒に来て、結界を解いて、家の周りにいる騎士達を寝かせてやったわけ」
「は、はい」
「さっさと戻りたいのに、お前が寝ていたせいで呼び鈴を鳴らしても反応はないじゃない? この辺に置いておいて見つかったらそれこそ面倒だし、中に置いてこいって無理やりディルクを家の中に押し込んだのよ」
「なるほど……」
「で、今度はなかなか出てこないから、腹が立って私も中へ入ったの。そうしたら立ち尽くしているディルクの前にニナがいるんだから、流石に驚いたわよ」
その後、本物だろうかと思わず手を伸ばしたディルクの腕を、寝返りを打った私が巻き込み、そのまま抱きつくような体勢になってしまったとのことだった。
まさか二人が今日訪ねて来るなんて思っておらず、完全に油断していた。とは言え、眠っている間は変身魔法は解けてしまうのだ。こうして建物の中に勝手に入って来られてはもう、避けようがない。
勝手に誰かが入ってこないよう設置していた防犯用の魔道具も、彼女はあっさり無効化したらしい。普段は昼寝なんてしないのに、間が悪すぎた。相手も悪すぎた。
「ええと、ディルク、ごめんね。腕は痛くない?」
「…………ぃゃ」
「声ちっさ」
ラーラは何故か顔の赤いディルクを鼻で笑うと、こちらへやってきて、私の顎をくいと持ち上げる。
彼女からはふわりと驚くほど良い香りがして、溢れ出る色気と圧倒的な美貌に目眩すら覚えた。同性だというのに、ドキドキしてしまう。
「いよいよ頭がいかれたアルヴィンが、こないだの女の顔をニナにしたのかと思ったけど、本物じゃない」
「うん、本物だよ。久しぶり、ラーラ、ディルク」
今日もとても恐ろしいことを言ってのけたラーラは、やがて私をぎゅっと抱きしめた。
「んもう、いつ戻ってきたの? 可愛いニナちゃん」
「ここにきたのは少しま……く、苦しい」
「私達、親友だと思っていたのに水臭いじゃない!」
羨ましいくらいに大きな胸元に押しつけられ、息ができなくなる。ラーラは「あら、ごめんなさいね」なんて言うと、ぱっと腕を離す。
解放された私は、改めて二人に向き直った。
「本当に久しぶり。すぐに会いに行けなくてごめん」
「……本当に、ニナ、なんだな」
「うん。ディルクは本当に変わってないね」
そうして笑顔を向けると、ディルクは蜂蜜色の瞳を細め、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。
次の瞬間、腕をきつく掴まれ、抱き寄せられていた。
「ニナが無事で、本当に良かった。会いたかった」
「ありがとう。私もディルクに会えて嬉しい」
「この2年、お前のことばかり考えていた」
「ディルク……」
ディルクが私のことを心配してくれていたのが、全身から伝わってくる。私も彼の大きな背中に腕を回し、再会を喜んだ。
「いい感じのところ悪いけど、話を続けても?」
「あ、ごめんね」
「…………」
その後、ディルクからぱっと離れた私は二人から質問攻めに遭い、私は簡単に今までのことを説明した。
そうして全てを話し終えた後、椅子に深く背を預け、腕を組んでいたラーラはチッと舌打ちをする。
「アルヴィンの奴、抜け駆けするなんて相変わらずね。あいつのこういう所が嫌いなのよ」
「……つまり、キャサリンはニナだったのか」
「うん、隠していてごめんね。でも、ディルクはさすがだね。顔が違っても、私だって気付いちゃうんだもん」
すると、ラーラは「当然でしょう」と鼻で笑う。
「ニナのことを考えながら、1日中その小汚い靴をぼんやりと眺め続けるような男よ」
「私の靴を眺めてた……?」
「頼むからやめてくれ」
二人とも納得してくれたようで安心したものの、結局は全員に存在がバレてしまったことになる。どうしようと思っていると、ラーラは真っ赤な唇で弧を描いた。
「私はアルヴィンなんて気にしないで、これからもニナに会いに来るわよ。私の友達はニナだけだもの」
「ラーラ、エリカはすごく良い子だよ」
「ふん、魔法が使えるようになったら考えるわ」
私も聖魔法を上手く扱えなかった時期は、ラーラに無視をされていた記憶がある。彼女が育った地域は魔法至上主義が根付いており、魔法が使えない人間には価値がない、という考えが強いのだ。
そんなことを思い出していると、ディルクが穴が空きそうなくらい私を見つめていることに気がついた。
「どうかした?」
「ずっとアルヴィンと二人で過ごしているのか」
「ううん。お仕事も忙しいみたいだし、一緒に食事をしたり、数時間話をしたりするだけかな?」
「その、どうなんだ、関係は」
「どう? 普通だよ。良くしてもらってる」
そう答えたところ、私達の会話を聞いていたらしいラーラは大きな溜め息を吐く。
「相変わらずねえ。デキてるのかって聞いてるのよ」
「でき……そ、そんな関係じゃないよ! 本当にその、お話をしたりするくらいで」
「あら? その様子を見る限り、告白はされたのね」
「……アルヴィン様のこと、知ってたの?」
「あんなにも好きだって顔してアピールしていて気づかないのは、鈍感すぎるニナくらいよ」
ラーラ曰く、アルヴィン様が私のことを好いているというのは皆が知っていたらしい。私だけさっぱり気付いていなかったなんて、なんだか恥ずかしい。
ラーラはくすりと笑いソファから立ち上がると、ディルクの肩をぽんと叩いた。
「ま、ディルクも後悔のないようにしなさいよ」
「……分かってる」
「私はとりあえずあの子を探してくるから、お前達は仲良く話でもしてなさい」
ラーラの占いの結果、まだ例の使い魔は森の中にいるらしい。数年をかけて作り上げた使い魔のようで、絶対に逃がすわけにはいかないという。
彼女はそのまま出て行ってしまい、広間には私とディルクだけが残される。なんとも言えない沈黙が流れ、何から話せば良いのか分からなくなってしまう。
2年前はあんなにも気安い仲だったというのに、なんだか落ち着かない。ディルクの態度も、少し以前と違う気がする。
「な、なんか久しぶりで照れちゃうね」
「…………」
「あ、お茶でも淹れ──わ、っ」
お茶くらい出そうと立ち上がったところ、引き止めるように腕を引かれ、後ろから抱きしめられた。
ディルクのがっしりとした身体に包まれ、昔と変わらない優しい爽やかな良い香りが鼻をくすぐる。
「ディルク?」
「……本当に、会いたかった。ニナ」
きつく腕を回され、切実な声に胸が締め付けられた。
ディルクがアルヴィン様と殴り合いになるくらい、私の話をしてくれていたことも聞いている。
「ありがとう。……あれ、い、いたた、髪の毛が」
「す、すまない」
私の髪がディルクの服のボタンに絡まってしまったようで、ぴんと引っぱられ、痛みが走る。すると慌てたらしいディルクが私の足を踏み、更なる痛みで私はバランスを崩す。
「きゃ……!?」
そしてそのまま、床に二人で倒れ込んでしまった。床がふかふかのカーペットだったお陰で痛みはあまりなかったものの、ディルクに押し倒されるような体勢になってしまっている。
「…………っ」
顔と顔が、あまりにも近い。そして何故か、ディルクはなかなか立ち上がろうとはしない。
過去に感じたことのない雰囲気に戸惑い、何か言わないと、と思った瞬間だった。蹴破られたのではないかという勢いで、玄関のドアが開いた音がした。
動けずにいる私達の元へ足音が近づいてきて、やがてすぐ側で止まる。これは間違いなく、とても良くない状況だろう。
「──何をしてる?」
恐る恐る声のする方へと視線を向ければ、そこには予想通り、アルヴィン様の姿があった。




