違和感のはじまり 2
「……ひっ……!」
落ちてきたのが人間であることに気づいたらしく、私の後をついてきたエリカの口からは、声にならない悲鳴が漏れる。
魔法塔の職員の証であるローブを身にまとった男性の手足はおかしな方向を向いており、血溜まりがじわじわと広がっていく。
私は過去に何度も魔物の討伐に出ているため、かなり酷い怪我だって見たことはある。それでも息を呑み、しばらく動けなくなってしまったくらい酷い様子だった。
小さく振り絞るような呻き声が聞こえてきて、まだ息があることに気付いた私は、すぐさま駆け寄り回復魔法をかける。
過去、命がある限り治せない怪我はなかった、のに。
「なんで……?」
いつも通りどころか全力で治療しているというのに、治癒スピードが恐ろしく遅い。なかなか血は止まらず、焦りが募る。まるで何かが邪魔をしているかのように、魔法が効かないのだ。
嫌な感覚が全身をべっとりと包んでいくのを感じながら、無理やり魔力量で押し切っていく。
「……っ良かっ、た」
しばらくして時間はかかってしまったものの、目に見える怪我は治せたようだった。男性の意識はなくなっているけれど、きちんと呼吸はしていてほっとする。
「一体何があったんだ?」
「急にあいつの様子がおかしくなったらしい」
「光魔法使いが治療を……?」
集中しすぎていたせいで、辺りに人だかりができていることに気づいていなかった。私は慌ててフードをぎゅっと掴み、立ち上がる。
あとは他の人達に任せて、エリカとともにこの場を離れよう、そう決めた時だった。
「何事だ」
静かに階段を上がってきたのはアルヴィン様とオーウェンで、きっと騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。
二人は私の姿を見て少しだけ驚いた表情を浮かべた後、その場にいた人々にここから離れるよう命じた。
その場には私とエリカ、アルヴィン様、オーウェンと護衛騎士だけが残る。
「何があった? ニナは怪我をしていない?」
「はい、私は大丈夫です。突然叫び声が聞こえてきて駆けつけたら、男性が踊り場に落ちてきたんです。急いで回復魔法をかけたんですが、何故か思うように魔法がきかなくて……」
「ニナの魔法が?」
私の話を聞きながら男性の様子を見ていたオーウェンは、やがて深い溜め息を吐いた。
「なるほど、禁術魔法に手を出したんだろうね」
「……禁術魔法?」
「うん。ニナの魔法が効きにくかったのもそれが理由だと思うな。むしろ他の魔法を跳ね除ける禁術の使用者を、治療できたことに驚いたよ。さすがだ」
禁術というのは名前の通り、禁じられた魔法のことだ。以前少し学んだだけで詳しくはないけれど、強い力を得られる代わりにかなりの危険が伴うと聞いている。
きっと、大きすぎる力を扱いきれなかったのだろう。
「この後はどうなるんですか……?」
「ひとまずは神殿の治療院へ連れて行くけど、目が覚めるかは分からない。目が覚めたところで禁術を使ったんだ、裁判にかけられて罰を受けることになるだろうね」
オーウェンはそう言うと、肩を竦めた。そこに同情や心配はなく、本気で呆れているような様子だった。
「この子、優秀だったんだけどなあ。こうなることくらい、分かっていたはずなのに」
「それなら、どうしてこんなことを……」
「それほどに叶えたい願いがあったんだろうね」
そんな言葉に、胸が痛んだ。命を懸けるほどの願いというのは、一体どんなものなのだろう。私には想像もつかない。
「魔法塔で嫌なものを見せてごめんね。ニナとエリカは部屋に戻って休んだ方がいいよ。僕は彼を送ってくる」
そう言えばオーウェンは、私の姿を見てもさほど驚いていなかった。アルヴィン様から聞いていたのだろう。
とにかく少し疲れたため、部屋へ戻って休もうと顔を上げ、エリカに声をかけようと振り返る。
「……エリカ? 大丈夫?」
すると振り返った先にいたエリカの顔は、驚くほどに真っ青だった。その視線は男性ではなく、アルヴィン様へ向けられている。
「だって、これは、違うって……」
何かを呟くエリカに手を伸ばそうとした私よりも早く、アルヴィン様がエリカの肩に触れた。
けれどすぐに、エリカはその手をぱしんと思い切り振り払う。普段の彼女とは全く違う様子に、余計に心配になる。
その一方で、アルヴィン様はエリカに対して怒ることもなく、いつもと変わらない笑顔のまま。
「ニナ、護衛と部屋へ戻っていて。俺はエリカを送る」
「それなら私も一緒に」
「二人で話があるんだ。ごめんね」
それだけ言うと、アルヴィン様はエリカの手を掴み、一瞬で転移魔法を使い姿を消した。
その場に立ち尽くす私に、護衛が声を掛ける。
「ニナ様、お部屋までお送りいたします」
明らかにエリカも、アルヴィン様の様子もおかしかった。特にあんなエリカは初めて見た気がする。
けれど私が聞いていいことではなさそうで、ぎゅっと両手を握り締めると、騎士達とともに大人しく部屋へと向かう。
「……禁術魔法、か」
胸騒ぎと違和感は、しばらく収まることはなかった。
 




