ここに1本の旗があります
「は? 何でオーウェンがここにいるんだよ」
「それはこっちのセリフなんだけどな」
オーウェンは「お邪魔するね」と言って微笑むと、しっかりとドアを閉め、こちらへやってくる。
一気に色んなことが起きすぎて混乱しつつ、もう言い逃れはできないだろうと私は頭を抱えていた。
「ほら、とりあえず女性には優しくしないと」
「……悪い」
「ううん、大丈夫だよ」
私の肩を掴むテオの手をそっと剥がし、オーウェンはまるで子供を宥めるように彼を近くの椅子に座らせる。
その隣に座っていたエリカは、私以上に動揺している様子だった。罪悪感を感じていると顔に書いてある。
「ニ、ニナさん、ごめんなさい……」
「ううん、エリカは悪くないよ。私こそごめんね」
親しくしている人間が見た目を偽っていたら、疑問を抱くのは当然だ。むしろそんな怪しい人間に懐いてくれていたこと、今まで黙ってくれていたことに感謝しながら、きゅっと彼女の手を握った。
やがて2年ぶりのオーウェンに向き直った私は、小さく息を吐く。こうなってしまった以上、彼相手ならば無理に隠し通すよりも本当のことを言って、見逃してもらった方がいいだろう。
そう思った私は、変身魔法を解く。その瞬間、テオとオーウェンの目が驚いたように見開かれた。
「……ニナ」
「テオ、隠していてごめんね。オーウェンも久しぶり」
同時にガタンと椅子を倒して立ち上がったテオに、きつく抱きしめられる。あまりにも勢いが良すぎて、思い切り後ろへバランスを崩してしまう。
オーウェンがすぐに風魔法でカバーをしてくれたおかげで、私達はそのままふわりと床に倒れ込んだ。
「なんだよ、それ。ずっと一緒にいたとか、お前の話ばっかりしてた俺がバカみたいじゃん」
「ごめんなさい。でも、テオが私のことを大切な友達だって言ってくれたの、すごく嬉しかったよ」
「……すげームカつくけど、ニナはなんの理由もなくこんなことをする奴じゃないってことも、分かってる」
テオはいつだって、誰よりも私のことをまっすぐに信じてくれていた。私はそれが本当に嬉しくて、どれほど救われたか分からない。
まっすぐに見下ろされ、揺れる瞳と視線が絡む。テオが私へ向ける感情は、友人というより家族に向けるものに近い気がした。
「お前がいきなりいなくなって、悲しかった」
「……うん。本当にごめんね」
私の肩に顔を埋めてぐすぐすと泣き出してしまったテオの背中を撫でていると、目の前の椅子に腰を下ろしたオーウェンは困ったように微笑んだ。
「久しぶりだね、ニナ。まさか本当に君がこの世界にいるとは思わなかったよ」
「どうしてここが分かったの?」
「あのポーションの流通ルートに関わってる人間を辿っていって、魔法でお喋りになってもらったんだ。もちろん手荒な真似はしていないから、安心して」
間違いなくここへ来る直前に、彼はブルーノのところへ行ったに違いない。後日、巻き込んでしまったことに対して謝罪しなければ。
相変わらず圧倒的な美貌を持つオーウェンは、ルビーのような真っ赤な瞳を柔らかく細めた。
「それで、いつ戻ってきたの?」
「二ヶ月前に、いきなりこの村に飛ばされて……」
それから私は泣き止んだテオと共に椅子に座り、これまでのことを話した。シナリオが狂ってしまうことが怖くて、姿を隠していたということも。
みんなは元々、私達の世界では物語として存在していることを知っているため、納得してくれたようだった。
「確かに話を聞く限り、今のニナの存在は完全に異分子だね。聖女が二人同時に現れるなんて前例もない。ニナの行動も理解できるな」
「……ニナさんはずっと、私の心配をしてくださっていたんですね。私が頼りないせいで、ごめんなさい」
「ううん、おかしいのは私だもの。もう謝らないで」
ヒロインが二人存在するゲームもあるけれど、『まほアド』に関してはそんなシステムはない。何よりここは続編の世界である以上、私という存在が異常なのだ。
「でも、どうやって元の世界に戻ったんですか?」
「ある日急に、私の意思とは関係なく戻っちゃって」
私があの日殺されたことを知れば、優しい彼らは間違いなく自分を責めるに違いない。この件について話すのは、相手とタイミングを見計らうべきだろう。
「それで、ニナはこれからどうしたい?」
向かいに座るオーウェンはこちらへ手を伸ばしてきたかと思うと、するりと私の頬を撫でた。
こういうことを驚くほど自然にやってのける彼は、この2年間も大勢の女性を泣かせてきたに違いない。
「今、触る必要あった?」
「もちろん。あいつらほどじゃないけど、僕もあらためてニナのことが好きだなあと思って」
「…………」
「なんか言ってよ」
どうせ、みんなに言っているのだ。さらりと無視をして、私は質問に答えることにした。
「私は自由に暮らしたいな。普通の幸せが欲しい」
昔から望んでいるのは、ただそれだけだった。異世界に二度も来てチート能力を持ち、何が普通だという感じではあるけれど、元々の私には自由などなかったのだ。
するとオーウェンは「困ったなあ」と眉尻を下げた。
「……僕がアルヴィンに君のことを報告した時点で、それは間違いなく叶わなくなる」
「えっ?」
「自由だってなくなるだろうし、優しいニナはきっと、あの状態のアルヴィンを突き放せない」
やはり前聖女として扱われ、田舎での平凡な生活はできなくなるということなのだろうか。
聖魔法というのは万能だ。自由がなくなるほど、以前のように忙しい日々を送ることになるのかもしれない。次期国王であるアルヴィン様も、ご多忙なのだろう。
「ニナはあんなにも僕達の、この世界のために頑張ってくれたから幸せになってほしいと思うよ。僕はひとりの友人として、ニナの気持ちを尊重したいと思ってる」
「オーウェン……」
「ニナはここで静かに好きに暮らしたいんだよね? それなら、アルヴィンには上手く隠しておくよ。今はちょうど王都にいないしね」
オーウェンはそう言うと、私の頭を撫でた。彼は昔から、なんだかんだ私を甘やかしてくれている。
「……でも、アルヴィンは本当にそれでいいのか? あいつ、今すぐにだってニナに会いたいだろ」
テオは顔を上げ、静かに呟く。アルヴィン様は、そんなにも私に会いたいと思ってくれているらしい。
「それはもちろん、良くないに決まってるよ。アルヴィンのことだって心配だし。でも僕はこの世界を救ってくれた女の子の初めてのお願いくらい、聞いてあげたいと思うんだ」
オーウェンの優しさに、言葉に、胸が暖かくなる。
思い返せば当時の私は、世界を救ったことに対する報酬は何ひとつ望まなかった。特別お金も地位も欲しくはなかったし、欲しいものだってなかったのだ。
ただ、みんなとこれから先もずっと、楽しく過ごして行けたらいいなと思っていた。
「それにアルヴィンも2年が経って、ようやく落ち着いてきたみたいだし。ニナにはこのまま会わないのが、お互いのためじゃないかな」
「……それ、どういうこと?」
「ニナは知らなくていいことだよ。とにかく、アルヴィンにだけは存在を知られないようにした方がいい」
そう言ったオーウェンの表情は珍しく真剣なもので、私はよく分からないまま、こくりと頷く。
もちろんアルヴィン様に会いたい気持ちもあるけれど、オーウェンだって何の理由もなくこんなことを言う人ではない。
「でもニナって昔から運がないし、俺らが黙ってたところで普通に見つかりそうだけどな」
そんな中、テオは悪戯っぽく笑う。
「それだけはないだろってことも平気で起こるじゃん? 絶滅したと思ってた古代竜に片足食われてんの見た時には、マジで持ってんなと思ったし」
「ねえそれ結構トラウマだからやめて」
「テオさん、そういうことは言っちゃダメです! フラグって言って、本当になっちゃうんですから」
そんなエリカに対し「確かに」なんて言って笑っていた私は、見事に翌日フラグを回収することになる。




