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10個目のミンヨをもぎ取って、私はエルに視線を向けた。エルの腕の中にもちょうど10個のミンヨが抱えられている。小さな手の中いっぱいのミンヨの実は大きい。本当にひとりでこの全てを食すことが出来るのだろうか。本人が言うのだから、食べられるとは思うが、そうだとするとエルは大食いの気がある。それとも、魔族と人間族との違いかもしれない。人間の胃袋の大きさでは、計れないことも考えられる。
「えらく遅くなったもんだぜ。あーぁ。本当なら今頃、ヨウ国攻め落として魔王の力を絶対的に見せつけた後だったのになぁー」
「すみませんね。期待外れの魔王で」
「そのうち気が変わって、人間界を攻め落とすってこともありえるだろ?」
「ありませんよ、それは」
「どうだかなぁ」
諦めていないらしい。ただ、確かにヨウ軍があれから追って来なかったことは気がかりではある。攻撃的な様子に見えたヨウ国。私が無抵抗であっても、攻めるという意を示したキルイール隊長は厳しい顔をしていた。夜になるのを待ち、一気に森を駆け抜け攻めて来る可能性がゼロとも言い切れない。
もし攻め手来たとして、私は抵抗をするつもりはないが、エルはそうもいかない。抵抗しなければ、エルとて魔王族。殺されてしまうはずだ。私の命はどうなっても構わないが、それによってエルの命が危険に晒されるのは違う気がする。
クトゥクトゥクトゥ……聞きなれない鳥の声。昼間に聞こえてきた鳥とはまた、違った鳴き声だ。夜に活発化する鳥だろうか。その姿は目に見えない。
「この鳴き声は、鳥ですか?」
「あぁ、エクレナって鳥だ。夜になると独特な声で鳴く」
「初めて聞きましたが、なかなかいい声ですね」
「…………俺の知る魔王も、エクレナが好きだった」
「そうなんですか?」
「……まぁな」
私が本当に魔王なのか、疑っている節はあると思う。しかし、魔王と同じ姿をしている私を前にしたら、やはりエルにとっては兄であり魔王なのだろう。時間が経ち私に記憶が戻れば、魔王として真に覚醒し、魔王族が望む世界を取り戻せると信じているはずだ。
本当に私が記憶喪失の魔王だったとしよう。記憶が戻った瞬間に、世界を滅ぼすことに目覚めてしまったらどうしようか。私はその可能性に恐怖を覚えた。
「魔王! ほら、こっち。もう少しで俺たちの家だぜ」
「あの小屋ですか?」
「そう!」
数メートル先のところで、木造建ての小さな小屋が確認できた。あの小屋で、私はエルとふたりで暮らしていたということか。しかし、部屋数もひとつ、あってもふたつしかなさそうだ。家と呼ぶよりは、本当に『小屋』だった。
雨風を凌ぎ、横になれるスペースがあれば贅沢は言わない。私は小屋の前まで歩いた。
「久しぶりの家への帰宅だ。ゆっくり休めよ?」
鍵はかけられていなかった。ギギィ……と、軋む音がする。建てられて何年が経っているのか分からないが、立て付けが悪いのか。歪みを感じた。木材を調達し、直せるところは直した方が、都合がよさそうだ。その際に、上手くできれば部屋も隣接して建てたい。エルと私のふたり暮らしなら、そこまで部屋にもこだわらなくても良いが、もしかしたら今後、客人もあるかもしれない。それなら、客人用の部屋があっても損はない。
争いごとを、武力で解決することはないのだ。
人間も、魔王族も、使っている言葉は一緒だった。
それならば、談話することで争いを回避していければいい。
私はそう考えた。
魔王族のエルが話す言葉も、ヨウ国の扱う言葉も日本語に聞こえるし、私自身が話している言葉も日本語でしかない。ただ、そのあたりは上手く調整されているのだろう。ここが日本でないことは、月を見ても分かる。上手い具合に言葉の壁はすり抜けていた。記憶の調整までされなかったことにも、きっと意味はあるのだろう。
「はぁ、くたびれた」
「私も少し、眠気がきました」
「寝る前に喰っちまおうぜ。何かしら食べておかないと、身体が参っちまう」
「賛成です」
扉を閉めると、再度ギギギィという音がする。閉めても少し、隙間風は漏れていた。
「この小屋……家は、魔王とエルで建てたのですか?」
「俺たちじゃない。何代か前の魔王が造ったものらしい」
「どれくらい前なのでしょうね」
「さぁな。ただ、苔も生えてきているし、相当古いってのは分かるよな。軋んでるし」
「エルも気になっていたんですか?」
「そりゃあな。隙間だらけで冬は寒い」
「なんとか修繕したいですね」
壁に目を向けると、確かに隙間だらけだった。こんなにも風通しがよければ、冬はそれは寒いだろう。秋と言われた今でも既に、ひんやりとしている。空腹で熱量が足りていないせいもあるし、疲れていることもある。この冷たさは、身体によくない。
「ほら、魔王。座ってろ。飲み物くらいサービスしてやるぜ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えますね」
土足のままで床を歩く。部屋の中央には小さな木製のテーブルがひとつ。椅子は3つある。そこに私は違和感を抱く。
「椅子は3つあるのですね。この家には、他にも誰か住んでいるのですか?」
「え? いや、…………俺と魔王のふたりだけど?」
「? …………そうですか」
エルが歯切れの悪い応えをするのは珍しい。そこは、触れてはいけない話なのだろうと察した私は、それ以上の答えを求めなかった。エルが言うのであればきっとそうなのだろう。たとえ違ったとしても、それを知るのはもっと先でいい。私はまだ、エルのことすら何も知らないのだ。こんな状態の私に優しくしてくれるエルが、悪い子であるはずがない。エルの言葉に嘘はないと、私は信じた。
手に抱えていたミンヨの実をテーブルに置くと、私は扉側の椅子に座った。水道は引かれているらしい。エルはテーブルに置かれたミンヨの実を流し台に並べた。ひとつ、ひとつを適当に洗い流していく。農薬などかかっていそうにもないが、その辺は丁寧だった。
「さてと、食べるか」
「美味しそうな香りですね」
「渋くなけりゃいいんだけど」
「いただきます」
私は手を合わせた。それを見て、エルはぽかんと間の抜けた顔をした。その様子に気づいて、私は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「なんだ? その儀式みたいなの。初めて見たんだけど」
「これ、ですか?」
合掌が珍しかったらしい。私は手を合わせた状態で、目を細めた。
「すべての恵みと、すべての命に感謝の意をこめています。食事ができることへの、感謝の気持ちです」
「なんだそれ。木の実に感謝してるのか?」
「今日の場合は、そういうことになりますね。ですが、この木の実が育つにあたって、大地や生命は多く関わっているのです。その生命の営みにもありがとうの気持ちを忘れてはなりません」
「ふーん…………」
興味を持ったのか、どうでもよかったのか。判断が難しい返事をした。しかしそのすぐ後に、エルは私を真似て手を合わせた。
「魔王が進めるなら、俺もする」
「……ありがとうございます」
思わず笑みがこぼれた。私の笑った顔を見て、エルはまた照れた顔をする。頬を赤く染めながら、すぐに合掌をやめた。そして、ミンヨの実に手を伸ばす。ガシガシと豪快にかじりついた。それに倣って、私も実をかじった。果汁はたっぷりだが、確かにやや渋みはあった。それでも十分に美味しい。初めての夢幻島での食事は、きっと忘れることのない味になった。