3-9
「これが、この世界における人間の世界なんですね」
小さな町ではあるが、賑わいのある風景がそこにはあった。茶色の髪に青い目を持ったヨウ国の人々は、威勢のいい声をあげて笑いあう。
「お! 見ない顔だねぇ。旅行者かい?」
町の入口にはトーテムポールのようなものが建っていた。おそらくは、魔除けの意味合いで間違っていないだろう。見たことのない化け物がそこには象られているが、何かしらの動物を誇張して表現しているのだと思う。犬か、虎か。現実世界に存在している何かだろう。
町のひとたちの服装は西洋のヨーロッパを思わせる、白のシャツにベージュや紺色のズボン。髪を長めに整え、首後ろで結んでいる男性が多い。女性はくるくるとカールを巻いた髪型が多く見られる。顔立ちも、日本人のようなへらべったい顔つきではなかった。堀の深い美人が多い。
「えぇ、旅をしています」
「どこを目指しているんだい?」
威勢のいい男は、年のころは40程だろうか。人間年齢の40歳は、エルよりずっとおじさんくさい。しかしこの臭さがいいのだと、私は二度目の人生にて、やっと気づくことが出来た。年を重ねるとは、深みを増すこと。おじさん臭さも、おばさん臭さも味だったのだと感じる。今頃、父も母も良い年になる。晩婚だった両親は、そろそろ還暦を迎える頃だった。その前に息子である自分が先立ってしまったことに、申し訳なさは隠せない。ふとした瞬間に、ふたりはこれからも健康であってほしい。長生きをしてほしいと願う。
意識が過去を向いているうちに、男の対応はエルがしていた。
「王都、エルヴァレータを目指してるんだ」
「王都に行くのかい? それは今は適さないなぁ」
「? 何故ですか?」
難色を見せた男に対して、私は疑いなく問いかけた。変なことを口走らないかとエルは私に視線を送った。それに気づいて一度頷く。
「何故って。この情勢下だ。戦争真っただ中だからなぁ」
「俺たち、貧しい村の出でさ。あんまり分かってなくて。そういうのも聞きたくて、とりあえず飯屋を探してるんだ」
「飯ならあっち。二つ目の角を右に回ったところに、“トラゼ”ってとこがある」
「あぁ、トラゼなら耳にしたことはある」
(エルはこの町のことも、それなりに知っているんですね)
齢40にして、人間世界のこともそれなりに知っているエルは、なかなかの強みだった。こちらの世界のことを覚えていない私の魂よりもずっと、エルの方が上手だ。私はエルに流れを任せようと黙った。
「今日のランチはAセットがおススメだぜ!」
「さんきゅー!」
手を振って男に背を向けたエルに続いて、私は男に一礼して距離を置いた。歩き出したエルのすぐ後ろをゆっくりと歩く。
「魔王。言動には気を付けてくれよ? ここは穏やかそうに見えても、敵陣といえるんだ。俺たちが魔族と知られたら終わりだ」
周りの村人に聞かれないよう、エルは小声でぼそぼそと呟く。それを何とか聞きながら応える。
「見た目を変えられるという力を、人間界の方々は知っているんですか?」
「いや、その情報は渡っていないと思う。バレていたらとっくに俺たちに怪しい目を向けているだろうからな」
「色眼鏡してますし、変な旅人ですよね」
「そういうこと」
程なくして食事処、トラゼに着いた。小さい店だが、窓から中を見た感じは賑わっている。異国のものは居ない様子で、同じような容姿をした人が笑っている。戦禍といっても、この町は警戒レベルが低いように見受けられる。平和なことはいいことだ。しかし、男が言っていたように戦争は確かに起きている。魔族同士もピリピリしていたし、ヨウ国は魔族の世界の海岸線まで迫っていたのだ。あのとき、ヨウ国軍隊長キルイールが退いてくれなければ、既に大戦争の幕開けだった。
ジクヌフ国との争いも、どうなっているのか分からない。人間世界だけを見れば平和なのか。それとも、人間世界の中でも争いは起きているのか。
店の前には立て看板が置いてある。本日のおススメと、ランチメニューが書かれていた。全世界共通語のリーチェ文字で書かれているそれを、私も難なく読めた。その解読で、私は驚いて目を丸めた。
「オムレツ、グラタン、チャーハン…………?」
「知らない名前ばっかだ。やっぱ、人間界と俺たち魔族は違う種族なんだな」
「私にとっては、なじみの深いものですよ」
「それって……夢の中の話?」
「えぇ。私が少し前まで居た世界に、これと同じものがありました……あぁ、いや。名前と品物が一致しているのかは分かりませんけど」
「ふーん」
不思議そうな顔つきで、エルは眼鏡をくいっと上げた。鼻に当たって違和感があるのだろう、その気持ちは分かる。私も耳の辺りと鼻に疲れを覚えていた。
「とりあえず入ろうぜ?」
「そうですね」
扉を開けて中に入るとすぐに、明るい声で店員が声を掛けてくれた。ざっと見た感じ、テーブル席が20ほど。カウンターには10席くらい並んでいた。見た目がヨウ国の者ではない私とエルを見て、ほんの少し店内がざわついた。しかし、そこまで気にすることではなかったらしい。すぐに視線は私たちから外され、仲間内での談笑に戻った。下手に目立つよりはスルーされるほうがありがたい。ただ、店員はそうもいかない。
「あら、見ない顔ね。旅人?」
「まぁ、そんなところ。ねぇ、お姉さん?」
「何かしら、僕?」
子ども扱いされ、ぴくっとエルの肩が上がった。しかし、相手の女性のほうが圧倒的に年齢は下なのだろう。それを思いだしたのか、エルは思考をすぐに戻した。そのあたりは流石だと認める。
「最近、物騒な話とか……この辺りでない?」
「物騒な話?」
「そう。戦況とかどうなのかな……って。俺たち、とりあえず王都を目指してるんだけど、警戒強いなら、立ち入りも難しいかもしれないだろ?」
「そうねぇ……まぁ、とりあえずお席へどうぞ?」
「ん……」
エルは私に目配せをした。それに気づいて私は口元に笑みを浮かべて女性が案内してくれたテーブル席についた。エルは、私を何て呼ぼうか悩んだのだろう。まさか、『魔王』と呼ぶことは出来ないだろう。
「イチ」
「?」
エルに向けて、私はそう名乗った。