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ストーンヘンジを小規模化したような岩肌の一角に、レキスタントグラフを結ぶことのできる印が記されている。相変わらず魔法なんて扱えない魔王の私は、弟であるエルが転移魔法の発動準備をしている様子を、後ろから眺めていた。エルは前髪を相変わらず髪留めで上げている。ミスティーユのおばあさんからいただいた髪留めは、サクラの魔法石が光っている。私の首元のチョーカーも、これから人間世界へ下りる上で大切なアイテムになるらしい。変身アイテムがあるとは、誰が予想しただろう。
5つの点が赤く光ると、エルは手を翳した。後ろに立っていた私の顔を見て、近づくように指示する。私もまた頷いて、エルの隣に進んだ。
「レッカイ」
それが、転移魔法を発動させるためのキッカケなのか、合言葉なのか。赤い光は強みを増して、私とエルの姿を呑みこんだ。強い光に包まれた後、眩しさで目を一度閉じる。次に目を開けたときには、ストーンヘンジからは離れた景色だった。
緑が豊かで、ちょっとだけ雨が降りそうなときに感じる湿っぽい空気と匂いが漂っている。身体にかかる圧力が変わるとは考えにくいが、心なしか身体が怠いように感じた。これは、私の身体の中を流れる魔族の血が、反発でも起こしている症状なのだろうか。
「大丈夫か?」
「えぇ。ちょっとだけ、息苦しさはありますけど。問題ありませんよ」
「魔族だけでも疲れる空気だからな。魔力の高い魔王からすれば、そりゃあそうだろう」
「魔力が人間の世界では、身体に負担となるんですか?」
「個人差はあるようだが、そういうことになってる」
「……なるほど」
それは、この星が望んだ答えなのではないか。
私はそう感じ取り、嬉しさに口元を綻びさせた。
「なんか嬉しそうだな?」
「この星は、争いを好まないのだと実感できて、嬉しいんですよ」
「? どういうこと?」
「力で押し付ける行為を、望んでいないんでしょう? 力が物を言わせる世界なら、魔力で苦しむ大陸なんて、創ったりしませんよ」
「そういうものか?」
「私はそう思います」
「じゃあ、きっとそうなんだ」
初めのころは、エルには強い意志があり、私が選ぶ道に関しても介入しようとしてきていた。しかし、今はどうだろう。私が選ぶ道をエルもまた探してくれて、手助けをしてくれるようになった。私の確固たる決意と、望む世界を共に歩もうと動いてくれるエルの存在に、私は深く感謝した。
指先がチリチリとする。大地がこの色素の薄い白い肌を嫌っているような、身体の中を流れる血と魔力に反しているのか。小さい、けれども気になる程度には反発を受けていることに気づいた。
「な? 人間たちの世界は、人間たちに有利になるように大地が生きている」
「この力を吸い取って、魔法石で姿を変えるんですか?」
「そういうこと」
エルはその場にしゃがむと、右手の平を土の上に置いた。すると、魔力を地面に流し込んでいるのか。それとも、大地から力を貰っているのか。魔法石の赤い色がいっそう輝きを増しだした。しっかりとした赤が、クリスタルの中心部で光る。それと同時、エルの髪の毛は茶色に。髪の毛も栗色に変化を遂げた。目の色は赤からほとんど変わっていないが、それでも若干茶色みがかかった。黒の角は、すっかり姿を消す。なんとも不思議な世界だ。科学ではまるで話がつかない、ファンタジー要素だ。
「ほら、魔王も」
「地面に手をつければいいんですか?」
「あぁ、あとは大地と魔法石が勝手にやってくれる」
「便利なものですね」
エルに倣って、私も地面に手をついた。魔力なんて感じないし、湿っぽい土だなという程度の感想だが、しばらくそのままじっとしていると、じんわりと体内が温かくなっていくことを感じ取れた。これが、大地の力と魔力なのだろうか。
指先からはじまり、手のひらを通じて腕の中身を走っていく。そのまま心臓まで流れると、ポンプ活動で血液とともに身体へ押し出されるように、熱いものは身体全体へと運ばれた。長く伸びた紫の髪の色も、生え際から徐々に茶色に変わっていく。ドッドッド……という動悸が収まると、私は地面から手を離した。自分自身で目の色を確認は出来ないが、きっとエルのように赤茶色に変わったのだろう。右手を上げて耳の上あたりに触れてみると、角の姿はなくなっている。
「あとは、これ」
「眼鏡、ですか?」
どこから持ってきたのだろうか。エルはポケットからふたつの眼鏡を取り出しだ。ひとつを自分でかけ、ひとつを私に差し出す。私はそれを受け取ると、そのまま耳にかけてみた。弥一だった頃から目はよかったため、眼鏡の経験はない。ちょっと慣れない感覚で、落ち着かないところはある。
「目の色は、完全には変化させられないからな。これ使って、誤魔化すんだ」
「エルは以前にも、こうして姿を変えたことがあるんですか?」
「まぁ、何回か……」
「そうなんですね」
エルの眼鏡姿もまた、レアなものではないか。可愛らしい容姿に眼鏡が乗ると、ちょっとだけ大人びた印象を受ける。眼鏡をかけるだけでも、随分と顔が変わるものなのだと認識する。私の顔にも、眼鏡が似合っていればよいのだが……。とりあえずは、似合う似合わないということの前に、鼻の上に何かが乗っているという違和感に慣れなければいけない。
「魔王、こっち」
「?」
少し歩いた先は丘の上だった。麓を見下ろすと、小さな町が見えた。ミスティーユくらいの規模……いや、それよりもっと小さいか。それくらいの町並みだ。
「王都までは距離があるんだ。とりあえずは、あの町に下りよう。ある程度の実状知るのもいいだろ?」
「大歓迎です。いい案ですね」
「……ま、まぁ。魔王の弟歴は長いからな」
「そうですね」
くすっと笑うと、エルはより照れてくれた。左手で頭をワシャワシャと掻いている。私は微笑みながらも、赤く光っていた印に視線を向けた。