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「嬉しそうだな」
「えぇ、嬉しいですよ。こうやって、平和に向かって着実と進んでいるんです。エルも一緒ですしね。心強いです」
「まったく。平和主義な魔王を持った弟は辛いぜ?」
「すみません」
「でも、ま……俺も慣れてきたから」
ははっと声に出してエルは笑った。上機嫌なところを見ると、エルも嫌々私に従っているという訳ではなさそうだ。それならとてもありがたいと、私は青のお茶をひと口喉奥へ運んだ。もう冷めてしまっているが、すーっとする味わいは変わらない。
この青いお茶に似た瞳を持つヨウ国の世界。
そこでは魔族の理は通じない。
しかし、日本が戦後貫いてきた『平和主義』なら、伝わるものがあるかもしれない。
(そうであると、信じましょう。信じることから、全ては始まりますからね)
最後のひと口をすすると、湯呑をテーブルに置いた。エルは既に飲み終えていて、私の湯呑を持って立ち上がる。そのまま流し台に運んでは、水洗いをはじめた。私が洗おうとしても、エルは片手で断った。
「出発は明日の朝にしよう。起きたら身支度整えて、出発な!」
「分かりました。お願いしますね」
エルはにかっと明るい笑顔を向けてくれた。それを見て私も頷き微笑む。この日はそこまで冷え込むこともなく、夜を迎えた。就寝時間には自室に戻り、布団に入る。目を覚ましたら、この世界の人間族の世界を見ることが出来る。目的は『旅』ではなく、『説得』だ。世界平和に向けて、争い事を辞めようと提案し、手を取り合い。魔族と人間の共存の可能を説きたい。
まだ、魔族の世界のことすらほとんど分かっていないが、それでも私は人間として27年生きてきた魂だ。別世界の人間との接触が、楽しみで無いはずがなかった。
しっかりと掛布団をかぶる。絹のようななめらかな手触りで、毛布のような繊維ではない。それでも、温もりが確かにあるのは、何か特別な繊維なのだろうか。私は目を閉じた。クトゥクトゥクトゥ。夜の鳥が夜更けを告げる。さらさらと木々が揺れる音。自然のさえずりに心が洗われ、私は静かに夢の中へ誘われた。
“抗ってみせよ”
また、あなたですね。
私は今、平和主義を目指して新たな一歩を踏み出せそうです。
“この世界の魔王として、足掻いてみせよ”
魔王として、世界を平和に導くことが、私の務め。
そう、思っています。
“お前は………………ヤイチだ”
弥一であり、ヤイチです。
だからこそ、私にしか出来ないことがあるのではないでしょうか。
“お前は………………分かっていない”
(分かっていない?)
パッと目を開けた。いつもの天井が視界に映る。やはり周りに少女の気配はない。何故、毎夜少女が現れるのかは定かではない。ただ、眠ったままだったこの数日間は、少女の姿も声も聴くことがなかった。聞こえるときと、聞こえないとき。何がいったい左右させているのだろう。とりあえず、私は身体を起こした。窓の外に視線を向けると、丁度日の出を迎えて数分程度の明かりが差し込んでくる。
(分かっていることの方がきっと、少ないんでしょうね)
胸中で呟きながら、私は布団をまくって立ち上がる。そのままドアノブを回して廊下に出て、居間へと向かった。珍しくまだ、エルは起きていない様子だ。音を立てないようにしながら近づくと、端っこのほうで布団をかぶり、すやすやと寝息を立てているエルの姿を見守った。ちょっとだけぷっくらとしたほっぺがとても可愛らしい。そんなことをエルに言ったら、へそをまげられそうだ。ひとり静かにくすっと笑った。
(起こさないようにしないと)
椅子に座ろうとしては、床と脚が擦れる音で、エルを起こしてしまいそうだと考えた。それなら、その道は選ぶべきではない。私はエルのすぐ横にゆっくりと腰を下ろした。板張りの床で、それなりに温かい。薪を組んでいるため、居間の中は十分に温められていた。ただ、やはり時折吹く風は壁の隙間を通り過ぎていく。この家の修繕にも、力を入れたいものだ。
「ん…………ん~……」
寝返りを打ったエルは、唐突にうっすらと目を開けた。その視界にちょうど私が映りこんだらしく、エルはそのまま目を見開いた。
「まっ、魔王!?」
「おはようございます」
「え、俺寝坊した!?」
「時間は決めていませんし、私も今さっき起きたところですよ」
「うわぁ~~~~~っ」
突然取り乱すようにエルは叫び声をあげ、その勢いに任せて起き上がると居間の中をバタバタと駆け回った。こんな風に慌てふためく様子を見るのは、初めてかもしれない。エルの取り乱した様子に目をぱちくりとさせながら、私は立ち上がった。
「エル、大丈夫ですよ。むしろまだ、早い方ですから」
「魔王が先に起きてるのに、俺が後から起きる訳にはいかないだろ!?」
「何故です?」
「なぜって、魔王より寝てたらダメに決まってる!」
「?」
きょとんと私は首を傾げた。そんな私にはお構いなく、エルはせっせと着替えを始めた。取り出して来た服は珍しく『黒』ではなく、濃い目のグレーだった。
「黒以外にも、服があったんですね」
「黒を着るのは魔族と魔王族だけだからな。人間世界へ行くなら黒は避けないと。一発でバレル」
おかしなことを言うと思った。服の色など関係なく、私たちの容姿は独特だ。赤い目、紫、或いは緑の髪。極め付けには黒の角。これだけ異質のものが揃えば、人間ではないと安易に知られることだ。
「角などありますよ。これを隠せないのでしたら、服は黒でもいいような気がしますけど……」
「ばあちゃんがくれたチョーカーには、魔法石がついていただろう?」
「あぁ、これですね?」
首元に光るのは、魔法石という中央に赤い光を宿したチョーカー。私はそっと左手で触れた。
「魔法石に、各々の大陸の精霊の力を吸い込むことで、容姿を変化させることが出来るんだ」
「そんな変身アイテムだったんですね、これ」
「誰もが出来る業ではないな。高等魔族になら、出来うる技さ」
「それなら、ヨウ国のある大陸にたどり着いたら、容姿を変化させるんですね」
「そういうこと」
エルから渡された灰色の簡易ローブに身を包んだ。それを確認すると、エルは一度頷いた。
「よし、行こう!」
意気揚々と扉を開ける。太陽も上り、温かい日差しが私たちを受け入れてくれた。幸先がよさそうで、私は目を細める。
エルは、レキスタントグラフを展開していた遺跡にまた向かいはじめる。私もその後に続いて、転移魔法陣へ歩いた。
 




