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しばらく、はふはふしてから口を閉じてむしゃむしゃと咀嚼する。その様子を見守りながら、私も切り分けてもらった果実の香りを嗅いだ。焼く前から甘い香りだったが、その甘味の匂いが増している。
「いただきます」
かぷ……。
まだ、随分と熱く、果汁が口の中に弾ける。
(あ、美味しい…………)
熱さに気を付けながら、私は果汁を味わって呑みこんだ。固形ではあるが、ほとんど硬さは残っていない。口の中でとろけるそれは、桃なんかよりもずっと柔らかかった。
「ほんとに、うまい!」
「成功でしたね」
やっと熱さから解放されたようで、涙目になりながらもエルは喜んでくれた。弟が笑ってくれるのは、兄として本望。目を細めてエルの顔を見つめた。見られると照れるのか、エルははにかみながらそっと視線を逸らした。それでも、笑顔は絶えずそのまま残す。そのまま他の私も視線を外さず見守り、レンレンの実にかぶりつく。もしかしたら、いろんな実をとってきて、それらも焼いてみるなどアレンジを加えると、より美味しい木の実に変わるかもしれない。食べ方のひと工夫で、食材も進化する。まぁ、失敗することもあるとは思うが……それはそれで、経験だ。
「なぁ、魔王」
「なんですか?」
「3日間。俺、ひとりだっただろ? そこでさ、色々考えていたんだ」
「何を考えていたんです?」
「このまま、夢幻島に閉じこもっていても、何も得られないし。変わらないんじゃないかなって」
「平和への道のりですか?」
「うん」
エルのその言葉を受けて、私は嬉しさが込み上げてきた。エルは生粋の魔族だ。兄が魔王として覚醒してからは、魔王の弟として、他の魔族からも一目置かれる存在になったのだと思う。かつての魔王も、平和を望んでいたということは、エルから聞いて知っている。しかし、完全に手を挙げない主義ではなく、力を持って制圧し、平和を得ようとしていたのが過去のイチルヤフリート魔王だ。それが、私が日本を経由して戻って来たことで、魔王の方針も変わってしまった。私は一切の武力行使を放棄するつもりでいる。エルも、初めはきっと反対していた。心底それを望まなかったと思われる。しかし今はどうだ。私の考えに沿った行動を共にしてくれる。なんとも頼もしい弟であり、魔族だ。
「ヨウ国から行ってみるのがいいと俺は思うんだけど。どう思う?」
「ヨウ国の軍隊長とは顔を合わせていますしね。それがいいかもしれません」
「じゃあ、遺跡へ行こう。そこから、飛ぶんだ」
「ヨウ国にも飛べるんですか?」
「着地点はあまりないんだけどな。一応、歴代魔王が行ったことのある大陸へは、転移魔法が発動できるんだ」
「魔族の誰もが飛べるんですか?」
「いや」
最後のひとカケラを口にしてから、エルは自身と私を順に指さした。
「魔王と、魔王の許可を得た魔族だけだ」
「エルは、以前の私から許可を得ている……ということですか?」
「そういうこと」
「それは助かりますね」
魔法が扱えないで魔王を名乗っていてもいいものか。ただ、魔王が魔法に長けているよりも、平和的な展開ともいえる。問題なのは、その事実を人間種族が信じてくれるかどうか。こちらが紳士的に動きを見せても、かえって怪しまれる材料にもなりかねない。魔族とは、ただでさえ人間とはかけ離れた容姿をしているのだ。こんな緑や紫の髪色もなければ、瞳の色だって違う。黒の角は、それだけでも相手を威圧してしまうかもしれない。
だが、動き出さなければまた、人間族から戦争を吹っかけてきてしまうかもしれない。それを退けるのも難しいことだ。力を誇示して抑圧するのではなく、話し合いで解決をしたいが、ヨウ国のように聞く耳を持ってくれるかどうかなんて、賭けとも等しい。それならば、攻めてこられる前に赴き。こちらが無力である姿勢を見てもらうのが最良といえる。
ベストな答えはきっとない。
ベターな選択肢を取らざるを得ない。
「明日の朝。出かけましょうか」
「あぁ! 善は急げだ!」
「そうですね。この世界での人間族の生き方にも、興味があります」
「案内はするけど、あくまでもお前は“魔王”だからな? それは分かっといてくれよ?」
「わかりました」
「よし!」
エルは椅子から腰を上げて、レンレンの実を置いていた皿を手で持って、流し台へ移した。水道から水を落として皿の上に広げる。そのまま慣れた手つきで皿を洗い、水切り棚にしまう。かけてあるタオルで濡れた手を拭う。私はその様子を目で追っていた。
「夜になるまで、まだ時間はあるし。作戦会議といこうか」
「ヨウ国の、どのあたりに転移できるんですか?」
「人気の少ない丘の上に魔法陣が彫られてる。王都までは、少し歩かないといけないな」
「お散歩しながら向かうんですね」
「そんな暢気な道のりだといいけどな」
ふたりで向かい合わせで椅子に座る。急須の中にはまだお湯が入っていたらしく、空になった湯呑に注がれる。青いお茶を見ながら、そこにヨウ国の人たちの目の色を思い出す。厳しい目をしたキルイール隊長は、話をすれば分かってくれそうなひとだった。そうでなければ、敵兵を眼前に背を向けて立ち去ろうとする私、魔王を見逃すはずがない。特に彼は隊長だった。勝利への最高の瞬間を、みすみす逃したのは優しさからだと私は信じたい。信じる力は、何ものよりも強いと考えている。
青のお茶に再度視線を向ける。透き通った青い色は、地球の輝きを彷彿とさせる。私は微笑みを浮かべた。




