3-1
“わんわん!”
あぁ、まめ。
そこに居たんですか。
“わんわん!”
雷を、うまく避けていたんですね。
よかった。
「魔王!」
なんですか? まめ。
「起きろって!」
起きろ?
「魔王!!」
目を開けると、眩い光が視界に入って来る。そこには、まめの姿はなく、緑の髪に小さな黒い角を持ったエルの姿があった。不安げに大きな目を細めて眉も寄せる。私の身体を揺さぶりながら、ベッドの横に立っていた。
「エル……あぁ、おはようございます」
「全然早くないんだってば…………よかった」
「?」
まだ、外は明るい。昼寝に向かって眠ってから、それほど時間が経過している様には見えない。それにしては、エルの焦った表情が不自然だ。
ゆっくりは眠れていたと思う。身体の怠さは落ち着き、私はゆっくりと起き上がった。ベッドの上に座り、足を下ろす。
「結構、遅い時間になりましたか?」
「昼寝って部屋戻ってから、もう3日も経ってるんだ」
「え、3日?」
「はぁー…………よかった」
そんなにも長い時間、眠っていたつもりはもちろんなかった。体感的にも長時間横たわっていた様子はなく、むしろ元気に回復していると思う。寝すぎて腰が痛くなったというのもない。ただ、エルが嘘を言う必要性がないことを考えると、本当に眠っていたと思われる。私はもう一度、窓の外に目を向けた。変わらない日差しでポカポカとしている。とても平和そうで、穏やかな世界。それなのに、この空の下で争いはまだ続いている。それを思うと、胸が痛む。ズキンと心臓を搾り取られるような痛み。私は右手で胸部分のローブを強く掴んだ。
(早く、平和な世界を迎えないと…………)
自分自身で考えながら、ふと『可笑しい』と違和感を覚えた。その違和感を確かめたくて、私は一度口を閉じ、目も閉じた。静寂とした空間と、暗闇が広がる。
(焦ることではないですよね。私は本来、暢気な性格だったはず。それなのに、どうしてこんなにも気持ちが焦っているのでしょうか)
私の記憶が間違っていなければ、私は日本で『弥一』として生きていた魂が今、夢幻島で復元されたと思われる。一度はこの世界で『イチルヤフリート・ヤイチ』として生きた私は、この世界へ戻された。弥一の世界を経由することで、かつての私、『魔王』は何かを計画していたはずだ。魔王の魂が復元されることを見越していたからこそ、魔王はこの部屋に多くの知識を本の中に留め、保管していたと考えられる。魔王に何かしらの意図があっての行動ということは分かっても、その意図の意味を私はまだ汲めずにいる。読み解くことが出来れば、私の中に流れる魔王族の血と力にも影響が出て来るはずだし、この世界の見方も変わって来る可能性が高い。私は目を開ける前に、ふーっと息を吐いた。気持ちを落ち着かせ、体の中をすっきりとさせてから、私は目を開ける。心配そうにこちらを見ているエルと視線があったので、私は目を細めてにこりと笑った。
「大丈夫ですよ。きっと、疲れていたんだと思います」
「それにしては、寝すぎだろ……また、死んで………………」
「また?」
「あっ、いや……なんでもない」
エルは言葉を濁して俯いた。しかしエルは確かに言った。
(また、死んで……? 私はやはり、以前の魔王の生まれ変わりということでしょうか?)
一度死に、地球へ。
さらに死に、夢幻島へ。
魂とは巡るもの。
しかし私の魂は、『ヤイチ』から離れる事が無い。
「……魔王」
「無理強いはしませんよ。いつか、必要だと思った時に話してくれればいいんです。必要なければ、言わなくてもいいんですよ」
「…………ごめん」
「謝らないでください」
右手を伸ばし、私はエルの頭を優しく撫でた。線の細い髪がさらさらと流れる。前髪を今日もサクラの髪留めでまとめてある。よほど気に入ったのだろう。赤いゴムで気を引き締め、レキスタントグラフを扱っていた様子から察するに、前髪を上げるという行為はエルにとって必要なことのように見える。ミスティーユの町すら、全然回ることができていない。おばあさんのアクセサリーも、まだまだ見たりないので、近いうちにまた足を運べられると嬉しい。おばあさんから、角のことについても聞いてみたいと考えていた。
「腹、減ってない?」
「今のところ…………」
ぐー……。
乾いた腹の虫の音が鳴る。
「空いてるみたいだな」
「何か、ありますか?」
「魔王のことが心配で、買い物にも行ってないから。あまり食材ないんだけど……適当にスープくらいなら作れると思う」
「お願いしてもいいですか?」
「もちろん!」
エルの笑顔を受けて、私はエルの頭から手を離した。そのタイミングでエルは一歩下がり、扉のところまで歩いた。右手人差し指を立て、私に合図する。
「魔王はそこで、しばらく待機! ゆっくりしていてくれ」
「私は病人じゃないですよ?」
「わかんないだろ? いいから、この部屋に居てくれ」
「……わかりました」
あまりエルに不安を背負わせてはいけない。困らせたくなかった私は、深く意味を考えずに頷いた。ワンテンポ遅れたが、すぐ頷いて微笑む。穏やかな表情は、相手にも安心感を伝えることが出来ると、私は思っている。現にエルも、内心ほっとしているように見えた。人差し指をしまって今度は親指を立てる。グッドサインだ。
「じゃあ、作って来るから!」
「お願いしますね」
「あぁ!」
タタタ……と駆けていく足音が扉の外から響く。エルが、若干痩せたように見えたのは、恐らくは気のせいではない。眠ったままの私が気になり、ずっとこの部屋で見守っていたのではないか。私は申し訳なくなり、胸が痛んだ。
エルが何を隠そうとしているのかを、知りたくない訳では無い。ただ、無理やり聞くのは違うと思った。きっと、その時が来た時には話してくれるだろう。最後まで隠し通すのであれば、それはそれ。知らない世界を知らないまま生きても、現実には何も影響はないものだ。私は静かに窓の外を見上げた。晴れていた空が少しずつ曇り始める。