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私はまた、一口サクラ茶を飲んだ。そういえば、ミスティーユのおばあさんとレクティスには魔族の象徴のひとつである、『角』が見受けられなかった。『角』をどこかの争いで失ったのだろうと思っていたが、レクティスにも無いということが、妙に引っかかった。レクティス自身は、何故角が無いのかを理解しているはずだが、教えてくれるとは思えない。
むやみやたらに興味を持つことは、良いことのようにも思えるが厄介ごとを招く危険性もあると、頭に於いておいた方がよさそうだ。この世界の事情をもう少し把握し、自分の置かれている状況を理解してから、様々な方面に向けて思想も展開していこうと思う。
「青はヨウ国。色によって世界が分かれているのも面白いものですね」
「今の夢幻島はこのサクラ色だな」
「サクラは好きですよ。エルの髪留め、可愛いですね」
「魔王のチョーカーだって」
「素敵ですよね、これも。おばあさんのところに、また遊びに行きたいですね」
「賛成!」
エルも嬉しそうに笑いながら椅子に座ってサクラ茶をずずっと吸う。優しく甘い香りが室内に広まり気持ちの高ぶりを抑えてくれる。身体が温まると、眠気も誘われる。窓から差し込むやわらかな光も落ち着き、少しずつ暗くなってくる。流石にまだ、洗濯物は乾いていないだろう。少し横になるのもいいかもしれない。毎夜、眠る度に夢を見る。それもあって、落ち着いて眠れた感覚が無く、疲れが重なってきている面はある。そこまでの運動をしている訳では無いので、疲れ切って倒れそうだということはない。それでも、重力が地球とは異なるのか。或いは身体のつくりが人間とは異なるのか。疲れやすさがあるのは感じている。
私の顔が疲れていたのか。エルは眉を寄せて私の顔を覗き込んで来た。
「疲れたか? ちょっと、横になって来るか?」
「そうですね……少しだけ、休んで来てもいいですか?」
「もちろんだ。横になって疲れとってこいよ」
「ありがとうございます。では、1時間くらい寝て来ますね。あまりにも寝すぎている様子でしたら、起こしてくださいね?」
「あぁ、分かった」
私は軽く一礼し、椅子から腰を上げた。椅子を戻して個室に向かう。足の指先も痛くなっている。履き慣れないブーツのせいだと思われる。足のサイズにピッタリで、痛めるようなことはなさそうだったが、弥一時代は常に草履だった為、足の指先の感覚に違和感を覚えていた。
(ベッドに上がって、靴を脱ぎましょう)
ドアノブを回して中に入る。電気も無い、ひとつだけの窓からの光量も少なく、暗がりだ。それでも、この部屋には独特な香りが漂っている。この香りはサクラの香りよりもさらに甘いように思える。どこかに芳香剤でも置かれているのではないだろうか。パッとみたところ、それらしいものは見当たらない。私はふと、入口入って左側の本棚に目を向けた。しっかりとした布製のカバーがついた本。これらの本の全てが、私の手記によるものだということは、エルから聞いている。少しの間、私は本の背表紙を眺めていた。やはり見慣れない象形文字のようだが、意味は伝わって来る不思議さがある。試しに一つ、手に取ってみた。『青』のブックカバーの物を何気なく手にしたが、パラパラとめくるとそこにはヨウ国のことが書かれていることに気づいた。
(色分けして、各国のことを記しておいたんですね。でも、何のために……?)
これではまるで、魔王は一度この地を離れることを予期していたかのようではないか。消えてしまうことを見越して、更には、再びこの地に戻って来ることを知っての上で、本を残したように感じられる。
「ヨウ国の歴史ですね。魔法について書かれているものばかりかと思っていましたが……そうではないところを見ると、過去の魔王もやはり、平和をどうすれば築けるのか。模索していたようですね」
自分のことなのに他人事。
不思議な感覚だと、私は青の本を棚に戻した。
手には、ちょっとした埃っぽさが残る。それだけ長い時間、誰もがこの本を手にしてこなかったことの裏付けだ。私は続いて紫の本を手に取る。これには魔法のことが書かれている。読むことが出来ても、具現化させることが難しい。そもそも『魔法』という概念と定義が分かっていないのだ。どうやっても発動させられそうにない。そこは、エルから聞いてコツを掴む必要性があるのだろうか。それとも、隠居生活を決め込むのだから、あえて魔法を封印したまま臨むという選択肢もある。私は素直に悩んだ。
(とりあえずは、寝てしまいましょう。暗くなってから眠ると、起きられなくなりそうですからね)
ほんの少しの小休止。ベッドに腰を下ろしては、ブーツの紐を緩めて脱ぐ。床にブーツを並べて、足を引っ込め。布団の中に突っ込んでから宇和布団を首元下まで上げた。ペラペラの布団の割にはあったかい。
(おやすみなさい)
静かに目を閉じ、周りの気配やわずかに聞こえて来る小鳥のさえずりに耳を傾ける。ピピピピ……という可愛らしい鳥の声。とても遠くからそれが聞こえて来る。木々が擦れる音は若干。機械音などは一切ない。空気のきれいな田舎だ。私にとってそれは、とても居心地のいい空間である。程なくして、私の意識は自然と薄れ夢の世界へと誘われた。
真っ暗な世界。
そこには誰も、存在しない。
珍しく、語り掛けて来る少女の存在も今のところはない。
私はとても久しぶりに、何かに干渉されることなく、深い眠りについた。




