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「ミンヨの実くらいで、腹が満たされるのか?」
「食べてみないと分かりませんね。ただ、早急に何かしらを口にしたいほど、お腹が空いてしまいまして」
「なんでそこまで腹が減ってるんだ?」
「何故でしょうか?」
問い返すなと言わんばかりに、エルは笑った。右えくぼが可愛くへこむ。釣り目の猫っぽい円らな瞳を赤く輝かせる。夕日の色というよりは、真っ赤なルビーを想像させる色。人間味がないのは、あまりにも美しすぎるからだろう。
陽が沈んだせいで、辺りを照らすのは衛星の輝きのみとなる。月のように見えるが、黄色ではなく青白い光。ガスで包まれているのかもしれない。天王星のような色に見えていた。星々は瞬き、街灯が無いせいか。際立って空が美しい。エルの緑の髪の気も、月明かりに照らされてキラキラとしている。
「とりあえずアレを採れるだけ採って、家に帰ろう」
「家? 私たちにも家があるのですか?」
「は? 当然だろ。あぁー……ゼロから教えるんだったな。もういちいち、お前のとぼけたセリフは気にしないことにする」
「それはありがとうございます」
「魔王は死んでもなんでも、魔王だし。俺の唯一の兄だからな」
カラッとした笑顔は、清々しい。これが、『魔王族』という魔族の子の顔だろうか。日本には、魔族などというものは当然存在していない。そういった存在は、夢の世界やツクリモノの世界でしかなかった。そんな中でも、『魔族』と言われると想像するのは恐ろしく強く、恐怖で物事を支配するような姿。偏見と言えばそれまでだが、こんなにも人懐っこい顔をしていると、想像するひとは少ないはず。
いや、きっとこの世界でもそうなのだろう。現にエルは、こう言った。
『魔王とは恐怖の象徴で、絶対的力の保有者。睨みを利かせるだけで、人間が蒸発するほどの強力な魔力を持つ! 無慈悲で残虐。それでいて美しい。それが、魔王のはずだった』
つまりは、そういうこと。私が平和ボケしているだけで、実際に存在していたエルの真の兄、『魔王』とはそういった恐ろしい存在だったのだろう。
その弟がエルというのであれば、エルもきっとそれに近い属性に従っていてもいいところだ。ヨウ国軍に対して、容赦なく攻撃態勢に入ったのはそのせいか。しかし、私が制止すれば攻撃を止めることも出来る。つまりは、エルには平和ボケの要素があるということか。
「魔王。お前も手伝えよ! お前のが背が高いんだからな!」
「そうでしたね。それでは、もぎとらせていただきます」
手を伸ばせばすぐにミンヨの実を掴めた。ガクがしっかりとした厚みのある緑。果実はよく熟れたオレンジで、強く握ると潰れてしまいそうだ。茎の部分をぐりぐりと3、4回ねじって千切った。どうやら正解の採集方法だった。実のサイズは大人の男の手の平よりやや小さめ。しかし、十分な大きさだ。遠目だと柿のようにも見えたが、近くで見ると割れていないアケビに近い。
「ミンヨの千切り方は覚えていたんだな」
「たまたまなんですけど」
「ひとつでも覚えていりゃあこっちのもんだ。少しずつ思い出していってもらうぜ」
「そうですね。きっと、日本にはもう帰れないでしょうし。ここが第二の世界ならば、この世界のことを知りたいものです」
「前向きに、人間族の壊滅も考えてくれよな」
「それは約束できませんね」
「ちぇっ」
へそを曲げた感じではない。単純に私との会話を楽しんでいる。そういった様子に見えた。エルが何故、私を魔王として受け入れてくれたのかは正直分かっていない。ぐだぐだ考えたところで、魔王の容姿をしていることは確かであり、名も一部一致していた。そのため、私のことを『記憶喪失』と処理することで、解決した方が早いと考えたのだと推測はする。
本当にエルの兄であればいいのだが。
魔王族であっても、エルは良い子だと私は思う。
カサカサカサ……風によって枝がしなり、葉が擦れあって乾いた音が耳に届く。さらに冷えて来た。夢幻島というらしいこの島は、随分と日中で寒暖差があった。ローブを脱ぐなといったエルの助言は、こういうことだったのだろうか。
車も電車も、ビルも工場もない。そのおかげで、空気は澄んでいる。空に浮かぶ星が美しく見えるのは、そのせいだろう。大気を汚す気体が存在していない。日本の田舎、里山で暮らしていた私には、馴染のある星空だったが、それよりもずっと綺麗だ。
(まめとも、眺めたいものでしたね……。あの子は、元気にしているのでしょうか。それだけが、気がかりです)
「魔王?」
「ぇ、あ…………」
つい、俯いたところでエルの視線とぶつかった。うっかり考え事をしてしまい、物思いに耽っていた。私はにこりと微笑んだ。エルは心配そうに眉を寄せる。
「大丈夫ですよ。お腹が空きすぎたせいで、ぼーっとしてしまっただけですから」
「マジで腹ペコ? もう、先に家に帰ってろよ。俺が収穫して持ち帰ってやるから」
「そういうわけにはいかないですよ」
「なんで?」
問いかけられ、私は右手で自身の髪をクシャクシャと掻いた。
「記憶が無いので、家がどちらにあるのかが分からないからです」
「くぅーーーー…………マジかぁ」
「もう少しだけ収穫したら、家に案内してください。結構実がしっかりしていそうですし。ひとり5個もあれば満たされるでしょう」
「そんな少ない数で足りるもんか。俺ひとりでも、10個は食べるからな?」
「そんなに?」
その割には身体が小さい……と言いかけて、私はすぐに口を閉じた。プライドが高く、こういった元気なキャラクターのひとに対しては、背丈の話は禁句なところがあると、持論があった。私はエルにならって、10個は自分の分も集めることにした。郷に入っては郷に従え。それとは少し違うかもしれないが、先人のいう事は聞いておいて損はない。
「私も10個、もぎとっておきますね」
「そうしとけ。魔王のが身体もでかいんだ。いつも、俺の倍は食べてるじゃないか」
「そうなんですね」
「そうなんだよ。はぁ……いちいちつまずくな。仕方ないけどさ」
「エルは優しいですね」
「気持ちわりぃ。優しいとか、そんなんじゃねぇからな!」
頬を赤く染めている様子からして、完全に照れている様子だ。所謂『ツンデレ』というものか。基本的になんでも顔に出るところが、愛らしい。
こんなにも素直で真っすぐな子が『魔族』であるような世界が、悲惨な歴史を歩むはずがない。それを確信した瞬間だった。
だからこそ、私は『魔王』としての力を上手く使い、上手く放棄し、この世界を歩みたいと願う。仏様に手を合わせた27年分の徳を使って、少しくらいは貢献できるだろうと信じたい。