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2-21

「なぁ、魔王?」

「なんでしょう?」


 私の前を歩くエルの身体はとても小さい。150センチほどの身長で、身体も華奢。そのため、とても小柄であることが強調される。歩くたびにぴょこぴょこと跳ねるエルの頭を眺めていた。前髪を留めていたサクラの髪留めは、タオルで頭を拭いた際に一度取って外し、改めてつけられている。相当お気に入りの品物となっているのが見て分かる。


「魔王はさ。記憶を失くしている期間のことはまるで分かってないんだよな?」

「そうですね。どこで記憶を失くしたのか。どこからどのようにして戻って来たのか。分からずにいます」

「きっとそれにも、意味があるんだろうな」

「? 何か、思い当たる節でもあるんですか?」

「先々代魔王を久しぶりに見たんだけど……なんか、違う気がするんだ」

「違う、といいますと?」


 エルは右手で頭をワシャワシャと掻き乱した。掻いてその手で胸元をトントントンと何回か叩く。それは自分自身を落ちつけようとしている様子に伺えた。


「わかんねぇ。わかんねぇけど、なんか……違和感があるんだ」

「……エルがいうならきっと、何かしらの意味があるんでしょうね」

「信じてくれるのか?」

「疑う理由がありませんよ」


 にこっと笑っても、エルは前を向いて歩いている。私の表情は見えてない筈だし、エルが今どんな顔をしているのかも見えていない。それでも私は、エルが満足してくれているような気がしたので、再度微笑んだ。


「そろそろ川だな」

「ささっと洗って、戻りましょう」

「あぁ」


 桟橋が見えてきた辺りで、エルは不意に足を止めた。前が見えず、私もそれに倣って足を止める。


「エル?」

「誰か居る…………誰だ?」

「え?」


 桟橋のところには、確かに誰かが佇んでいた。桟橋のギリギリのところで立ち、こちらを向いている。黒髪に赤い瞳を持つ少女。私にはその少女に見覚えがあった。視線が交わったところで、私はぺこりと頭を下げた。それでも少女はツンとした様子で特別表情を変えない。

 頭を下げた私を見て、エルは不思議そうな目で私を見て来る。


「知り合いか?」

「ほら。黒髪に赤い目の女の子が居たと、ミスティーユに行く前にお話したでしょう? 彼女です」

「あ、…………あぁ、そんな話をしていたな。でも、本当に黒髪で赤い目が居るなんて」


 エルが若干、身構えている様子がピリッとした緊張感から伝わって来る。視線の先に居る少女は、特に何かを訴えて来ることもなく。その場に凛とした姿で立っている。川がさらさらと流れていく音がとても静かに聞こえて来るほど、この空間は静まり返っていた。エルからすると、この世界に居るはずのない容貌を持った少女を前にして、警戒心が解かれることもない。


「お前。何者だよ」

「不躾ね。お前と呼ばれる筋合いはない」


 この緊張感が走る局面で、最初に言葉を発したのはエルだった。エルが声を掛けると、少女は不機嫌そうに言葉を返す。私にしか見えていない少女だと思っていたが、今はしっかりとエルにもその姿が見えていることには、どことなく安堵を覚える。私は背丈の小さなふたりのやり取りを、少しの間傍観した。


「じゃあ、名前は?」

「今は未だ、“そのとき”ではない」

「なんだよ、それ。お前…………何者だ」


 エルは左足を引いて、腰を落とす。半身の姿勢で右手を少女の方に掲げた。不思議なポーズだが、これはきっと臨戦態勢というものだろうと、私は察知した。こんなところで争いごとを起こされたくないと、私はエルの右肩に手を置いた。くいっと引っ張り、態勢を戻すように促す。視線でそれを訴えてみたが、エルはちらりと私に視線を送ってくれるものの、態勢は崩さない。


「魔王の首を狙っている賊かもしれない。油断はダメだ」

「彼女に戦う姿勢はありませんよ。やめましょう? エル」

「あなたなんて、私の手に掛かればすぐに塵と化す。無駄な足掻きはやめることだな」

「…………魔王。こんなことを言ってのける女に、気を許すな。危険だ」

「少女も。争いはやめましょう? 何か、話しがあってここに居るんじゃないんですか?」


 少女は尚も表情を変えない。これでは、何を言っても情報は得られないだろう。私は軽く息を吐いた。

 少女に見覚えはない。夜な夜な、夢の中で語り掛けて来るのは彼女だと思うのだが、断定は出来ない。ただ、何故か彼女は『敵』ではないと私の直感が物を言っていた。その直感を、私は信じようと思う。くじ運はないが、ここぞという場面での運は、悪くはなかった。


 雷に打たれて死んで来た人間が言ったところで、信用性はないのだが。


「ヤイチ。あなたは何も分かっていない」


 薄い唇はほのかに赤い。目はくりっとした目で二重。赤い輝きは、魔族の象徴と言われるそれと変わりなかった。しかし、髪は全体的に漆黒で、緑が混じっている様子もなければ、紫の色もない。その中で彼女を『魔族』と呼べるのかは私には分からない。

 私を『ヤイチ』と呼ぶ彼女の言葉に、エルはピクッと眉を上げた。林政態勢もそのままで、少女に叫ぶ。


「魔王を呼び捨てとは、いただけないな! 名を名乗れよ!」

「呼び捨てでもいいんですけど……あなたの名前は知りたいところです。不便でしょう?」

「不便でいい。今はまだ、知る必要はない」

「困りましたね……」


 話はひたすらに平行線。私は濡れたローブを抱えながら困り眉に目を細めた。あはは……と声には出さずに溜息まじりに笑う。


「警告」

「?」


 少女の視線はエルを通り越えて私にだけ向けられていた。私は少女の言葉に耳を傾向け、その先を待った。


「数日も無い。お前は、荒波に呑まれる……そして」


 少女の目が光ると同時、またあの音が聞こえた。

 チリン。

 凛とした鈴の音だ。


「お前の命は、危険に晒される」


 凍り付いた目をしたのは、エルだった。その言葉を発した少女から一瞬視線を外し、エルに向けたその瞬間。少女は忽然とこの場から姿を消していた。

残された私とエルは、しばらく言葉を発することなく、目の前で起きた事実に身を硬直とさせた。


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