2-18
世界の平和。
それは、祈りを捧げる対象が自由であること。
「レクティスさん。あなたも何か、信仰している対象ってありますか?」
「なんだい、急に。変なことを聞いてくるね」
「この世界……魔族はもともと、太陽を信仰してきたということは、エルから聞いています。あなたもそうだったんですか?」
「諸々のことに、応える義理はないよ」
「それは聞きましたよ。でも、義務はありますよね……と、私はお話ししました」
私とレクティスは、似た者同士なのかもしれない。それ故に、ぶつかってしまうことが多々ある。同じような思考の仕方を、レクティスと私は行っていた。ただ、そのベクトルが逆を向いているため、理解しがたい言動になってしまっている。もし、同じ思考を持っているのだとすれば、そのベクトルの向きを修正することで、一気に分かり合える可能性はある。その可能性を信じて、私は私の在り方を彼に見せていけたらいいと考えた。ひとり納得すると、レクティスからの答えを待つ。ほんの少しのゆとりが、私の心の中には生まれていた。
彼は、脅威な力を持った魔王だったのかもしれない。
しかし彼も、『死』の前には平等なる魂の器。
(そういえば、彼の左胸には紫の薔薇の刻印がありましたね)
紫の薔薇。
今、魔族が崇めているのは白色のサクラ。
ふたつの花には、何か。
象徴とする意味があるのかもしれない。
「レクティスさん」
彼からの言葉を待っているつもりだったのも束の間。つい気になってしまい、私の方から言葉を進めた。それは、彼にとって意外なことだったのか。目を少しだけ見開いた。一瞬開いて、すぐにまた元の目に戻る。美しく赤い宝石のような眼が光る。頷くこともない彼に向けて、私はそのまま後を続けた。
「胸に刻まれた紫の薔薇の痕。転生の術の痕だと言いましたが……あなたは、どこからどこへ転生したんですか?」
「キミは知っているんじゃないのかな?」
「知っていたら、聞いたりしませんよ」
「可笑しいね。イチルヤフリートくんは、僕とエルディーヌを欺いているように見えて仕方ない」
「私は知っていることは話していますから。嘘も何もありません」
それは本当だ。私は、知っていることに関しての手札は全て見せている。敢えていうならば、レクティスに対しては『日本』のことを多く語ろうとはしていないという姿勢だけだ。それが気に食わないというのならば、彼にとって申し訳ないことをしている。それでも、私にはこの世界でも守りたいものが出来ていた為、優先順位はどうしてもつけなければならなかった。二兎を追う者は一兎をも得ずとは、これのことだ。全てに良い顔をしたままでは、ひとつの真実さえ失ってしまう。
私がこの夢幻島で救いたいもの、それは……。
弟である、エル。
魔王として君臨している以上、この世界に生きる魔族のためにも働こうとは思っている。ハンガー作りもそのひとつ。上手くできればそれを生業とし、魔族の間でも広めようと思う。ミスティーユのおばあさんのお店で扱ってもらえたら幸いだが、おばあさんの作っていたものはアクセサリー類。ハンガーは似合わないかもしれない。それに、おばあさんには何かしら意図があって、黒の囲いの中にキラキラとした世界を築いていたようにも思える。
(おばあさん……あのひとも、何かを知っているのかもしれませんね)
ふと思い出して、私はローブ越しに首元に触れた。そこには赤い紐で編んだチョーカーが付けられている。トップには魔光石という真ん中に赤い光を灯した石がある。その形はサクラ型だ。これをつけてから、どことなく精神状態が安定したような気がしないでもない。
「転生の術を知っている者は、数少ない。何故だか分かるかい?」
「分からないので、教えていただけると嬉しいです」
「……死者にしか、扱えないからだよ」
呟いたのはレクティスではない。魔王経験のないエルだった。予想していなかった方向からの答えに、私は目を開いた。細く切れ長の目の中には、やはり赤い目が輝いているのだろう。鏡があまりないため、自分の表情を確認することは難しい。この世界には、あまりガラス製品や割れ物がない。木製のものが多いように感じられる。
「死者ということは……やはり、レクティスさんは一度は死んでいるんですね?」
「先々代魔王だと言っているだろう? 僕はミケルフ魔王のひとつ前の時代を生き、そして……ミケルフの次の代に君臨する為に、異世界から転生したんだ」
「異世界、ですか」
話を聞いていると、本当にレクティスは自分と同じような生き方をしているように見える。物事に対しての考え方は違っても、本質が似ているというのは、そういったところに理由があるのかもしれない。ただ、レクティスの語る『異世界』が、私の知る『異世界』と同一だとはまだ判断がつかない。私は、その答え合わせを今するべきなのか。それとも、まだ時が満ちてはいないのか。判断ができないため、すぐには口にしない。それに、もし答え合わせをして、結果が異なっていたとしても、合致したとしても。その先に見えてくるものが不透明のため、焦らないで待つのが賢いと考えた。
「キミも見たんだろう? イチルヤフリートくん」
「私が見て来たものは……」
チリン。
鈴の音が鳴る。
「え?」
チリン。
再度、耳元のすぐ近くで鈴の音が鳴る。
私は辺りを見渡した。この部屋にはもちろんのこと。窓から外を見渡してみても、人影もなければ小動物が居るようにも見えない。
「魔王?」
不安げに声を変えて来てくれたのはエルだ。エルには、この音が聞こえていないのだろうか。レクティスも、怪訝な顔をしていた。
「下手な演技をして、答えをはぐらかそうとしているのかい?」
「演技ではなくて……鈴の音が聞こえませんか?」
「え? いや……俺には聞こえなかったけど」
「僕も聞こえていないよ。キミの見苦しい言い訳じゃないのかな?」
「…………気のせい、ですか」
何故だろうか。今聞こえてきたあの鈴の音は、もう聞こえては来ない。ただ、今の音が気のせいだったとは思えなかった。それだけハッキリと耳の鼓膜を振動させていた。いや、もしかしたら耳を通り越して脳内に直接警笛を鳴らしたのかもしれない。それを操作させたものが居たとしても、誰なのかを知る術はない。
それならば、聞こえていなかったことにするしかない。
否定できない答えは、肯定せざるを得なかった。