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「帰ってからは、どうする?」

「ハンガーの原案でも作りましょうかね」

「そんな難しいものなのか?」

「どうでしょう。100円ショップにもあるくらいなので、強度を気にしなければ簡単に出来るかもしれません」

「100円ショップ?」


 エルは眉を寄せて、反芻した。私は、『あ……』と脳裏に浮かんでいる100円ショップをエルに伝えようと口を開く。

 ピピピピ……ピピピピ……。小鳥のさえずりは可愛らしい。日中はこの鳥の音がよく聞こえて来るが、その姿はまだ見ていない。季節もあるだろう。これから先冬が来て、景色が変われば響く声も変わるかもしれない。


「安値で買えるお店があったんですよ」

「日本?」

「はい」

「ハンガーってのが売ってるのか?」

「それだけじゃないですよ? アクセサリーも売っていますし、枕なども売っていますし。何でも屋さんみたいな感じですね」


 目の前の弟の目が、キラキラと輝いた瞬間を私は見逃さなかった。昨日、ミスティーユの雑貨屋に入ったときのエルと、同じ顔をしている。心の中にはもう、レクティスへの恐怖は浮き上がっていない。気持ちの整理をつけるのが上手で、対応能力の高い魔族だということが伺えた。私も口元に笑みを浮かべる。まだ、出会って数日の弟だが、私の中ではとても可愛らしく、大切で誇らしい弟だった。

 弥一はひとりっ子で、兄弟がいたことはない。ひとりで構わなかったし、兄弟のある家庭を羨ましいと思ったことはない。けれども、欲していなかった訳では無かったんだなと、自分の中で新しい発見へと繋がった。


「安値でいろんなものが買えるって、楽しいな。日本ってところは、面白そうな世界じゃん」

「そうですね。でも、全てのひとに優しい世界とは、まだまだ言えない課題の多い世界でしたよ」

「夢の割に、設定がしっかりとされてるよな」

「夢…………ですかね」


 そこは明言することなく、エルの言葉を流した。私自身、そろそろ『日本』という国が、本当にあったのか。不安に思うところが出てきたことが要因といえる。日本を否定するような言動は、今後この世界で生きていく上での覚悟に繋がる。日本を経由してこの夢幻島に戻って来たとしたならば、日本は『偽物』ではない。それは十分承知しているが、いつまでも過去に縋っていては、この世界を生き抜くことが難しいと思えてきた。それは、ヨウ国軍を目の当たりにしたこともそう。魔族たちとレキスタントグラフで話し合ったのもそう。そして、野心多き先々代魔王が現れたことで、私の緊張の糸がピンと張るのを自覚した。

 日本に居たときは、私には守るべきものというものが少なかった。両親とも離れたところで生きていたし、これといった職にも就かず、まめと一緒にまったりと季節の移り代わりを楽しんで来た。ただ、それだけだった。しかしこの世界に転生したことで、私は『魔王』としての立場を受け、エルという弟を得て、さらには魔族を守り、人間族との調和も守りたいと希望を持ち始めることができた。それは、様々な覚悟が必要になってくる、安易な感情では成し得ない『平和』が生まれたともいえる。


 面白いじゃないか。

 私は真面目な顔をしつつも、笑みが絶えない。


「魔王。なんか、嬉しそうだな」

「エルが居てくれて、よかったです。それを、噛みしめていたんですよ」

「魔王」


 エルは小柄な体をドンと私にぶつけてきた。勢い余ってそのままお互いに態勢を崩しそうになる。エルを地面に転がさないようにと抱き留めながら、私自身も尻餅をつかないように何とかのところでバランスを取った。ぐっと右足爪先に力をこめてようやく安定すると、それを見計らったかのようにエルは腹を抱えるように大きく笑った。


「相変わらず臭いんだってば! 俺は魔王の弟なの! 生まれて死ぬまで、魔王の弟!」


 嬉しそうに言葉が弾む。声に出して笑う弟を、私は尊く感じた。


「エル……」

「これからもずっと、隣に居てやる。記憶が戻った後のことは、魔王が決めればいい」

「記憶。戻らなくてもいいかなと、最近は思うんですよ」

「へぇ?」


 エルは自分のローブを抱えたまま、よいしょと持ち直して歩き始めた。その後に続いて、私も家までの帰路につく。家ではまだ、レクティスは眠っているのだろうか。なんだか、エルと居ると時間の経過がゆったりとする。一緒に居るのが苦ではなく、自然体よりも優しいというのは、よほど相性が合っているという証拠だろう。大切な友だった『まめ』はもちろん私にとっての大切な相棒であり、癒しだったのだが、それとはまた違った温もりがエルにはあった。まめの代わりはいないし、まめの代わりを探そうとも思っていなかった。しかし、その穴をすっぽりと埋めるほど、エルの存在はすでに私の中で大きなものとなった。転生先がエルの居る夢幻島であったことは、何よりも幸いだ。

 記憶が戻らなくていい。そう伝える私の顔を不思議そうにエルは覗き込んだ。その赤い目に映りこんだ私はやはり、笑っている。そこにある姿は凡人な日本人の顔ではなく、自分でも驚くほどの容姿端麗な上品な大人の男だった。線が細いこともあり、女性的な容姿にはじめは見慣れなかったが、今はそこまで違和感はない。声も弥一のものとは違い、どちらかといえばその声の方が未だに慣れない。肺から気管支を通って声帯を震わせ声となる。その過程でやけに伸びやかで低すぎることもない低音ボイスが発せられるたびに、実はドキドキを伴っていた。弥一の頃も低い声だったが、掠れた声のため、このような伸びのある声に憧れていた時期もあった。


 弥一と、イチルヤフリート・ヤイチ。

 同じ『やいち』でも、まったく異なる人となり。


 それでも、『心』は同じでありたいと考えている。

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