2-11
「今日はまず、洗濯をしましょうか」
「そうだな」
「川へ行って戻ってきて。それから、ハンガーの設計図をつくるのはどうでしょう?」
「いいんじゃないか?」
私とエルの会話を、レクティスは黙って聞いていた。いや、聞いてなどいない可能性もある。ただ黙って目を閉じ、全てのことを遮断しながら咀嚼だけを続けているように見える。心底怠そうで、つまらなそうに見えるのはよろしくない。話しかけようかとも思ったが、彼がそれを望まないだろうと判断し、そっと見守ることにした。と、そのときだった。
「洗濯はエルディーヌがするんだよね?」
「……魔王が戻って来てからは、一緒にやってる」
「なぜ? キミは魔王に洗濯なんていう雑用をさせているのかい? どんな身分でいるつもりなのかな」
「俺だって…………それくらいは、分かってる」
「レクティスさん。私がやらせてもらっているんですよ。好んで選んでいるのは私の方です」
「ふーん……それで?」
きちんと聞いている様子はない。それでも、せめて私は真摯でありたいと思い、一度サンドイッチを皿に置いた。そして、自身の左側に座っているレクティスの目を見て応える。
「雑用だと思うなら、尚更私はエルひとりに任せたいとは思いません。エルは私の弟ですから」
「…………」
エルは黙っていた。ただ、口元が綻んで照れ笑いをしてみせた。それに私は満足し、再度サンドイッチを手にした。
これでいい。レクティスの機嫌をとるよりも、私にとって大切なことはエルの笑顔を守ること。私は満足し、食事を続ける。
しばらくレクティスは、食事を続けずじっと私の方に視線をぶつけていた。それに気づいていたので、無視は出来ない。視線を落としてサンドイッチを口にし、もぐもぐと咀嚼をする、その間は視線を上げてレクティスを見ていた。何か話があるのであれば、語り掛けて来るだろう。エルも静かに咀嚼を続けていた。この家でふたり暮らしだと思っていたが、今後は3人暮らしになりそうだ。
ただ、不思議なことはまだあった。
レクティスは今まで、どこに居たのだろう?
レクティスが死んだのは、老魔王が170歳のとき。老魔王が魔王として即座したその瞬間とイコールで結ばれる。そして、転生を果たしたのは老魔王が死ぬまでの間のどこか。老魔王を殺害したのがレクティスのため、その瞬間より以前に蘇っているといえる。しかし、実際には老魔王の後を継ぎ、『魔王』を継承したのは私、『イチルヤフリート・ヤイチ』だった。私が何歳で継承したのかは分からない。ただ、この夢幻島から姿を消して5年だとエルは語った。つまりは、5年前には私がすでに魔王であった。レクティスは、その時点では存在しているのだから、この5年間。レクティスはどこかに身を潜めていたことになる。
エルは何故、先々代魔王であるレクティスが建てたこの家に居たのだろう。
エルにとってレクティスは、脅威の対象。
それであるのに、わざわざこの家に住む理由がきっと隠されている。
私はその秘密を、いつか知ることになるのだろうと予測した。
何故だかは分からないし、根拠も無い。
ただ、そう思い込んだ。
「美味しかったですね」
にこやかに私は手を合わせる。これは、エルにだけではなく、レクティスにも伝えたかった言葉だった。同じく食べ終わったエルも、手を合わせた。その様子を、レクティスは無関心といった冷めた目で見守っている。口出ししてこないだけ、まだ可愛いといったところだ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま!」
お腹が満たされ、少しは元気が出て来たのか。声にも元気が戻って来た。私にとってそれは何より嬉しいこと。この世界でなんとか生き直そうと思えたのは、エルの存在が大きい。エルの導きがあって、私は食に困ることがなく、まわりにどんな魔族が居て、どんな人間族が居るのかを知ることができた。そして、魔族が何を象徴とし、何を崇高してきたのか。信仰の歴史を知ることが出来たのも、私にとって大きな転機であった。
この世界に生きるものは『陽』を大切にし、重んじて拝んで来た。
そこにきっと、世界平和を成し遂げるための『鍵』がある。
私はそれを、信じ込んでいる節があった。ただ、昔から勘は当たる方である。この世界でもその勘が活かせたらいいと願う。現段階の私が使える武器は、魔法陣などというファンタジー要素ではなく、勘と平和主義の日本人としての心得だと思っている。この世界に『日本』が無いのであれば、私がそこに平和要素を注ぎ込むことで、効果的な化学反応を得られる可能性がある。効果が『高い』とは流石に自信たっぷりに言えないが、信じたいところだ。
「イチルヤフリートくん。キミは随分と変わってしまったね」
「唐突にどうしましたか?」
溜息まじりにレクティスはそう呟いた。お皿を流し台に運んでいる最中だ。私はカチャリとお皿を重ねてから後ろを振り返って問いかける。すると、椅子に座ったままの状態でこちらを厳しい目で見て来るレクティスの姿があった。口元は薄い唇が無表情に結ばれる。食事をしても身体は温まらないのか。本当に白い肌が表面に浮かんでいた。朝が弱いとも言っていたし、もしかしたら血圧が低いのかもしれない。この世界に血圧計などはありそうにない。計ってみれば見えて来る症状が病気も増えてきそうだ。だが残念ながら私には医療機器を製造するような能力は一切ない。
「以前のキミは、僕に負けず劣らずの冷徹な男だった。だからこそ、老魔王を殺した僕ではなく、心身ともに若いキミが“魔王”に選ばれたのだと思ったのだよ」
「冷徹な男というのが、魔王の条件なんですか?」
「魔王の条件なんて、まだ殆ど解き明かされていないんだ」
答えたのはエルだった。皿を洗いながら、会話に参入してくる。ただ、視線はレクティスには向けていない。夢中になっているわけではないのに、敢えて視線を誤魔化すためにお皿に視線を落としたままの状態をキープしていた。レクティスはそれが気に食わないのか。淡々とした口調のままだが、怒りが込められたように感じられる。