2-8
「死んだんだと思った。だから、魔王は帰って来ないんだって……そう思っていた。でも、その割には次世代魔王が現れなくて。この夢幻島内では、魔王探しが始まりつつあった」
「その間、人間族との抗争はなかったんですか?」
「もちろん、あったさ」
「それでも、大きな戦争にはならなかったんですね?」
「魔族は徹底的に、“魔王不在”をひた隠しにしていたからな」
確かに、『魔王不在』が人間の耳に漏れたら、それこそ一斉攻撃を仕掛けてきただろう。魔王がどれほどの力を持っているのかを、私はまだ把握できていないが、きっと魔族ですら恐れる『魔王』なのだ。一般的魔族よりも高度な魔法や攻撃力を持っていたのだろう。その魔王が居ない間に、夢幻島を制圧しようとするのは賢いやり方だ。そして、それを読んで魔王不在を徹底的に隠し通した魔族も魔族だ。それだけの団結力と、周知の能力があるのは強みと言えよう。そこで、私はひとつの言葉が脳裏をよぎった。
「レキスタントグラフ……ですか?」
「そうだ。レキスタントグラフを展開して、夢幻島内の魔族には通達した。魔王が見つからない……ってな」
「でも、可笑しいですね。私、イチルヤフリートが消えたことを、レクティスさんも知っているんですよね? 何故彼は、大きな行動に出なかったのでしょう?」
「さぁ、なんでだろうな。もしかしたら、魔王に成り変われたと思っていた……とか?」
「それはきっと、違うと思います。魔王であったならば、魔王としての力が宿ったかどうかを覚ることが出来るはずです」
「あぁ、そうか……」
「そこで彼は、納得をしていなかった。つまりは、魔王の継承がされていないことを意味しています。レクティスさんは、探していたのかもしれませんね」
「……何を?」
私は一拍、間を置いた。
自分自身の中でも、その答えを確かめるようにゆっくりと口を開く。
「この世界で誰が魔王として存在しているのか……ということです」
「次の魔王を探して、殺そうとしていた?」
「そういうことでしょうね」
「…………魔王」
エルの表情は、一気に青ざめていった。レクティスは、魔王である私の命を狙っている可能性が高くなったからだ。つい先ほど、現にレクティスは言い放っていた。魔王の権利を要求する……と。それが即ち、私の『死』を意味していると知っての上で、レクティスはそれを求めてきた。
レクティスは、私を殺すつもりでいる。
再認識すると、背筋がピンと張る。
ハッキリ言って、死にたくないし死のうとも思わない。
(世界の片隅で、隠居生活をするつもりでいたのに……とんでもない事態に巻き込まれてきましたね)
レクティスの登場は、私が思い描いていた平和から、遠ざかっていく黄色信号を灯した。それを意識しながら、私はふむ……と口を閉じた。
単純にハンガー職人だけを目指していては、寝首を狩られる可能性だってある。扉に鍵もないし、あったとしてもレクティスに簡単に開けられてしまいそうだ。そんなことでは、根本的解決には至らない。どうにかして、レクティスには『魔王』の座を諦めてもらう必要性があった。しかし、力で圧倒するのは好まないし選べない。魔王である私に、どれほどの力と可能性があるのかも分からないが、力があったとしてもそれを武器にしていては、レクティスのしようとしていることと、何ら変わりないものとなってしまう。私は俯き、しばらく黙考する。
時計が示す時間は、おおよそ3時。完全に夜が更けてしまった。エルも疲れているだろうし、ここは眠った方がいいかもしれない。レクティスの行動に怯え、永遠に起きていることなどそれこそ不可能だ。それに、レクティスの狙いがエルではなく私にあるのだとすれば、エルの命の心配は、しばらくは問題なさそうだ。私は顔を上げ、エルを見た。その視線に気づいて、エルも私を見る。
「エル。今日のところは寝ましょう? もう随分と遅い時間になってしまいました。町にも出かけていましたし、疲れたでしょう?」
「ん……少し。でも、魔王は?」
「私も寝ますよ。起きたままではいられませんからね」
にこりと微笑むと、エルは心配そうな目を私に向ける。私がやせ我慢でもしているのではと疑ったのかもしれない。それは正解でもあるのだが、今は肯定しない。変にエルに不安を与えることはない。
「さぁ、ゆっくりと休みましょう。あぁ、私がここに居ては、エルが眠れませんね」
視線の先には、エルが寝床にしている簡易ベッドだ。居間は、個室よりも雑に造られているため、隙間風が多かった。その代りに暖炉があるが、それでもやはり冷える。エルの部屋も用意するか、居間の壁の修復は、早々に取り掛かった方がいい案件だ。
「魔王……」
「なんですか?」
エルは俯いたまま、言葉の続きを話さない。それを汲んで、私から声を掛けた。
「大丈夫です。私は死にませんよ」
「…………うん」
もう一度、エルの頭を優しく撫でてあげた。前髪は、町でもらってきたサクラの髪留めがされている。おばあさんにも、そういえば角が無かった。角が無いという意味も、この先重要なポイントになってくるのかもしれないと、私は何となしに思い浮かべていた。
「また、出かけましょう? 気晴らしに、ふたりで町へ。町はまだ、ミスティーユ以外にもあるんでしょう?」
「もちろん。魔族の町や村は少ないけど、まだ他にもあるぜ」
「明日はゆっくり休みましょう。また、別の日に遊びに出かけましょうね」
「うん……そうだな」
少しだけ、エルの表情が和らいだ。それを見て、少なからず私はほっとした。ふっと息を吐くと、口元には自然と笑みが浮かぶほど、心中は落ち着いてきた。いきなり『死』と向き合うことになり、少々焦りを覚えたところだったが、なんとか回避するしかない。受け入れられないならば、抗うしかないのだ。
私はゆっくりと立ち上がり、エルに向かって頷いた。
「おやすみなさい、エル」
「おやすみ、魔王」
エルに背を向け、廊下を歩く。そして、個室に入った。中に暖房は無いため、若干寒い。着ていたローブを脱いで、パジャマにしていた黒の簡易ローブにさっさと着替えた。着替えたばかりでは、服すら冷たい。私は冷え冷えしながら、布団をまくって中に潜った。何の変哲もないシーツと掛布団だが、十分に温かい。数分しない間に、私は眠りの世界へ誘われた。
 




