2-7
「お前にも、紫の薔薇があるのか?」
「え?」
エルは唐突に、私の顔を見上げてそう訊ねた。その真意は、直ぐに読み解けた。エルから見ても、私は過去の『兄』とは違うところがあると感じていることに、私は気づいていた。死んだはずの先々代魔王が現れたことにより、私自身も一度死に、改めてこの世界に戻って来たのではないかと考えたのだろう。実際、それが正解なのだと私も思うが、胸元に紫の薔薇などなかった。それを見せるために、私は首元を引っ張って広げ、自身の胸元をエルに見せてあげた。一瞬びっくりした顔をしたが、興味はあるらしい。エルは立ち上がって私の胸元に視線を向けた。白い肌があるだけで、そこには何も痣すらない。
「ほんとだ。何もない」
「でしょう?」
「そっか……お前は、生まれ変わりとかじゃないんだな」
「エル。あなたは、何かを隠していますよね?」
「…………」
返事はしない。しかし、それが『YES』という答えだった。エルは視線を伏せると、再度椅子に座った。どっしりと、背もたれにもたれるようにして顔を伏せる。その表情が気になり、私も向かい合わせに椅子に座った。エルの沈黙を守るように、私もしばらくは黙っていた。静かな時間が流れる。北の部屋から物音もしない。レクティスは早々に眠ったのだろうか。それとも、静かにこちらの会話に耳を傾けているのだろうか。
クトゥクトゥクトゥ……。
さらに多くの夜の鳥の鳴き声。
その姿を、いつかは見てみたい。
「先々代魔王は、確かに死んだはずだった。死んだから、老魔王は170歳という割と年がいってから、魔王を継承した」
「170歳? それはすごいですね」
「だからこそ、ミケルフ魔王は“老魔王”と呼ばれたんだ」
「なるほど」
私は老魔王の死に際に立ち会っているはずだった。しかし、そのときの記憶はまだ失くしたまま。老魔王がどのような顔立ちをしていて、どのように最期を迎えたのかを知らない。しかし、『老魔王』と言われるくらいだから、それなりに年がいっていたとは思っていた。それでも、そこまで高齢とは思わなかった。魔王になる適齢期というものは存在しないのだろうか。
レクティスは転生しているようだが、若々しい。見た目は20代半ばといった頃か。中身は捻くれた子どものようにも見えるし、頑固で変な概念を捨てられずにいる老人にも見える。不思議な青年だと思えた。きっとその通りで、見た目は若く中身は年寄りなのだろう。
ちなみに、年寄りと言ってはいるが、高齢な方を悪く思うような精神はない。
「レクティスさんが魔王だった時代、そして死ぬときのことを、エルは直接は見ていないんですか?」
「俺もお前も、まだ生まれてない。それくらい古い話なんだ」
「そうですか。でも、老魔王を殺しに来たレクティスさんを見て、エルは彼を“元魔王”として認識できたんですか?」
「あぁ、出来たぜ」
「それは、何故です? 見た目だって、緑の髪ですし……彼を元魔王として断定できる要素が、何かあったんですか?」
エルの表情は曇ったまま。晴れる様子が一向に見られない。エルは活発で明るい少年だ。時折臥せった顔をしてみせるが、そこまでその闇を引きずることがない。それなのに、レクティスが現れてから、ずっと口数も少ないし、表情も暗い。何が彼をそこまで追い詰めているのか。私は知りたかった。答えを知るまで攻めるのは、エルにとって酷な話なのかもしれない。私の探求心を優先していることを、申し訳なく思う。
「老魔王は、レクティスを知っていたんだ。レクティスの死に際立ち会ったのが多分、老魔王だったんだと思う」
「そうなると、死に際に立ち会った魔族が次の魔王を継承する……という流れがあるんでしょうかね」
「きっと、そうなんだと思う」
「なるほど」
私は頷いた。それと同時に何故今エルが、ここまで表情を曇らせているのかの理由を察することが出来た。
「エル。私が死ぬんだと思っているんですね?」
「えっ…………」
「やっぱり。そうですか」
エルは、心中を当てられるとは思っていなかったのだろう。ハッとした表情を見せてから、口を開け、目を見開いていた。不安を全面に表した表情。それを見て、私は腰を上げて手を伸ばし、エルの頭を優しく撫でた。エルは無言で撫でを受けた。
「レクティスは、老魔王の死に際に立ち会うことで、自分が魔王として再度君臨するつもりでいたんだ」
「魔王になるための条件を知っているのであれば、そういった行動もとれるという訳ですね」
「本来なら、死ぬから次の魔王が生まれるんだ。死んだはずの魔王が蘇ってきて、もう一度魔王に成り変わろうとするなんて、あり得ない話だ」
「たしかに。人生とは一度きり。そう都合よく、やり直しは出来ませんね」
はー……。
エルは大きく息を吐いた。
「魔王。お前は、どこで何をしていたんだ? 突然消えて、どれくらい経ったと思ってる?」
唐突に話題は私へと変えられた。それもまた一興。私も、この世界のことを知りたいし、自分自身のことも突き止めたいところだった。話に乗り、私はエルと向き合った。
「全然、見当がつかないんですよ。どれくらいですか? 数日……数時間程度でしょうか?」
「5年だ」
「5年? そんなにも、留守にしていたんですか?」
「あぁ、そうだ。突然、リクトルの泉に行くといって家を出て。それっきり、戻って来なかったんだ」
「リクトルの泉。数日前、私が目を覚ました場所ですね」
エルはこくりと頷く。私はその様子を静かに見ていた。
5年。
私が大学を出た年と同時期になる。
しかし、確実に私は日本人を謳歌していたはずだ。
この世界線とは、違った時間軸上に存在しているということだろうか。