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2-5

「レクティスさん。あなたは、日曜大工はお好きですか?」

「何だい、急に」

「この家。あなたが建てたものなんでしょう?」

「そうだけど? 気に入らないなら出て行ってもいいんだよ?」

「逆です」


 私は両手で湯呑を持ち、手を温めた。夜になるとやはり冷える。よく出来た家ではあるが、隙間風は冷たい。それでも、こんな家を建てられる技量を私は持ち合わせていない。彼は物作りが好きなのだと思ったが、そうでもないならば努力は素晴らしい。


「もし工作などお好きでしたら、一緒にハンガーを作りませんか?」

「は?」

「でた。魔王のハンガーづくり」


 エルはククッと喉の奥で笑った。エルから笑みが戻ったのは嬉しい。私も自然と優しい顔になる。場の空気が明るくなったのを感じた。子ども……といってはいけないが、エルのような元気っ子が笑っている世界は、優しいものだと実感した。


「ハンガー?」

「この世界にはまだ、ハンガーというものがないようなんです」

「この世界?」

「あぁ、そこは気にしないでください。とにかく、私はハンガーを作ることで生計を立てようと思っているんです」

「キミは何を言っているんだい?」


 レクティスからすると、私の言葉は意味不明な戯言に聞こえるのか。自身を馬鹿にされているのだと勘違いしている様子だ。憤りを感じている様子を見て、私は首を左右に振った。


「ふざけているんじゃないんですよ。私が見て来た世界には、ハンガーというものがありまして。それがあると、服の管理がしやすいんです」

「服の管理?」

「ほら、私たちの着るローブは重量感もありますし、畳んでしまうにはかさばってしまいます」

「魔王がそんなことする必要、無いって言ってるのに」

「妙な男だね、キミは」


 レクティスは薄い唇に笑みを浮かべた。こちらを嘲笑っているようにも見えるが、先ほどまでとは違って少々穏やかさが垣間見えた。それは私にとって、幸いだ。彼の心が真っ黒ではないことの裏付けといえる。


 仏の世界にも、ふたつの説がある。

 性善説と、性悪説だ。


 ひとは、生まれたときは『善』である。

 或いは、生まれながらにして『悪』なのか。


 その差は大きい。

 私がどちらの説を推しているのかを述べると、私の信仰心がバレてしまうのでここでは避けることにしよう。

 レクティスはまたひと口、サクラ茶を口にした。飲めればいいなんて言ってはいたが、案外気に入っている様子。彼は子ども染みた精神を持っているのだろうと私は勝手に思い込んだ。

 子どもは、好きなものに満たされていなければ満足しないところがある。おやつでもそう、玩具でもそう。自分が満足するまで遊ばなければ、なかなか親のいう事も聞けないところがある。レクティスもその感じがあり、きっと『魔王』という世界に唯一の存在であった名残から、富と名声のすべて。そして、この世界で生きる全てを制圧したいと考えたのだろう。

 希望することは誰でも可能だ。それを夢見ることもまた、勝手なところ。ただ、それを実行していいものと、してはいけないものがあることを、大人ならば良識を持って選ばなければならない。


「それで? ハンガーとやらを作って、キミはどう世界を鎮圧するつもりなのかな?」

「鎮圧なんてしませんよ。なるべく干渉しないようにし、エルと仲良く兄弟で暮らすつもりでしたから」

「つもり……ということは、その予定は変わったのかな?」


 にやりと不敵な笑みを浮かべるレクティスの脳裏には、きっと私が答えようとしている言葉とは異なる話が浮かんでいるのだろう。


「あなたが来ましたからね。これからは、3人でひっそり生きていこうと思います」

「ちょ、勝手に決めるなよ、魔王!」

「僕も困るね。僕は仲良く生きたいなんて思ってもいない」


 ふたりから反対の声が上がると、私は何故かおかしくなってくすくすと笑いを漏らした。その様子に、ふたりはさらに不可解な顔をさせてしまった。

 レクティスに怯えていたエルの姿はもうない。それは、私にとって幸運なことだった。エルが落ち着きを取り戻せたのはよかった。レクティスもまたレクティスで、威圧感しかなかった棘が、随分と抜かれた印象だ。私は目を細めてエルとレクティスを見た。


「いいじゃないですか。この家に居てもいいと言ってくださったのはレクティスさんです。一緒に住まわせていただく代わりに、私はハンガーを作って出稼ぎに行ってきますよ」

「魔王は魔族の象徴だ。そんな平民みたいなことするなって! 威厳がなくなる」

「そんなことをして生きるなら、魔王の座を譲って欲しいね」

「ダメですよ。あなたは野心家ですから、譲れません」


 心底気分を害した様子はないが、今の今まで魔王に君臨することを目的としていた男だ。すぐに改心するはずがないことは、分かっている。ひとはそんなにも直ぐに、変われるような安直な生き物ではなかった。

 レクティスには角がない。そして、左の胸元には紫の薔薇が刻まれている。そのことにもきっと、意味がある。レクティスから今、それを聞き出すことは難しいだろう。ペラペラと素性を話すような男には見えなかった。


 クトゥクトゥクトゥ……。

 夜の鳥の鳴き声。

 夜が随分と更けてきた。


「さて、そろそろ寝ましょうか。完全に冷え込む前に布団に入りたいですね」

「俺はじゃあ、湯のみ洗ってから寝る。…………アンタは?」

「僕はまだ、ここに居るよ」

「…………」


 エルは渋い顔をする。この居間でレクティスとふたり、取り残されることを快く思っていないのだろう。それはそうかと思い私は、椅子に座ったままの状態で、立ち上がったエルを見上げた。


「エルの洗い物、手伝いましょうか?」

「これくらいすぐ終わるからいい」

「では、終わるまではここに居ますね」

「イチルヤフリートくん。キミはどこまでも、僕の邪魔をしたいようだね?」

「もちろんですよ」


 厭味も含まず、しれっと言葉をすべらせた。私にとって大切なのは、魔王であることではなく、エルの『兄』であることなのだ。


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