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2-3

 この世界に来て、初めての衝撃だったかもしれない。


 ヨウ国軍隊と対峙したとき。

 レキスタントグラフの向こう側にいる、魔族と向き合ったとき。

 ミスティーユの町で、魔族と出会ったとき。


 いずれにしても、これほどの恐怖など覚えなかった。

 今私が目の前にしている男、先々代魔王は……確かに、脅威だった。


「レクティスさんが得られなかった世界とは、どんな世界なんですか?」

「キミに伝える義理はないね」

「私はその世界と引き換えに、命を差し出せと言われているんですよ? それならば、応える義務は発生しませんか?」

「義理に対して義務と来たか。まぁ、そうだね?」


 レクティスは、長く伸びた前髪をもてあそぶように、右手でくるくると毛束を巻きはじめた。巻いては伸ばし、巻いては伸ばしを繰り返し、つまらない時間を適当に潰そうとしている様がありありと伝わって来る。この先々代魔王と言う男は、世界を自らの手中に収め、何をしたいというのか。ろくなことはないと、私は予想する。そして、この男の好き勝手にさせてしまっては、この世界は本当に混沌とした暗黒時代を迎えることになるだろう。私は目を細め、レクティスを睨むように見た。その眼が気に食わなかったのか、レクティスは不敵な笑みを浮かべる。


「喧嘩を売ろうとでも考えているのかな? イチルヤフリートくん」

「喧嘩で済めばいいですね」

「ま、魔王……挑発はそれくらいにしておけ。この男は、本当にやりかねない……お前を殺して、魔王の座を奪おうと本気でする奴だ」

「負けませんよ」


 私はエルに向かって、表情を変えずにそう呟いた。私の言葉を聴き、エルは心底驚いた顔をしてみせる。その顔は驚愕という言葉がとても似合う顔色だった。

 私たちが向き合っている先々代魔王は、確かに強い魔力を持った有能な魔族なのだと思う。そして、今の私が魔力を持っているのかは定かではないし、魔法陣が扱えるのかと問われたら答えは『NO』だ。一切の力の使い方が分かっていない私が、余裕たっぷりのレクティスに敵うはずがなかった。それなのに、この余裕……それは、はったりと呼ぶのが正しい。

 エルをこれ以上恐怖に浸らせるつもりはなかった。私は、魔王である前にエルの『兄』なのだ。兄が弟を守れず、何を守れるというのか。何を守ろうというのか。

 死ぬことは怖い。雷の轟音と共に目の前が真っ白になり、気づけばこの世界。死んだという実感はなく、ただここが日本ではないことだけは確かであり、私の容姿も声もまるで変わってしまったということは事実だ。死んでしまえば、過去も今も何も存在しなかったことと、同じことだという裏付けを実感した。勉学に励んだことも、仏に手を合わせて来たことも、一瞬で無かったことにされてしまった。それを、悔しいとは思わないが、どこか寂しいとは感じていた。これが、伴侶がいたり、子どもが居たりすればもっと思いは複雑だっただろう。一緒に過ごしていたまめと離れ離れになってしまったことも、数日経っただけでは傷が深い。まだ、布団から起き上がったときに隣にまめが居るのではないかという期待を持ってしまう。

 だが、事実は受け入れなければならない。事実だと受け止め、次に進まなければ、私は永遠に時間を無駄にする。今の私はもう、『弥一』ではないのだ。『イチルヤフリート・ヤイチ』であり、この世界の現役魔王だ。


 負けてはならない。

 先々代に、命を渡すつもりはない。


「この家は、先々代が建てたものだとエルから聞きました。そうだとすれば、あなたがこの家に住むことは普通の選択。私たちを嫌がるのでしたら、私とエルは此処から出て行きます」

「別に、キミたちを外へ出したいという考えはないよ。ただ、力をよこしてくれたら悪くはしない」

「力を渡すこともなければ、魔王の座を渡すこともありません。私はこの世界の魔王として、この世界の片すみで隠居をします」

「わからないな」


 両手を広げ、呆れたポーズをとってみせた。レクティスにはまだ余裕がある。私のはったりなんて、見透かしている様子にすら見える。実際見透かしている可能性は高いが、それでも私は虚勢を張り続けた。

 私が虚勢を張っているのは事実なのだが、相手に対しての恐怖心が、既に薄らいでいることも確かなことだった。エルを守らなければならないという正義感からか、それとも私の中での恐怖が麻痺したのか。それは定かではない。

 レクティスは座った状態で私たちを見上げていた。私は向かい合うように椅子に座ると、エルにはお茶の用意をお願いした。この場から、少しでも遠ざけさせた方がいいと判断したからだ。


「エル。サクラ茶をお願いしてもいいですか?」

「えっ、あ、…………あぁ、わかった」


 パタパタと足音を鳴らして、台所へ向かったエルを確認すると、私は静かに頷いた。そして、視線を再びレクティスに向ける。レクティスは冷淡な眼をそのままに、口元には不気味なほど美しい笑みを浮かべていた。


 死者の魂を、蝋人形に宿らせたような姿だと、私は感じた。

 それだけ目の前の男は美しく、冷たかった。


「あなたは、生きている者ですか?」

「可笑しなことを言うね? 生きていない者が、この世界に存在するはずがない」

「死者の魂が、見えることもありますよ。あなたからは、温もりを感じません。それはつまり、そういう事なのでないかと思ったんですけど……違いますか?」

「キミは、転生というものを知らないのかい?」

「転生、ですか?」


 レクティスは、胸元に余裕のある黒のローブを引っ張り、胸部分を見せつけてきた。そこには、紫色の薔薇の刻印が刻まれていた。しかし、それに何の意味があるのかを、私は理解できない。


「この印が何か、魔王であるキミになら分かると思うんだけどね? どうやらその顔だと、理解していない様子だね」

「……魔王が」


 理解など、していないはずだった。

 しかし何故か、口が自然と言葉を発する。

 すらすらと、問題を読み解くように言葉を紡いでいく。


「魔王が死に際に、転生の術を編んだんですね。身体が完全に死する前に、あなたは魂をそこへ植え付けた」

「…………」

「転生の印。とても高度な魔法です。その魔法を扱えたのは、歴代魔王の中でもほとんどないとされていますね」

「知っていたのかい?」


 やや細い眼を開いて、赤い眼球を光らせた。その黒々としても見える目の中には、私がしっかりと映りこんでいる。その表情は無い。無感情であり、無表情だった。


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