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2-1

 朝、起きて。

 布団から身体を起こすと、すぐ隣にはまめが居てくれた。素晴らしく晴れ渡った日も、しとしとと雨が降り注ぐ日も。しんしんと雪が降りしきる日も。まめは愛くるしいその眼を輝かせながら、私の隣に居てくれた。そのまめを表するならば、『家族』である。生涯結婚などするつもりもなくなった私にとって、まめは大切な『息子』だったのだ。その関係性が崩れることはなく、私はまめを本当に大切にしてきたし、愛情を注いで来た。それにまめも応えてくれて、優しく鳴いた。まだまだ身体の小さい仔犬だったまめの毛は、茶色で柔らかかった。


 その温もりから、もうずっと遠く離れたところに来てしまった。


 まめの代わりなどありえない。ただ、この『夢幻島』でもまめのように大切にしたいと思える存在にすぐに出会えた。それが、エルディーヌこと『エル』だった。エルは、従順なる犬というよりは、気まぐれな猫に似ている。見た目も、猫のような眼をしているため、そう感じるのかもしれない。ちょっとだけ気高い感じを見せるのもまた、猫の雰囲気を醸し出していた。


 エルは今、身体を硬直とさせている。

 息を呑んだまま、その場を動こうとしなかった。


「エル?」


 エルが何を見ているのか分からない。私は後ろから、エルに声をかけた。しかし、その声も届いていないのか。身体を強張らせたままでその場に立ちすくんでいる。目の先に在るのは、居間の中心。そこに、何かあるのか。私も中を確認しようと、エルの隣に並んだ。陽が落ちて暗い闇の中。静かに、且つ優雅に椅子に座っている人影を目視した。髪がとても長いこと、身体のラインが華奢のような様子から、女性だと思う。私はその人影にではなく、エルに再度声を掛けた。


「エル。お知り合いですか?」

「エル? ほぅ……今のイチルヤフリートとは、随分と仲が良さそうだね?」


 中から返って来た声は、女性のものと考えるには、低かった。しかし、伸びやかな声質は高貴なもので、ゆったりとした物言いは優雅なものだ。男性のようだが、見た目はやはり女性的である。

 それよりも、気になっているのはエルの様子。怯えているように見えて仕方がない。私はエルのことが心配になり、そっと抱き寄せた。普段なら、わーわー……と抵抗してきそうだが、今のエルはされるがままだ。私に身体を預けて、完全に脱力している。ただその口元が、怯えながらも震えた。


「なんで、お前が…………」

「お前? そんな口を利いていていいのかな? エルディーヌ」

「あの……」


 エルを庇うように、私はこの会話に割って入った。暗闇に目が慣れて来て、何となくだが相手の容姿を確認できるくらいには落ち着いた。髪は緑で、長く伸びるストレート。腰あたりまでは伸びているように見える。目は二重で切れ長。美しい赤い眼は、残酷に輝いている。薄い唇は整っており、口角は上がっているため笑っているのだが、その笑みからは温かみがまるで感じられない。そうだ、ツクリモノのような上辺だけの微笑みだった。よく見ると、頭に角が見受けられない。魔族のようだが、魔族ではないのだろうか。それは、本人に訊ねることにしよう。


「あなたは、魔族ですか?」

「可笑しな質問をするものだね。魔族でなければ、何だと言うんだい? イチルヤフリート」

「私のことも、知っているんですね」

「当然だろう? それともキミは、僕の知るイチルヤフリートではないのかな?」


 男は、手に中で私とエルを見下し転がすように、不敵な笑みを浮かべている。その眼の奥には血のような赤い色を持て余している。優しい眼を装った、『狼』のような威圧感を覚えた。獣に睨まれ怯えた様子のエルを、私は構いやしないと抱き寄せたままの態勢を維持した。

 男の正体を、当然エルは知っているのだろう。知らなければ、唐突に家に現れた男を前に、怖気づいたりはしない。エルは小柄で子どものように見えて、軸はしっかりとした男性だ。40年も生きているエルは、つい数日前に泉で目を覚ました私なんかより、この世界を熟知している。私は男に答えを求めるより、エルから答えを聞きたいと思った。本能が、この男は『可笑しい』と判断した結果だ。


「エル。彼は何者なんですか?」

「…………」

「エル? しっかりしてください。私は逃げも隠れもしませんから」

「魔王…………」


 恐る恐る口にしたその言葉を、私はしっかりと聞き入れた。エルの身体が冷たい。緊張しているのがよく分かる。


「彼のことを、知っているんでしょう? よければ私にも、教えてください」

「僕は魔王だよ」


 エルから言葉をもらう前に、先に男が言葉をすべらせてきた。その言葉を受け、私は眉を寄せた。


 魔王?


 この世界に、『魔王』という存在は多く居たのだろうか? いや、エルが言うには魔王は世界で唯一の存在だったはず。魔王は血族で受け継がれていくのではなく、命を落とした後に誰かがその運命を引き継ぐもの。老魔王を看取った私が、現在の『魔王』として君臨しているというのが説明だ。それなのに、男は自身を『魔王』と名乗る。

 エルが嘘を吐いているとは思えない。嘘を吐いたところで、何の得にもならないからだ。それだけじゃない。エルが展開させたレキスタントグラフ。その先に映っていた魔族たちも、私を『魔王』として認識していた。もうひとつ言えば、私の髪の色。ただの魔族であるなら、髪の毛の色は緑に染まる。紫の髪色は、魔王だけが持つ特色だ。

 居間に座っている男の髪色は、暗くてよく見えないが緑色に染まっている。その地点で、男は『魔王』ではないと断定できる。


「魔王の割には、髪色が緑なんですね?」

「おや、僕に喧嘩でも売るのかな? 目覚めたばかりの弱者のイチルヤフリート。確かに今の僕は、緑の髪をしている。でも、よく見てもらえないかな?」

「?」


 男はゆっくりと椅子から腰を上げると、玄関口の方へと歩いてきた。エルが身体を強張らせているのが分かる為、私は『大丈夫』と静かに言葉を掛けた。エルにしか聞こえないくらいの小声だ。それを受けて、エルは何度か頷いた。


「さぁ、見てごらん?」


 前髪は作っておらず、ワンレンで流されていた。そこで気づいたことがある。髪にややかかる毛束の色だけ不自然な光を放っている。白髪の一部分にだけ、炭を落としたような色。でも、実際には白髪ではないし、炭色でもなかった。


 緑の髪に、紫の毛束。

 男の容姿は、他の誰とも異なる特徴を持っていた。


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