53
カランカラン、カランカラン……。
ドアの上の方には、牛が付けていそうな青銅のベルがつりさげられていた。ドアを引いた振動で、鐘が音を響かせる。ややくぐもった音で、見た目以上に低い音色。ギギギと引きずる音を立てながら開いた扉の先には、シンプルでかつ威圧感のあった外壁とは打って変わって、可愛らしい人形やぬいぐるみがたくさん溢れていた。天井からはサンキャッチャーがぶら下がっている。キラキラと光を受けて輝く石は、水晶か。それともガラス玉か。様々な方向へ反射するその石の中心部分には、赤い光が灯っているように見える。まるで、炎をそこへ閉じ込めたかのような輝きだ。なんて美しいのだろうと、しばし見とれる。
「わぁ…………すげぇな」
感嘆の声が漏れ、エルは目をキラキラと光らせながら口元には満面の笑みを浮かべる。幾つかの棚があり、その棚には指輪、ネックレス、ブレスレット、ピアスやイヤリングが主に並んでいる。石がついているものが多いが、紐をねじって作られたブレスレット類もあった。昔よく流行ったミサンガに似ている。
ヘアクリップもちゃんとあった。髪飾りはあまりメジャーではないのか。奥の方でこじんまりと陳列されている。鳥のくちばしのようなクリップから、布製でパチンと留めるものもある。ヘアゴムもいくつかあるが、大体が赤い色が多い。魔族の眼を象徴する『赤』は、大事に扱われているのかもしれない。
「いらっしゃ~ぃ」
入って左奥には、ひとり用のカウンターがぽつんと設けてあった。そこには椅子が置いてあり、その椅子にちょこんとおばあさんが座っていた。白髪に見間違うほど、色素が抜けている緑色の癖毛。線が細いその髪はくるくるとまるまっていた。恰幅の良いおばあさんの年齢は、80代ほどだろうか。魔族の年齢で数えたら、軽く3桁を超えているのだろう。まだ、魔族の年齢事情に詳しくない私には、本当の年齢は推し量れない。私でさえ60歳だというのだから、見た目はあてにならない。
おばあさんは、ちょっとしゃがれた声で、シワがいくつも入った目をより細めてほのぼのする笑みを浮かべている。私は頭をぺこりと下げた。
「こんにちは」
「これはこれは、珍しいお客さんやねぇ~。魔王陛下やないですかぁ。こんな古いばぁばの店へ、どんな用事かね?」
関西と東海のなまりが入った、独特なイントネーションのおばあさんだった。日本の文化を感じられて、嬉しく思う。そこでふと、おばあさんの角が気になった。おばあさんには、魔族の黒い角が生えていないのだ。いや、もしかしたら短すぎて見えないのか。やけにそれが気になり、ついおばあさんの頭部に意識が長く集中してしまった。当然、おばあさんは私の視線に気が付く。目を開けても細めで、赤い眼球はほとんど分からない。
「ばぁばの角が気になるのかね? ばぁばの角は、もうずっと前に失くしてしまったんや」
「何か、病気やケガでもされたんですか?」
「そうやねぇ。もうずっと、昔の話やわぁ」
「そうでしたか……痛みはありますか?」
「もうむかーしのことやでなぁ、大丈夫やなぁ」
ゆったりと話される口調は、聞いていて落ち着ける。高すぎず低すぎない、しかし澄んだ声ではないおばあさんの声は、子守歌のように聞こえた。ここで紙芝居でも始まっても、誰も違和感は覚えないだろう。
「おばあさんは、以前私に会ったことがありましたか? 私は、魔王と名乗っていませんが……」
「ばっか! 紫の髪が魔王の特徴だ。それくらい、魔族じゃなくたって知ってる」
「あ、そうなんですか?」
きょとんとした顔でエルを見ると、エルは大きく溜息を吐いて見せた。まったく、という感じで呆れ顔。しかし、心底呆れているのではなく、それがポーズであることを察した。
エルは、店内を興味津々に覗き見ていた。指輪やアンクレットなどにも惹かれている様子。やはり、可愛らしいものが好きのようだ。アクセサリー屋を提案したのは正解だった。
「ばぁばの店へ、何を見にきてくれたんかね」
「はい、ヘアクリップを見に来たんです」
「ほぅ、ヘアクリップ。右奥に並べてある奴しかあらへんけど、よかったですかね」
「可愛らしいアクセサリーがたくさんあって、目移りしてしまいます」
「そうかい? それはぁよかったねぇ」
ハハっと笑ったあと、おばあさんは嬉しそうにまた目を細めた。この反応はもしかして……と思い、私はおばあさんの隣に立ち、かがんで視線の位置を合わせた。
「おばあさんが、この店のアクセサリーを手作りされているんですか?」
「あぁ、そうやよぉ。目が悪くなってからは、ペースは落ちてしまったがねぇ。今も暇を持て余して、ちょっとずつ作っておるんよ」
「キラキラしていて、とても魅力的なアクセサリーばかりですね」
「魔光石は、どの作品にも混ぜておるんよ。魔族の象徴を大事にしとうてなぁ」
「魔光石っていうんですね」
「おや?」
不思議がって、おばあさんは首をやや傾けた。しかし、問い詰めようとしている様子ではなく、ニコニコとした優しい笑みは変わらない。ここまで年を召されると、悟りの境地などとっくに辿り着いているのだろう。少々のことでは、動じないように見える。
「魔王が魔光石を知らないとは、これは珍しいことやねぇ」
「ばあちゃん。魔王は、記憶が欠けてるんだ」
「あれまぁ、そうかねぇ。それは困ったもんやなぁ。魔王陛下、大丈夫かえ?」
「私には、特別問題は起きていないので大丈夫です」
「ふむ」
おばあさんは一度頷くと、細い線のようだった目を少しばかり開けてくれた。そこには、やはり赤い輝きが灯っていた。おばあさんも、列記とした魔族であることが窺える。
「魔王陛下の奥底には、5つの花弁が散りばめられて見えるねぇ。白くて淡いピンクの光。不思議やねぇ」
「5つの白くて淡いピンクの光……ですか?」
「魔王陛下からは、優しい香りがしてくるねぇ。その白とピンクの光が、魔王を守ってくれているように見えるねぇ」
「ばあちゃん! 魔王から、何か違う力を感じてるっていうのか?」
やや不安がった様子で、エルはこちらへ駆け寄って来た。エルの中で、何かが崩れそうなほど、慌てている。この時、私はなんとなく感じていたことが、確かなことへと変わった。それを表には出さない。私は覚られないようにしようと、表情を変えなかった。
(エルはきっと、何かを知っているんですね。私と魔王は、もしかしたら同一ではないのかもしれません)
たとえそうだとしても、私はそれを追及しようとは思わないし、エルや周りへの態度を変えることもない。変えなければならない事態と直面したならば、そのときに考えようとした。