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「路地裏のところに、可愛い店があるんだ」
「ほぅ? どんなお店なんですか?」
「入ったことは無い。ただ、アクセサリーとか……小物を売っているような店みたいだった」
エルはよいしょと椅子に座り直した。クッションがあり、お尻は守られている。ほど良い反発力だ。
「入ったことがないなら、行ってみるべきですね。楽しそうじゃないですか」
「うん! あ、でも…………」
「? でも?」
「今日は、町に針金を見に来たんだろ? ハンガーとかいうものを作るために」
「そうですけど……別に、ハンガーはまたでもいいんですよ。今日はエルが気になる店に行きましょう? それに……」
「それに?」
私は言葉を一度切ってから、落ち着いたトーンで後を続ける。
「この町は、自由に歩いていては危険が迫る可能性もあるんでしょう? それなら、初めて来た今回は、エルの先導で道を歩いた方がいいと思うんです」
「…………そうだな」
エルは一瞬、はっとした顔をした。やはり、このミスティーユには何かしらが隠されているようだ。そうだとすれば、避けては通れないいざこざもあるのだろう。このリーバーでの一件も、外せない衝突だったのかもしれない。何かを得るには、多少の小競り合いは呑みこまなければならない。全てがスムーズに事運ぶとは、思わない方がいいかもしれない。世の中は決して甘くない。平和ボケをしている日本国内ですら、何の事件事故のない日など無いのだ。
雷に打たれて絶命。
それは、誰にも避けることが出来ない『不運』だった。
しかし戦争は、『不運』と言う言葉では片付けてはならない、『悪意』だ。
「なぁ、魔王?」
「はい」
真剣な眼差しに対して、私も誠実であるためにきちんと向き合った。視線を再度しっかりと合わせると、エルの言葉を待つ。
「もし、町で変な視線を見つけたらすぐ言ってくれ。その視線によっては、さっさと町を離れた方がいいかもしれない」
「わかりました」
素直に頷くと、エルもある程度は納得したらしい。自分自身にも言い聞かせるように、一度大きく頷いてから、エルはサーシャが持ってきてくれた2つ目のコップを手に持ち、水を飲んだ。ミントの味が、きっとエルの高揚とした精神を落ち着かせてくれることだろう。私も自身のコップを口にする。氷は使われていないが、それなりに舌触りが冷たい。ひんやりとしていて、飲みやすい。
「あの、さ……」
「?」
今度は若干視線をぶれさせながら、エルは私に言葉をかけてくる。首を軽く傾げて問いかけると、エルは歯切れ悪くなりながらも、言葉を外へ出す。
「急に取り乱して……悪かった」
「気にしていませんよ。エルに対して、私の配慮がなっていなかっただけですから。気にしないでください」
「…………でも」
「そんなにも気後れするところがあるのなら、こういうのはどうですか?」
「なに?」
私はエルのところに並べられていた3つのパンのうち、オレンジ色をしたパンを指さした。その指先に反応して、エルも視線を追いかける。
「このパン。ひと口ください」
「へ?」
どこから出した声なのか。ほとんど空気が揺れるくらいの微々たる声量で、エルは妙な声を出した。その声にちょっとだけ癒されながら、私は右手の人差し指を立てた。
「ひと口」
「……随分と安い注文だな」
「エルにとって、大事な炭水化物ですからね。そのひと口、気になりまして。オレンジ色ですし、人参ですか?」
「あぁ、人参。なんだ? 魔王、食材のことは割と記憶あるのか?」
「そういう訳じゃないんですけど…………人参というものが、前の世界でもあったんですよ」
「へぇ…………」
また、夢の話か。
きっと、エルはその程度にしか思っていないのだと思う。
しかし実際には、私の前世。
本当にあった、リアルな出来事。
「はい、じゃあこれ。残りは魔王の分」
そういって、エルは人参パンを半分に割って、その欠片を私にくれた。ひと口にするには大きいサイズだ。こんなにはもらえないと、返そうとした……が、エルが先にそれを察知して妨害してきた。
「半分こ。俺はまだ、2種類あるんだから」
「じゃあ、私のレンデンの焼き飯を少し食べますか?」
「んー…………」
今度は悩んでいる様子。眉を寄せて、じっと焼き飯を見つめている。悩むという時点で、エルも嫌いではないのだろう。スプーンや箸、そして取り皿でもあれば、すぐにエルに分けられたのだが、この世界ではそういう習慣はないのだろうか。皿をひとつもらってもよかったが、リーバーの方たちの片付けが大変になってしまう。私はふと、息を吐きながら考えた。
「ひと口、食ってもいい?」
「えぇ、もちろん。どうぞ」
取り皿が無いため、私は皿ごとエルの方へ渡した。手前まで持ってきてもらうと、エルは手づかみで焼き飯を握る。指に力を込めて、一度ギュッと握り固めるのがどうやらコツだったらしい。そうして固めて食べるのが、レンデンの焼き飯のきちんとした食べ方だと記憶した。
きっと、まだまだ私はこの世界のことを知らなければならない。良い面もそう、悪い面とも向き合わなければならない。逃げてばかりでは、決して得られるものはない。逃げた先で手にしたものなど、安易にボロボロに崩れ去ってしまうだろう。
命は、どこで尽きるのか分からない。だからこそ、命は輝くことが出来るのだ。そして、尊いと感じ、大切にし大切にされるものなのだ。
テケテケテケテケ……。
変わった言葉を囁く鳥の声。
私たちの家の近くでは聞こえてこない、全く別の種類の鳥なのだろう。気候も違うようだし、同じ大陸の中でも端と端くらい距離が遠いのかもしれない。地球と同じように自転しているのであれば、北に行くほど冷たい世界のはずだ。エルと過ごす家の方が日中でも低いことを考えると、このミスティーユはその地点よりも南に位置していると考えられる。