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私が見ず知らずの土地へ誘われたことも、仏の教えだと捉えよう。仏が手を差し伸べて下さった先にある、極楽浄土。それを見た者がいなくて、真相を知らない私たち人間が命尽きた果ての世界で、魔王として命を再度与えられたのであれば、そこにも意味が必ずある。意味なき道を、仏も神も示さない。
「その言葉を真実として捉える要素はない。我らヨウ国軍は、このままの侵攻を続ける」
「魔王! こいつら人間共に、この地を侵略させるな!! 焼き払え!!」
エルが必死に声を掛けて来るそれを、私は首を左右に振って否定した。エルからすれば、この地で生まれ育ってきた命。人間と魔王族と種族も違えば、考え方も大きく異なる。エルは魔王族であることを誇りにしている様子。それなら、兄である魔王が人間側に働きかけ、力の放棄を示されれば、激しく混乱するのも仕方がない。
「無抵抗の私たちを殺せるのですか?」
私の言葉は、乱暴なエルに向けたものではなかった。ヨウ国軍隊長に、しっかりと焦点を合わせた。私の赤い眼を、青の光を輝かせるヨウ国軍隊長が見据える。目を細め、私の真意を量っている様子だ。私は静かにそれに応えた。目をそらすことをしない。
つい先ほど泉のほとりで目を覚まし、魔王として立ち上がった私であり、人間と争っていることを知ったのも数十分前のことになる。たったのそれだけの時間しか経過していないが、私の中には私なりの考えが根付いていた。これは、私が二十七年間かけて積み重ねて来た『弥一』としての核だ。核を壊せるものなど、簡単には現れない。
「隊長! 今こそが勝機です!! 相手に攻撃の気がないのであれば、こちらから一気に攻め入りましょう!!」
「そうです、隊長!!」
「魔王を殺せ!!!!」
ザッ……。砂が擦れる音がした。後ろで控えていたエルが、砂浜を蹴って駆け出した音。私はすぐに、エルに手を伸ばした。瞬間的判断が追い付き、私の左手はエルのフードを掴むことに成功した。クイっと後ろに引っ張られバランスを崩すと、足で踏ん張って転倒は避けた。釣り目を更に釣り上げて、厳しい顔で私を睨んだ。
「お前は兄でも魔王でもない!! 魔王族の恥さらし!!」
「兄でも、魔王でなくても構いません。ただ、私は……ヤイチは、争いを望みません。私が死ぬことで、ひとつ、戦争の種を絶やすことが出来るのでしたら、それでいいのです」
「…………っきしょう!!!」
絶望にも近い、甲高いエルの声がこの地に広がった。ピピピピピピ……ザワザワと、小鳥も小動物もその声に驚き木々を離れる。
その後、沈黙。ザーザザー、ザーザザーという、寄せては返す波の音だけがこの場に動きを見せている。
戦意を喪失したのか、エルも言葉を失くしている。エルのフードから、手は放している。動こうと意思表示を示せば、私は再度手を伸ばすつもりでいる。しかし、その必要がなさそうで、エルも私も黙っていた。
まだ続く沈黙。ヨウ国側も、動きを止めた。大型の船だ。通信機も搭載されているはずだ。今、国の重要機関と交信し、方針を話し合っている可能性もある。それとも、この世界にはそこまでの科学文明は発達していないのだろうか。船は木造船。現代日本よりは、はるかに劣っている。
「魔王よ」
「なんでしょうか」
ヨウ国軍隊長が、ついに沈黙を破った。私は一度頷いてから、応える。エルもまた、ヨウ国軍隊長に視線を向けた。
「我らが軍が、たとえこの場を黙って退いたとしても。主らの思い通りには事は運ばぬ」
「他の国の人間族が、侵略しに来ますか?」
「国は、より多くの領土を求める。それは、己が国の繁栄を願い、民に絶対的強さを約束する為。魔族、魔王族を倒したという栄誉は、最大の軍事力保持へと繋がる」
「そうでしょうね」
私は息を吐いた。肩を落とし、心から残念な気持ちになる。
「大きな力は、軍事力として利用されるしかないのかもしれません。しかし、私たち魔王族も、あなた方人間族も、ひとつの命を宿した生命体です。同じ、命なのです」
「同じといえるのか? 我々人間族は、飛び道具なくして遠距離戦も成せない。それに対して、主ら魔王族は……」
「同じです」
私は降参の意を示すためにも、両手を広げて上にあげた。一瞬、場に緊張感が走ったのは、私が突如攻撃に転化したと勘違いをしたせいだろう。それは申し訳なかったと、反省する。
エルは、驚いた目さえしたが、口は開かなかった。私に完全に呆れたのか。それとも、何かを模索しているのか。私には判断の及ばないところ。私は、この世界のことを何ひとつとして知らず、弟と言われた少年、エルディーヌのこともよく分かっていないのだ。
本当に兄なのかも、明言できない。その状態で、私の意志を十割理解し従ってもらおうという事の方が、都合のいい解釈だった。此処で人間族が攻め入って来たときに、私は死しても仕方がないと割り切れるが、エルはどうか? エルこそ、一番の被害者になり得るのではないか。私の中でも、葛藤が生まれた。
誰もが戦力放棄する道。
それが成されない限りは、争いは潰えない。
「ヨウ国軍隊長」
「キルイール・べスだ」
「ありがとうございます。キルイール隊長。私たちは……私は、完全に戦争からは離れたいのです。魔王が居なくなることで、人間種族は人間種族同士。仲良くは出来ないのでしょうか」
「出来るワケねぇだろ」
今までだんまりを決めていたエルが、悪態をついた。吐き捨てるように短く言い切った。それくらいは許そうと、私は何も言わない。
この世界に生まれて来た全てのものが、自由であり平等を求めていいのだ。それを望むことは、権利だと言える。そこには、種族も関係ない。魔王族であるエルにも、幸せを望む権利があった。
「魔王。私は以前、主を見たことがあった」
「そうですか」
「幼少時に見たときから、魔王はすでに魔王の姿をしていた。誰もが恐れる存在、そして、絶対的力の誇示。誰もが主を見て、恐怖に支配された」
「それは、申し訳ありません」
「その魔王とは、真に主であったのか?」
「…………」
迷いが生じた私は、口を閉じた。安直に応えていい問ではなかったからだ。
潮の香りは、山暮らしをしていた私には、あまり馴染のない匂い。しかし、日本の海から香るそれと、変わらないように思える。
ヨウ国などという国は、日本には存在しない。そもそも、魔王や魔族も日本……いいえ、地球という世界には存在していなかった。それならば、この世界は紛れもなく異世界。
平和な日本ですら、事件が全くない日など訪れなかった。それを前提とすると、元々戦争が多発しているこの世界で、全くの争いのない日を目指すことは困難を極めるのかもしれない。
しかし。
「キルイール隊長が幼少期に見た魔王が、私であったのかは分かりかねます。でも」
「なんだ」
「今は、私が魔王なのです。私は魔王として、戦力放棄を明言します」
ぶれない方針を、私は提示した。それによって、どこかでまた争いが起きる可能性が生まれるとしても。私が今ここで、力をもってしてヨウ国軍をひれ伏すことになれば、より事態は深刻化する。
小さな一歩でいい。私は、私の願う『平和』を手に入れるため、表世界からは再び背を向けよう。私は、ヨウ国軍からの返答を待たず、くるっと向きを変えた。泉の方に向かって、来た道を戻り始める。
「…………」
軽い舌打ちが聞こえた。それと同時に、私の後ろにはエルの靴音。その後を追ってくる気配は、今のところはなかった。
 




