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「ミスティーユ。綺麗な町ですね」
「魔族の町ってのは、あまりないんだ。夢幻島には、幾つかあるんだけど……その数は少ない」
「ここは、一番大きな町なんですか?」
「そういうこと」
エルの足取りは軽い。久しぶりの町なのだろうか。嬉しそうにしているエルを見るのは、私としても喜ばしい。昨日は他の魔族から賛同を得られず、エルには苦い思いをさせてしまっていた。それを払拭するためにも、何か気分転換が出来ればと考えていた。
「食料品はかさばるし、後から見ることにして…………」
「はい。何から見ますか?」
「まずは、食事!」
「食事、ですか?」
食料品を漁らず、食事をとる。確かに、朝から何も食べていなかった為、お腹は空いていた。私は思わずお腹をさする。丁度いい空腹感。エルの顔をみると、にたりと笑った。
「魔王は腹ペコだろ? ちょうどさ、この近くに良い喫茶店があるんだ」
「喫茶店なんていうこじゃれたものが、この世界にもあるんですね?」
「お前なぁ。人間族の間であるくらいなんだから、より高等な生命である俺たち魔族が、それくらいの文化も無いはずがないだろ?」
「そういう考え方なんですね」
エルを含め、魔族は随分と人間族に目くじらを立てている様子に見える。実際、魔族と人間族は争いをしているのだから、いがみ合っていたとしても仕方がない。しかし、お互い言葉を共にする世界の仲間という見方は出来ないのだろうか。どちらかが歩み寄る姿勢を見せれば、相手は踏みとどまる可能性がある。それを現に、ヨウ国軍の隊長は見せてくれた。少なくとも私は、彼を評価したし、彼、キルイール隊長もある程度は私のことを評価してくれたのではないだろうか。
それとも、私は甘いのか? 私がそう思っているだけで、今にも進軍する手数を揃えている可能性も無くはない。しかし、そこは信頼関係を保つために、最悪の事態を想定しつつも、相手を信じることをやめたくない。諦めれば、そこで可能性は潰えるのだ。
「あそこ。赤いレンガの屋根の家があるだろ? 喫茶店なんだ」
「なんていう喫茶店ですか?」
「リーバーっていうんだ。記憶にあるか?」
「……いえ、分からないです」
「そっか…………ま、食べたら思い出すかもな!」
意気揚々と喫茶店リーバーの前まで来ると、エルは木造の扉を勢いよく開けた。カランカランと鐘が鳴る。その奥に居るのは、店員だろう。赤いエプロンを黒簡易ローブの上からつけている女性が経っていた。緑の髪を首後ろでひとつ結びにしているのは、清潔感を出すためだろう。目は赤い。黒の小さな角が頭の上から覗かせている。これが、魔族の特徴のようだ。
「シャーラ、久しぶり!」
「あら、エルディーヌじゃない。久しぶりね」
シャーラと呼ばれた女性店員は、若い。しかし、エルの方がまだ幼い感じがする。見たところ、エルと仲がよさそうに窺える。同年代の友達なのかもしれない。あるいは、よくこの店に足を運んでいた常連客がエルなのか。
「そうだな、久しぶり。元気だったか?」
「おかげさまで、それなりに暮らしているわよ? ……あら?」
シャーラの視線が私へと向けられた。その瞳と私の視線がぶつかったとき、シャーラは心底驚いた顔をしてから、慌てて後ずさりその場にしゃがみ込み、ひれ伏した。一瞬の出来事で、私はその行動の意味がわからず、とにかく慌てた。両手をひらひらとさせ、私も腰を折る。つい、合わせてシャーラの前にひれ伏した。
「何やってんだよ、魔王」
「え、いや……あの、シャーラさん? 頭を上げてください。その、立ちましょう?」
「魔王陛下を前に、私としたら……申し訳ありません!」
「何も申し訳なくないので、気にせず頭をあげてください。ね?」
「で、ですが…………!!」
「あぁ~……シャーラ。魔王、帰って来たんだけどさ。魔王には記憶がないらしいんだ」
「えっ? はい?」
シャーラは一応、顔は上げてくれた。私はそれを肯定するように、『うん、うん』と頷いた。シャーラにとっては、突然行方知れずになっていた魔王が来店することによって、つい混乱してしまったのだろう。それに、元々の魔王の性質は『冷淡』であったとするならば、魔王を前に、エルと親し気に会話をしていたことを咎められるとでも思ったのだろうか。そんな畏れなど持たないでほしい。私は先に立ち上がると、シャーラに向けて右手を差し伸べた。それを前にして、シャーラは尚も混乱を見せる。
「どうか、お立ち下さい。シャーラさん。私はイチルヤフリート・ヤイチ。この世界のことが、まだ殆ど分からない出戻り魔王です。どうぞ、よろしくお願いします」
「え、ぁ…………はぁ?」
「ま、そういうことだ」
シャーラからは、張り詰めた緊張感がぷつんと切れたような間の抜けた声が漏れた。目を開け、口もぽかんと開けている。とても可愛らしい女性だと正直に思った。私の手を掴んでくれると、私も握り返す。立ち上がるように促せば、シャーラは立ち上がってくれた。そして、頭を下げると私から手を離した。思えば、年頃の女性の手を握ったのは、初めてかもしれない。若干の照れを見せてしまった。視線がやや泳ぐ。
「どういうことか分かりかねますが…………魔王陛下。また、ご来店いただきありがとうございます」
「私の中では、今日が初めてなんですけどね」
「シャーラ。奥の席使うな?」
「えぇ、どうぞ。お水お持ちします」
「サンキュー。さ、魔王。あっち、あっち」
私はぺこりと頭を下げると、エルに先導され後に続いた。こじんまりとした店だ。テーブル席が6つ。カウンター席が5つ。今の時間は、昼の1時あたりだ。食事時だと思われるが、店内に居るのは私たちだけだった。この店への道中も、他の町のひとは出歩いていなかった。自由に行き来する風習がないのかもしれない。私たちも、この町にワープして訪れているのだ。歩いて移動するというよりは、魔法陣をうまく活用して、飛び飛びに移動しているのかもしれない。そのせいか、道は使われている様子もなく汚れが無く、綺麗だった。乾いた土の上に成り立つ町のため、風によって若干砂塵は舞うが、それ以上に汚すものはなかった。