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「明日はどうする? どこかへ行くか? ほら、針金がどうのこうのとも言っていたし」

「ハンガーですね。それもいいですし、サクラを見てみたいとも思います」

「町へ行くのもアリだな。外の世界を見ていたら、何か思い出せるキカッケがあるかもしれない」

「町もあるんですか?」

「そりゃあな。人間族ですら、街を構えているんだ。俺たち魔族が、町や集落がないなんて、あり得ない話だろ?」

(魔族の文明を、甘く見ていましたね……)


 てっきり、魔族はすべてが自給自足。集落なんていうものはもちろんなく、それぞれがバラバラに生きていたのだと思っていた。実際、魔王の家はここにぽつんとある。もしかして、エルだけが特別で、他の魔族は固まって暮らしているのだろうか。まだまだ、夢幻島だけでも分からないことだらけだ。


「町へ行けば、他の魔族の方にも会えますよね?」

「そりゃあ、そうだろ。町なんだから。人間みたいに人口規模が大きい訳じゃないから、でかい街はない。でも、店を構えてるところもあるし、物資確保のためにたまには行かないといけないな」

「そうなんですね。それじゃあ、町に出てみたいです」

「よし! じゃあ、明日は若干の遠出をするぜ」

「はい」


 エルは立ち上がると湯呑を回収し、流し台へ持って行った。私もその横に立つ。湯呑をひとつ手に取り、エルがこちらを見て来たのでにこりと笑った。


「自分の分くらい、自分で洗いますよ」

「家事をしたがる魔王なんて、未だかつていないだろうぜ」

「それなら、私が初めてですね」

「……だな」


 ククッと声を押し殺したように、エルは笑った。ちょっとした腹筋を使って笑うと、かかっているタオルで手を拭いた。場所を代わってもらうと、今度は私が湯呑をゆすぐ。それを、水切り場のようなところに置いた。後は自然乾燥する。


「あっという間に深夜だなぁ。毎日が早くなってきた」

「なってきた?」


 可笑しな言い回しだと思い、ふと私は問いかけてみた。すると、エルは右手で後頭部をクシャクシャっと掻き乱す。また、照れているような、喜んでいるような表情に見える。


「魔王に置いていかれ、ここでぼっちになってから。1日が経つ時間が長くて長くて……しんどかった」

「……エル」

「独りで居るときと、魔王が居るときでは、こんなに時間の経過の感じた方が違うんだな。俺、初めて知ったよ」

「…………そうですね。ひとりだと、1分1秒がとても長く感じます。まるで、永遠に夜が明けないくらいに遠く……静かで虚しく、寂しい時間が続きます」

「……魔王も、そうだったのか?」


 俯いた。その視線の先にあるのは床。だが、今思い描いている姿は弥一の頃。大学を出てしばらくの間、独りで暮らしていたときのこと。まめもまだ居ない。本当に独りだった頃の自分を見つめていた。

 自身で選んだ『独り』であっても、やはり心が冷えていくし、会話をすることもないため、虚しさは拭えない。しかし、エルの場合は私とは状況が違う。好き好んで『独り』を選んだのではない。突然、隣に居たはずの兄が消えてしまえば、どれだけの喪失感に襲われたのか。そんなものは、想像を絶する寂しさがあったに違いない。

 何年もの間、私はエルを独りにしていた。この家を出た記憶も無いが、私はきっと、エルの兄であり魔王なのだと、段々認識しはじめている。それならば、エルを孤独にしてしまったのは、私なのだ。現実から目を背けることはしたくない。私はエルに頭を下げた。


「魔王?」

「エルを孤独にしてしまった事を、申し訳なく思います」

「……仕方ないさ。何か、理由があったんだろ? 何なのか教えてもらえたら、それは嬉しいけど……今のところ、お前にはまだ記憶がないみたいだしな」

「はい……でも、もし思い出すことがあれば、私の握っていることをすべて話したいと思います」

「そのときが、来たらいいな」

「はい」


 背丈の低いエルは、足の爪先に力を入れて背伸びをした。そして、右手を上に伸ばし、私の頭にまで伸ばした。撫でる、まではいかないが、軽くちょんちょんと前髪に触れる。


「そこまで気にすんな。過ぎたことだし、今はお前が帰って来た。それだけでいい」

「この世界を一度旅立ち、戻って来たことの意味を……私は知りたいと思います」

「旅立ち……って。日本のことは、夢の話じゃないのか?」

「夢かもしれませんが、そうではないのかもしれません。ただ、何かしらの繋がりはあるのだと私は思っています」

「また、日本へ行きたいとか……思ってる?」

「いいえ」


 私はキッパリと否定した。それは、私の意思がどうであれ、二度と戻ることがないと分かっているからだ。私はあのとき、あの瞬間に雷に打たれて死んでいる。これは、紛れもない事実だと思っている。それならば、死んだ身体に戻ることなど不可能。それなら私は、この地で魔王として生き抜きたい。これが、第二の……あるいは、第三の人生のはじまりとなる。


「私はもう、日本人ではありませんから」


 ひと呼吸おいて、私はしっかりとエルの眼をみて応えた。


「私はイチルヤフリート・ヤイチ。この世界の、魔王です」


 その答えを受け、エルは嬉しそうに目を輝かせた。息を吸いこみ、肺が膨らむ。そのあと、とびっきりの笑顔を見せてくれた。


「おかえり、魔王!」

「ただいま、エル」


 まだ、記憶も混濁している。いや、濁るほどの情報量もない。それでもこれから先、私はこの家を拠点に争いをいかに避けるかを模索しながら、生きていく決心はついた。帰れない日本を思っていても仕方がない。日本で得た情報を、この世界で活かせるだけ活かしたい。そして、真の平和というものを、築いてみたい。

 ただの個人だったならば、そんな目標を持たなかっただろう。私に『魔王』という役割を与えられたことに意味を見出すには、行動するしかない。

 仏の道を歩きながら、見て知り聞いて知り、感じて知ることで得て来た感覚を活かすチャンスを、ファンタジーな世界で得られたのだ。手を合わせて来たことで、この世界に導かれたのだと信じたい。

 真の平和を得るにはまずは、魔族の中で支持を得なければいけないだろう。町へ出かければ、エル以外の魔族と対面できる。レキスタントグラフの世界で、ぼんやりとした姿なら見えたが、色までは分からなかった。皆、緑の髪と赤い眼。そして、角を持っているのだろうか。町に、毛染めの薬品が売っていれば尚更いい。


「さ、寝るぞ」

「おやすみなさい、エル」

「ん、おやすみ」


 私が個室に入ろうとすると、エルはそれを確認してから居間の片すみの簡易ベッドに寝ころんだ。私はそれを見てから、個室の扉を閉める。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……。

 外から水音が聞こえてきた。


 雨だ。


 次第に強く降って来る。冷え無いようにと、布団にもぐった。布団の中に入ってしまえばそれなりに温かい。エルも、冷えていないだろうか。そんなことを思いながら、私は夢の世界へと誘われた。


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