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「さぁさぁ、早くしてくれ! ヨウ軍は待ってはくれねぇーぜ!?」
「そうは言われても。動きにくいんですよね、このローブ。ちょっと、脱いでもいいですか?」
「は!? 待てまて!!」
私が立ち止まり、胸元の赤い色の留具に手をかけたところを、エルは慌てて止めた。勢いよく前を先導していたというのに、私がローブを脱ぐ仕草をするや否や、ものすごい速さで私のところまで戻って来る。思わず私も、留具に伸ばしていた手を引っ込め、エルの顔に眼を向けた。背丈が低いこともあって、女の子のように見えるその容姿には、触れないようにする。これくらいの年頃の少年は、そういう偏見を嫌う傾向があることを、私は理解しているつもりだ。
それが、エルの個性だと私が認めたとしても、本人が認めていないのであれば、触れる事はやはり法度なのだ。他者から認められ、自分自身でも認められたとき。そこでやっと、お互いに理解を得たことになる。片方だけの意見を通そうとするから、世間でも大きかれ小さかれ、問題が起きる。
「何を待てばいいんでしょうか?」
「ローブは脱ぐな」
「ですが、重いし動きづらいし。速く走ることも難しいですよ?」
「いつものように、浮かんで移動すればいいだろ?」
「浮かぶ?」
私は手を折り曲げた。左手で右腕のひじを掴み、右手の人差し指で顎に触れた。
魔王ともなれば、重力を無視して地から足を浮かばせることも可能なのだろうか。しかし、私にはそれをどうすれば実現させることが出来るのかが分からない。エルに聞いてみてもいいのだが、それではますます私を『魔王』ではないと訝しむものだろう。私としては、魔王でないなら無いほうがいい。変な肩書が欲しくて、極楽浄土……もといい、不思議なメルヘンの世界へ降り立ったのではない。ただ、エルが私を兄とし、『魔王』だと主張するのであれば、私はその力を使って最善を尽くしたいと思う。
現世で、やり通すことが叶わなかったこと。
それを、この世界で成すことが出来れば……私も救われる。
「ローブを脱いではいけない理由は、また次の機会にでも教えてくださいね」
「それ、マジで言ってるんだったら、かなりヤバいからな? 魔王」
「はは、それは困りましたね」
「ほら、急げ!」
「頑張ってみましょう」
浮かぶことは、今の私には出来そうにないので、なんとか走ることにした。履物も黒のブーツ。普段、裸足で草鞋しか履いていなかった私には、足を覆いすぎで居心地がよくない。地面もきちんと舗装されている感じではなく、小岩がゴロゴロしているため、余計に走りにくかった。
私よりも簡素とはいえ、やはりローブであるエルは、慣れているものだ。まるでこの地面がコンクリートで舗装されているかのように、足場の悪さを物ともしない。歩幅だって、彼の方が短い。その彼から離され始めるくらいの距離で、なんとか駆け足を続ける。
(やれやれ……息が切れますね。まだ、先なのでしょうか)
口に出してエルに問わなかったのは、その余裕とスタミナすらなかったからだ。エルが足を止めないということは、まだ先があるということは決定的である。
毎日山道を上って下りてをしていたことで、ある程度の筋力と体力はつけてきたつもりでいたし、健康体を自負していた。この魔王の姿が、私には合っていないせいなのか。それとも、私が過信していたのか。
泉から離れて、何キロほど離れただろうか。経過した時間と、スピードから計算すると、軽く十キロ以上は走ったと思う。疲れはしているが、ぜぇはぁと息切れしていない点は、修行の賜物か。魔王の持つ、チートスキルなのか。ここまで来て、ようやく立ち並ぶ木々に終わりが見えた。前方に広がるのは淡泊な薄い青の空ではなく、深みのある青色。水平線だと私は判断した。
「この先が、海ですね?」
「そうだよ。よかった! まだ、ヨウ軍もギリギリ来ていないようだ…………っち、そうも言ってらんねぇか」
「うん?」
砂浜まで到着すると、幾分か先の海の上に、五隻の木造船の姿を確認できた。青色の帆を立てている。あれが、ヨウ軍のシンボルなのだろうか。四隻の船が先行し、その後ろを一隻が追いかけている。その一隻だけは、より頑丈なつくりをしているところを見ると、大将が乗っているのかもしれない。
「魔王。撃ち落としてやってくれよ! 上陸されたら、面倒だ。何より、俺たちの神聖なる大地が穢れる!!」
「撃ち落とす? それは、穏やかではないですね」
「これは戦争だ! 殺るか、殺られるか。さっさと狩って、人間たちに俺たち魔王族の誇りを掲げ、鉄槌をくだしてやるんだ!!」
「……エルは、人間から何かをされたのかい?」
魔族。私たちは『魔王族』に位置するらしい。魔王族と人間は、何故そこまで対立しているのか。種族が違うだけで、争いは……残念ながら起きてしまうことを、私も知っている。地球のという小さな星の中ですら、争いは絶えなかった。真に平和なときなどない。世界規模でみても、肌の色、目の色などで人々は区別し差別し、罵る。身体や精神的障害を前にして、叩かれる。人間世界だけではなく、動植物の世界でも、やはり捕食者と被食者に分かれピラミッド化されている。食物連鎖もまた、殺生のひとつ。
しかし、避けられない争いは仕方が無いにしても。
しなくてもいい争いならば、それを選択しないという手だてがある。
「人間は、力も能も無いくせに、でかい顔をして世界を統一……いいや、侵略しようとしている! 魔族ならまだしも、俺たち魔王族にまで侵攻して、ただで済ませるものか!!」
「それなら侵攻が止まれば、少しはエルの気持ちは収まるのかい?」
「まぁな。だから、一刻も早くアイツらを……人間国で最もでかいヨウ軍を滅してくれよ、魔王!!」
「…………ふむ」
エルは足を止めている。そのため、私だけがひとり前に進む。こうして話をしている間で、随分と船との距離も縮まった。ここから叫べば、相手の船に声も届きそうだ。
「ヨウ国軍。魔王らしい私から、お話があります」
自らを『魔王』と名乗るのは、まだ恥ずかしいため、私は不確定要素を含ませた。そのまま、後を続ける。
「魔王、イチルヤフリートか?」
「えぇ、そうらしいです」
四隻が動きを止め、後ろの一隻も合わせて止まった。その一隻の甲板には、漢らしい男が立っている。二メートル近くありそうな身長で、四肢の筋肉も充実している。声も野太く、しっかりとしていた。茶色の髪を短く切り、細くきりっとした眼の色は深みのある青。
「我らがヨウ国に、宣戦布告をしに自ら来たというのか?」
「宣戦布告などしませんよ。ただ、宣言と。お願いがあり海岸まで来ました」
「ちょ、魔王!? 何下手に出てんだよ! さっさと焼き殺せ!!」
「弟は、血気盛んな年頃ゆえ。口が悪いことをお詫びします」
「…………」
黙ったのはエルではなく、ヨウ国軍のおそらくは将軍だろう男。立派な剣を携えているのも遠目で確認できる。将軍が割と礼節があり、無鉄砲な攻撃を仕掛けてこなかったのは、私としてはありがたい。私は深く頭を下げた。その様子に、エルは驚く。
「魔王!?」
「私たち魔王族は、権力と武力を放棄します」
ザワザワザワ…………!!!!
波風が立つと同じように、この場に居る全てのものが一斉に戸惑いを見せた。私はそれを確認してから、ゆっくりと顔を上げる。そこには、信じられないといった顔をするエルと、ヨウ国の兵士が居る。しかし、これでいい。大きな力の前では、こういった争いは必ず起きてしまう。手を出さないと言っても、心底信じられないうちは、それだけで圧力にもなる。私はそんなものを、好みたくない。私がこの世界の『魔王』であるのならば、私が魔王として出来ることを。誰に対しても優しい道を模索したい。そう考えた結果が、この行動となった。