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「この、一番北側にある大陸が、夢幻島。俺たち魔族と魔王族が生きている島だ」
「一番北なんですね。それできっと、寒いのでしょうね」
「で、その下にあるがヨウ国。シュクール大陸にある」
「大陸の名前もちゃんとあるんですね」
「当たり前だろ。で、その北東にあるのがジクヌフ国。ローバンヌ大陸だ」
「カタカナが多くて、覚えにくいですね。あぁ、カタカナではないんですよね。そう感じるだけで」
「? なんの話だ?」
私の言葉を受け、エルは不思議そうな顔をしている。つい、日本での記憶が懐かしく、物事を日本に置き換えて考えてしまう。私の魂は日本での経験値も積んでいるが、エルにとっては全くの別世界。その知識や記憶が無いのは当然だ。私は軽く頭を下げた。
「あ、いえ。なんでもありません」
「そうか? じゃあ、続けるぞ」
「お願いします」
エルはヨウ国の下にジクヌフ国と、もうひとつ丸を描いて見せた。今度はそこを指さす。
「ここがバムー国のあるクタトル大陸になる。無能な人間が統治する世界は、この3つの大陸になる」
「3つの大陸にしか、人間はいんですね。他にはもう、生命は存在しないんですか?」
「いや……」
エルの歯切れが悪くなった。何か、問題でもあるのだろうか。私は首を傾げた。この感じだと、まだ大陸はありそうだし、種族も存在しているように見て取れる。
「まだ、大陸はある。種族もまだいる。でも、今はそれ以上を知らなくていい」
「そうですか」
「……なんだよ。あっさり引くんだな」
「エルが、今は時ではないと思うなら、私が強く知ろうとすることは間違っていると思いますので」
「…………信じてくれてるんだな、俺のこと」
情けなく、申し訳なさそうに眉を下げぽつりと呟いたエルの言葉を私はきっちりと聞き取った。それを受けて、ゆっくり頷く。エルのことを肯定するためだ。
「もちろんです。信頼を置ける弟ですよ、エルは。それに」
「?」
もったいぶって、私は微笑みながらエルの眼を見た。エルは次の言葉を待っている。
「エルは、信じて良い魔族です」
「…………そっか」
エルは、何か憑き物が取れたかのようにさっぱりとした顔をしてみせた。その顔を見て私もホッとし、安堵した。どかした皿をもとの位置に戻して、エルは残りの肉にかぶりついた。それ以上何かを語る訳でもなく、ただ美味しそうに、嬉しそうに咀嚼を続けた。私もまだ完食していなかったので、再度手を合わせてから食べきった。
私の方が先に食べ終わっていたので、エルが食べる様子をにこにこと楽しみながら見届ける。エルは、この視線に気づいていないのか、気づいているのか。はにかみながら完食した。揃って手を合わせる。これは、私たちの中で定着した感謝の印だ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさん!」
立ち上がるとエルは手早く私の皿を回収し、自身の皿の上に重ねて洗い場に運んだ。ヘチマの繊維のようなタワシで、カシャカシャと洗いはじめる。溜めておかずにさっさと洗うスタイルはいい。私も、自炊していた際にはすぐに洗う派だった。溜めた所で、誰かが洗ってくれるわけでもないので、早めに片付けたくなったのだ。
「魔王。風呂、沸かして来るぞ。準備は良いのか?」
「はい、お願いします。でも、もし可能なら……」
「ダメ。これは俺の役目なの。お前はじっとしてろ」
「やっぱりダメですか?」
「ダメ」
魔王は頭が固いと言うけれども、一番固いのはエルではないのかと疑ってしまう。私もエルも、性質が同じなのかもしれない。それはそれで、ちょっと嬉しい案件だ。兄弟なのだから、違ったところばかりよりも、似た要素があると安心する。兄弟とは、見えない絆で繋がっているのだろうなと私は感触を得た。
外へ出て行ってからしばらくして、エルは部屋に戻って来た。やはり、お風呂を温める薪は外にあったようだ。
「さみぃ。この時期からしばらくは、冷えるんだよなぁ」
「エル。先にお風呂入った方がいいですよ。風邪を引きますよ」
「言っただろ? 俺は最後に入って風呂を洗って出たいの。魔王から入れよ」
「ですが……」
「いいから。さっさと入って来い」
ビシッと風呂場の方を指さして、エルは口調強めに言い切った。それなら、早く風呂に入って出た方が、エルもすぐ温めると考え、私はお言葉に甘えることにした。半袖のローブのため、暖炉が組んであるとしても、若干冷えてはいた。
「それでは、先に失礼しますね」
「おぅ。ゆっくり浸かって来い」
「はい」
脱衣所に向かうと、タオルが既に置いてあった。バスタオルが2枚。1枚ずつ使っていいのだろう。脱衣所に入り扉を閉めようとした……その瞬間。ガタガタ……という音が鳴った。何かと思い、私は一歩踏み入れていた足を引き戻し、もう一度廊下に出た。見た所誰も居ないが、何かが居る。そんなちょっとした波動を感じとっていた。人の気配が間違いなくある。
「エル?」
「ん? なんだ?」
エルの気配とは違う。もっと静寂としていて、もっとドロドロとしたようなイメージ。他者を寄せ付けないような、圧倒的な高圧的なエネルギーがピリピリと肌に伝わって来る。この地に来てから、はじめて感じた『脅威』だった。
「敵が居たり……しませんか?」
「敵!?」
私の言葉に強く反応したエルは、座っていた椅子から慌てて飛び出し、私の元へ駈け込んで来た。姿勢を低くし、敵の存在を確認する。
「……どうですか?」
「…………いや、俺には感知できないけど。魔王はどうだ? まだ、何か気配を噛んているか?」
「…………」
私は、周囲を見回してもう一度確認してみた。心臓がバクバクと音を立てていたのも、随分と落ち着いてきた。脅威だと感じた圧力も、無いように思われる。勘違いだったのかもしれない。脅威だとすれば、誰なのか。どうやってこの地に攻め入って来たのか。説明はつかない。首を横に振った。
「すみません。気のせいだったのかもしれません」
「……だけど、魔王の勘は鋭いからな。気のせいじゃなかったんだと俺は思う」
「人間族が、隠れているのでしょうか?」
「さぁ、何とも言えないけど……もし魔王が脅威だと感じたなら、人間族じゃないと思う」
「そうだとすれば、誰…………?」
エルは難しい表情をして、眉を寄せた。即答せず、幾つかの可能性を考えているのか。それとも、ひとつの決定的存在が頭に浮かび、その可能性を否定したいのか。私には分からないが、エルにとっては深刻な問題が発生したのかもしれない。
「今は、なんともないんだよな?」
「はい」
「じゃあ、さっさと風呂に入っちまえ。何かが起きる前にな」
「物騒な物言いですね」
「注意して、損することはないからな」
「たしかに。分かりました」
私は再度脱衣所に入った。ローブを頭からすぽっと脱ぎ捨てる。エルはしばらく、脱衣所の前に立って、何かをまだ考えている様子だった。真剣な眼差しをしているため、声を掛けづらい。私は裸になればすぐに風呂場への引き戸をガラガラと開けた。そして閉じれば、個室の出来上がり。エルの姿も見えなくなる。
しばらくして、脱衣所の扉も閉められた。それは、エルが閉めたのだろう。早めに風呂から上がり、エルと交代しようと思う。私は程よい湯加減に満足し、肩までしっかりと浸かった。




