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「いただきます!」

「いただきます」


 フライパンで炒めるには、菜箸を使っていたが、食事はやはり手だけで食べるようだ。箸もなければ、フォークもナイフもスプーンもない。エルは男前に肉の骨部分を掴み、ガツガツと歯で肉を引き裂いて噛み砕く。口を閉じた状態でしっかりと咀嚼し、味わうようにしばらくそれを続ける。ひとかぶりにつき、1分は噛んでいる。胃腸の消化にも優しい食べ方だ。私もそれを真似て、骨が出っ張っている部分を右手で掴み、かぶりつく。カレー粉のような香辛料のせいか。昨晩よりも手にねったりと取りつく。香りはカレーのようだが、実際にはちょっと違った風味だった。カレーほどの辛味や刺激はなく、まろやか。味噌ベースと言った方が近いかもしれない。味噌だと思うと、懐かしい味わいだ。


「どうした? 魔王」

「とても美味しいと、思い耽ってしまいました」

「大袈裟だなぁ。こんな男飯、誰にでも作れるだろ?」

「作れないですよ。今度、教えてください」

「だから、お前の身辺のことは俺がやるってば。今までだってそうしてきたんだし」


 手に持っていた肉を一度更に置くと、私は首を軽く左右に振った。その眼はやや細め、ありがたみを込めながらも、自身の気持ちを伝える。私が肉を置いたことによって、エルも皿に肉を置いた。


「今まではそうだったかもしれません。ですが今、私は変わりたいと思っています。過去の固定概念を貫くのではなく、周りに打ち解け、理解されたいです。そして、私も周りを理解したいと思います」

「…………ほんと。頭が固いところは、魔王のままなんだよな。俺の知る魔王そのものだ」

「断言はできませんが……私は、魔王だと思います」

「っ……ハ。なんだそれ」


 エルは再度吹きだし、笑い飛ばした。コロコロと変わるエルの笑顔は愛らしい。おしとやかな可愛らしさはほとんどないが、まだまだ少年がはしゃいでいるような天真爛漫な笑顔が映える。相手が笑ってくれているのを見ると、とても安心するものだと気づかされた。学生時代も親しき友と呼べるような仲まで深まった同級生もいない。残念ながら恋人もいない。色恋沙汰よりも、のんびり公園を散歩したりする方が好きだった。日本人らしく神仏習合を信じる家庭で育ち、神や仏に対しての信仰心は決して厚くはなかった。そこでたまたま目に留まったのが、大学の全学部共通科目のひとつにあった『宗教論』だった。その講義がなければ、私は仏様に手を毎日合わせることもなく、平々凡々に学生時代に別れを告げ、どこかの企業に働きに出ていたと思う。父は出世道から外れたサラリーマン。母も共働きで事務仕事をしていた。その背中を見て育った私が、優秀な企業に入る自信はない。親は親、子は子だとも思うが、その壁すら越えられないほど私は弱虫だった。


(変わったものですね、私も。こんなにも頑固になるとは、思っていませんでした)

「ほら、魔王。冷めるぞ? あったかいうちに食べちまえ」

「そうですね。せっかくの焼きたてですもからね」


 肉を片手に持ちながら、私はふっと息を吐いた。今が幸せで、この幸せが続けばいいとしみじみ思う。これが極楽浄土であったと言われても、すんなりと私は信じる。ヨウ国やジクヌフ国と戦争していることは目で見たし、エルからも聞いている。つまりは、戦時中なのだ。本当の平和は、まだまだ先にならなければ掴めそうにないが、均衡状態をなんとか保っているのであれば、誰も苦しまず、悲しむことのない平等で優しい世界を臨めるかもしれない。


 いや、その世界を築かなければならない。

 私、イチルヤフリート・ヤイチには、それが出来る。


 私はそれを、強く信じていた。

 信じようと努力することを決めた。

 その覚悟を決めさせてくれたのは、やはりエルの優しさである。


「エル。この近辺には、まだ知っておいた方がいい場所や、守るべき風習などありますか?」

「お前がどこまで覚えていて、どこまで知らないのかが分からないからなぁ……だけどまぁ、まだまだ多いんじゃないか?」

「そうですよね。夢幻島って、どれくらいの規模の島なのかも知りたいです。あ、島……ですよね?」

「島だぜ? 丁度いいから、大陸の話くらいは聞いとくか?」

「教えてもらえると嬉しいです」

「お安い御用だぜ」


 私に頼られるのが嬉しかったのか。より一層輝いた目を見せてくれた。パァァァ……と光が差し込んだ目は、誰が見ても気持ちのいいものだ。見ていて清々しい笑顔はきっと、この先この世界を照らす光のひとつになるだろう。少年のようで、実際には40年の時を生きているエル。子ども扱いをしては怒られそうだが、私が60歳といわれているので、その私から見たらエルは子どもとして見てもいいか……。若い世代に可能性があることは、希望が強い。

 私はふと、エルの言葉を思い出していた。


“人間は穢れている。だから、陽の光の恩恵を受けたいんだ。でも、俺たち魔族は違う!”

“その光と恩恵を、魔族が誰よりも受けていた”

“魔族は、人間に負けたんだ”


 魔族と言われると、暗い印象が浮かぶのは差別的思考だと思う。それを目の前で証明してくれているのがエルだ。もともとは太陽の恩恵を誰よりも魔族が受けていた。しかし、光を求めて争いが勃発し、『魔法陣』などという非科学的な力を持った魔族が敗北しているのは驚きだ。その当時の魔族は、今のように黒い長そでのローブなんて着ていなかったのかもしれない。人間に負けたことで、魔族は逃げるように光を避け、影の中へ溶け込んでいった。

 その魔族が、再度戦いに向けて動き出したのは、どれほど過去へ遡ればいいのだろう。エルも語っていたが、太陽とは誰に対しても平等であるべき光なのだ。争い、権利を制限することは間違っている。それを誇示し続けることも、奪い取ろうとすることも、どちらの行動も間違っているといえる。


 『共存』の選択肢の一本化。

 『光』を分け合う努力。


 私たちはきっと、まだやり直せる。


「なんだ? 聞きたくないのか?」

「いえ、教えてください」


 私がついエルの言葉を思い出していると、少しの間が生まれてしまった。エルはひょいっと身を乗り出してきた。


「じゃあ、はじめるぞ?」

「はい」


 エルは木で出来た歪な皿を、正面から左へ動かした。前を隔てるものがなくなると、指で机の上を丸でなぞる。丸がきっと、この世界。この星の形を意味しているのだと思う。頷くだけ頷いて、私はエルの言葉を待った。

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