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黙っていてもよかったが、何となく問いかける選択肢を私は選んだ。エルには、隠し事や遠慮をそこまでしたくなかった。一度壁をつくりはじめると、その壁の厚さは次第に増し、更にはその高さも高くなる。越えられない壁が出来てしまっては、今後コミュニケーションをとりたくとも、お互いに遠慮し合って本音が語れなくなってしまう。私は、そんな冷めた関係性を望まない。特に兄弟であるならば、協力し合って生きたいと願う。
「エル」
「ん?」
「何故、魔王の所有物であるリチウスのブローチをエルが管理しているんですか?」
「……あぁ」
「いえ、構わないんですよ? ただ、単純に気になってしまっただけですから」
「俺も別に、隠すものはないから話すけど。記憶を失くして行方知れずになっていたお前が、最後にこれをテーブルに置いていったんだ」
「私が?」
「そうだ。冷え切った朝。お前は忽然と姿を消した。誰かに何かを語りもせず、行方知れず」
「探してくれたんですね」
「探したさ………ずっと。探し続けた」
その一言は、とても深みがあり大きな意味があった。
エルはずっとこの世界で私を探し、待ち望んでくれていた。
日本という世界で雷に打たれ、絶命した私は、エルに呼ばれて息を吹き返したのかもしれない。元々が『イチルヤフリート・ヤイチ』の魂であり、この世界から消えた後に『弥一』として蘇る。そしてさらに、弥一としての命が尽きた後に、生まれたこの地に魂が戻って来た。そういった仮説を私は立ててみた。それなら、諸々の事情もつじつまが合う。
魔法陣を読み取れないのは、長い年月この地から離れていたため、忘れてしまったのではないだろうか。ただ、日本でいう平仮名くらいの文字の読解能力はそのまま引き継がれ、それゆえにエルの言葉やヨウ国の言葉を理解できているのかもしれない。
この家に、そこまでの記憶や思い入れは今のところないし、一番奥の開かずの部屋の存在も覚えていない。家の間取りまで忘れてしまうものだろうかと疑念は残るが、ある程度の予想は合っているような気がしている。
「エル」
ゆっくりと丁寧に、弟の名を口にした。その瞬間、畏まった私の様子に驚いたのか、エルは目を開いた。
「な、なんだよ。急に改まっちゃって」
「待たせてすみませんでした」
「あぁー……いや、いいんだ。こうして魔王は帰って来た。それでいい」
「でも、何年もたったひとりでこの家と夢幻島を守って来たんでしょう? 魔王の弟ともなれば、周りからの態度も変わっていたでしょうし」
「そりゃあ、魔族の奴らからすれば魔王の血族である俺は、それなりに特別な存在なんだろうな。でも、それは俺としては誇らしい区別さ」
「なぜ?」
「なぜって……」
今度は笑ってみせた。エルは得意気に目を細めて口角をあげる。キラキラとした視線を私に送ってくれた。エルの笑った顔は優しくて元気であり、温かい。初めて会った『魔族』がエルだったことは、幸運だった。私に対して変な先入観を持たせない。エルの優しさは、この世界の多くの『魔族』を救うことになると思う。
「俺は魔王の弟なんだぜ? それが誇りじゃなければなんだっていうんだよ。世界で一番信頼している存在が、魔王なんだ!」
「……私は、あなたに好かれる魔王であり、兄でありたいと思います」
「ついに、人間族と対峙する決意が出来たのか?」
「それはまた、話は別です」
「だろうな!」
エルは、心底愉快そうにハハハ……と声をあげて笑った。とても機嫌がいい様子。レキスタントグラフを前にしていたときは、窓の向こう側に居た魔族の怒り具合もあって疲れていたが、それも随分と和らいだように見える。それを見て内心私もホッとした。つい、口元には笑みが浮かぶ。ふたり揃って笑いあう。誰かとこうして過ごすことはとても久しぶりのことだ。
18歳で高校を卒業し大学に進学する際に、実家を出てアパートの下宿生活をはじめた。4年生で無事に卒業すると共に、私は山へひとり引っ越して俗世間から離れた生活を送った。両親とは結局、大学時代に数回帰省した際に会えたくらいで、まともに話もせず死別してしまった。共に生きたのは、捨て犬だった『まめ』のみ。一緒に捨てられていた黒の豆しばの子も、助かればよかったのだが……発見が遅かった。せめてまめだけでも、寿命を全うするくらいに長生きしてもらいたかったが、それも叶ったのか叶わなかったのか。結末を知れずに私が先に逝ってしまった。弥一の人生中で、最も悔やまれるのはその件だ。拾ったからには、まめの最期を看取るまで、責任もって共に居たかった。
「魔王?」
「え、……どうしましたか?」
「お前、たまーにそうやって暗い顔するよな。どこか、具合が悪いとかあるのか? リクトルの泉の前に居たってことは、何かを治療したかったんじゃないのか?」
リクトルの泉。
人間にとっては『毒』であり、魔族にとっては『良薬』となる成分。
「今のところ、どこも気になるところはありませんよ」
「本当か? じゃあ、なんでそんな顔するんだよ」
「これは…………」
語ろう。
エルには、隠し事をするのはやめようと、私は決めた。長い年月を独りで生き、兄である魔王を探し続け、待ち続けた弟に対して、誠意を見せなければ私は自分自身を赦せなくなる。どうやってこの地から日本へ飛んだのかなんて分からない。一生分からないカラクリかもしれない。それなら尚更、確定要素を探すためにも、私はエルには自身のことを伝えていこうと決めた。
「日本に居たと、言いましたよね」
「夢の世界な」
「実際に、夢だったのかもしれませんが……私はそこで、“まめ”という名をあげた犬と一緒に生きていたんです」
「まめ?」
「豆しばという犬種だったので、“まめ”です。安直な名前ですね」
「日本で、そのまめってのと暮らしていたのか?」
「はい」
「…………」
やや目を陰らせたのは、エルの方だった。エルにとって、『日本』での出来事は許せないものなのだろうか。それとも、『夢』の世界ばかりを語る兄を好きになれないのか。あるいは、両方なのか。何かを言いたそうな表情をしていたので、私は言葉を先に述べるのではなく、エルの言葉を待った。
 




