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 私の問いかけを受け、まだ窓の向こう側に居る魔族たちは返事をしない。誰が一番に言葉を発するのかと、他力本願になっている様子でもある。それだけ事が重大なのだろう。誰だって、むやみやたらに責任を取りたくはないはずだ。好き好んで厄介ごとを請け負えるひとは、そういない。

 どれだけ経ったか。エルも黙っていたためこの場の静寂な空気は変わっていない。しかし、このまま突っ立っていても何も変わらない。そう考えた魔族の誰かが、ついにこの沈黙を破った。


≪魔法陣を扱える程度で、魔王として認められることはない≫

≪そうだ! 魔法陣なんぞ、魔族であれば誰だってこなせる術だ。それをエサとして天秤にかける事は馬鹿げている!≫

≪魔王としての条件には到底なり得ない!!≫


 エルは何も言い返さなかった。感情的になっては、余計にこちらの分が悪くなると考えたのかもしれない。魔王に対して献身的ではあるが、場の空気を読み、闇雲に答えを焦ることをやめた。賢い選択だと思う。


「それなら、どうすればあなた方は私を認めて下さるのですか? このままでは、人間との共存どころか、魔族と魔王族の共存も難しい状態です」

≪難しくしているのは、お前でしかない≫

≪お前が“嘘”を続ける限り、我々に救済の術はない!≫

「本当にそうでしょうか?」


 煽るつもりなど、微塵も無い。

 ただ私は、問うことをやめられなかった。


 それは、争いを生むためではない。

 分かりあうための、未来への探りだ。


「私は、皆さんを従えたいがために、魔王としての地位を守ろうとしているのではありません。私が命を失うことで、あなた方の平和と人間種族の平和が約束されるのであれば、犠牲になる道も考えられない選択肢ではありません」

「魔王!?」


 勢いよく声を上げるエルに向かって、私は右手の人差し指を立てた。『静かに』の意図をこめている。エルは私の動作を前にして、ピシッと身体を硬直させた。その瞬間に空気を吸い、吐くことを忘れてそのまま口を閉じる。エルが黙った様子を確認してから、私はもう一度窓の方に向き直る。先ほどよりもまた、彼らの姿がハッキリとしてきたような気がする。目が慣れてきたせいなのか、それとも私の中に流れる『魔族』の血がそうさせているのか。私はただの人間ではないことだけは、自身で認識できるようになった。そもそも、見たことも無い髪色と目をしているだけでなく、角まで生えているのだ。人間として主張することのほうが厳しい。


≪得体のしれぬお前なんぞ、いっそのこと自害しろ!≫

≪我らが魔王を取り戻すのだ!≫

「やれやれ…………あまり、この手だけは使いたくなかったのですが。止むをえませんね」

≪な、何をするつもりだ……!?≫


 私は両手を前に突き出した。その先には窓がある。ほんのり手の平が熱くなって来たのを感じた。そのまま意識を集中させる。


「南無」


 突き出した手を、静かに重ね合わせ、目を閉じる。そこから私は、般若心経を唱え始めた。自分自身を落ち着かせるためと、すべては空であり、空がすべてであるのだと伝えようとした。この世界に、般若心経があるとは思えない。私は、仏の道を歩んではいたが宗教家ではない。自身の考えを、無理に押し付ける真似は出来なかった。ただ、伝わるものがあるといいと願いながら、読経を続ける。

 目を閉じながらの読経の為、窓の向こう側の魔族がどんな表情でこの時間を過ごしているのかは分からない。ただ、どよめいていた彼らの声は鎮まった。エルもまた、静かに時間が過ぎるのを待っている。


 シュルシュルシュル……。

 不思議な音が鳴る。

 その刹那。

 チリン……という高く透き通ったお鈴の音が耳に響く。


≪何の詠唱だったんだ……≫

≪この世の者とは思えない≫

≪魔王にしか受け継がれない術か……?≫

「魔王……?」


 ゆっくりと、しっかりと目を開ける。広がった世界は、先ほどよりも赤く輝いている。般若心経に反応したとは思えないが、何かしらの力が加わった様子。私は合掌した状態で、礼拝した。気持ちが落ち着くのと同時、場の空気も清浄化されたように見える。

 私には、魔力などなかったとしても、こうして毎日仏様にお経をあげた経験がある。魔法陣を成り立たせるための術式は知らないが、読経することは可能だ。これが、私に出来る平和主義なのだろうと、自身の気持ちの整理にも繋がった。


「今のは、老魔王のところで聞いた詠唱だな」


 エルは覚えていてくれた。老魔王が永遠の眠りについた場所。切り株に向けて合掌礼拝した際にも、私はこのお経をあげた。老魔王が安らかに眠れるように、心から願った。老魔王には、エルもよくしてもらっていた感じだった。私はエルの『兄』として、エルを支えてくれた環境、支えてくれてるものに敬意を示したかった。

 誠意をもって対面していけば、此処に居る魔族たちともきっと分かり合える。私はそれを信じたい。他者に信じてもらいたいのであれば、まずは自分が受け皿を広くし、相手の話もよく聞くことが大切だ。聞いてほしいばかりでは、相手は何も聞き入れてくれない。語り掛けることも、語り掛けられることも必要なのだ。


「この地にも、祈りを捧げましょう。私は、祠をつくります」

≪詠唱できる…………か≫

≪魔族では、あるのか……?≫

≪妙な詠唱だが……確かに魔力の波動がある≫

(魔力の波動?)


 私は首を傾げた。お経にそのような力が宿っているとは思いもしない。地球で親しまれているただのお経……いや、ありがたみのあるお経。このお経で魔力が発動したなどという話を聞いたことが無いのは当然。西洋には『魔女』という存在や、『ヴァンパイア』という信じがたい生命の記録もある。ひょっとすれば、西洋でお経をあげると、魔力の解放が行われる可能性もゼロとは言わない。世界には不思議なこと、科学や数学では説明のつかない事象であふれているからだ。しかし、自分の手で魔力を生み出せたという考えには至らない。


「やっぱり…………イチルヤフリートは、魔王なんだ」

「……?」


 ぽつりと呟かれたエルの言葉を、私は聞き逃さなかった。ただ、今はそのことに触れるのはやめておこうと、第六感が働く。ふっと息を吐くと、合掌をやめ手を離した。窓の向こう側のどよめきも落ち着いた。この場は一旦、収束したといえるだろう。



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