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5つの光を放っている岩には、図形が書かれている。象形文字のようなそれはきっと、一つ一つに意味があるのだろう。5つを揃えることで、真の力を発揮するようだ。印を結ぶように光は伸びていく。5つの地点をすべて結んだ後に、その中央で輝きは一段と増した。赤い柱のような空間が生まれる。エルは両手を前に突き出し、その空間におそらく魔力を注ぎ込んだ。柱がよりはっきりと見えるようになる。それを確認すると、エルは手を広げていく。その動作に合わせて柱も広がっていく。何も無かった空間に、窓のようなものが生まれた。
「こちら、エルディーヌ。エルディーヌ・ヤイチ。来るべき時にそなえ、ネットワークを展開させる」
エルが改まっている様子は珍しい。私はエルの背後に隠れるように立っていた。逃げ腰なわけではなく、単純に立ち位置が間違っていただけだ。赤の結界の中に生まれた窓の向こう側には、どれほどの魔族が待ち構えているのだろう。
こちら側から勝手にアクセスを計っているため、もしかしたら相手はこんな結界を結んでいないかもしれない。食事中のところで、声だけ聞こえている仕様だったりするのか。興味はある。
「魔王。イチルヤフリート・ヤイチから、夢幻島魔族に話がある」
エルは後ろを振り返ると、私の顔を見た。私の登場かと、ほんの少し緊張が走る。どきんどきんと鼓動が伝わり、胸が痛い。ヨウ国軍隊の前で白旗を振っているときは、なんとも思わなかったのに、何故この結界を前にしては身構えてしまっているのだろうか。緊張する場所を間違えている気もする。
エルに促され、私はこほんと軽く咳払いをした。そして、エルの前に出ると、窓に向かって話しかける。
「えーと……こんにちは」
窓の向こう側から何かが聞こえて来る様子もなく、誰かの姿が見えるのでもない。私は独り言を呟いているような動作に慣れず、エルに視線をぶつける。
「これ、聞こえているんですよね?」
「聞こえてるから。みんな、魔王の言葉を待ってる」
「本当ですか? えぇー……はじめまして。イチルヤフリートとして目覚めました、弥一です」
私の自己紹介を聞きながら、エルが大きく口を開け、落胆するように頭を抱えて俯く様子が尻目に入って来た。そんな動作をされても……と思いつつ、私は髪の毛を掻くのを我慢し、そのまま話を続けてみた。そのうち、反応が返って来るかもしれない。
「しばらく私は、失踪していたかと思います。ですが、こうして夢幻島へと戻ってきました。その際、ヨウ国軍隊と顔を合わせることになりました」
話しているうちに、誰も居ない場所に語り掛けることにも慣れて来る。エルがいうように、記憶はないが慣れるのは早いのかもしれない。適応能力が凡人レベルだけでも存在していたことは嬉しい。
「みなさんもご存知かもしれません。私は、ヨウ国軍との戦争を放棄しました。戦う道は選べないからです」
≪魔王は帰還と共に終焉を連れて来たのか……不吉な≫
≪我らが魔王、気でもふれたか≫
≪老魔王を滅したジクヌフ国にも、復讐をせねば!≫
「音声が入るのはありがたいのですが……みなさん、落ち着いてください。私は魔族の終焉を望んでいるわけでもありません。気も確かです。ただ、どの国に対しても先制攻撃もしませんし、報復行為もしません。それだけは、断言します」
窓の奥で、どのような魔族が応対しているのかも分からない。ただ、年寄りのような声から若者の声まで、様々。老若男女が私に対して批判する声がやたらと飛んでくるようになる。
そう簡単に言いくるめられるのであれば、戦争なんていうものは起きないだろう。ある程度は覚悟をしていたところもあったが、ここまで酷いとは計算外。私は軽く息を吐いて、自分自身を落ち着かせた。
「ヨウ国軍隊は、私が攻撃の姿勢を見せずに退却すると、その後を追ってくることもありませんでした。話せば分かるものなんです。魔族も人間も、穏やかに生きましょう? この世界で同じ時の流れの中、生まれた家族のようなものなんですから」
≪エルディーヌ! 魔王は心を乱している! 我ら魔族の恥となる前に、即刻処置せよ!≫
≪我らが最強の魔王、イチルヤフリートを取り戻せ!≫
「イチルヤフリートは此処に居る。今、みんなに語り掛けているのがそうだ」
怒りの矛先は、私にではなくエルに向けられた。それだけ、魔王に歯向かうことは禁忌なのか。それとも、単に恐れているせいなのか。姿が見えていない為、相手も言いたい放題だ。
エルは、周りの誰から何を言われようと、私を非難してこなかった。エルだって、本当ならば問いかけている魔族たちと同じように、私には冷徹で合ってほしいと訴えたかっただろう。私が変なことを言いだしても、それに従う義務はないはずだ。ただ、私を兄として慕ってくれるその感情と姿勢を貫き、周りの魔族の説得にあたってくれた。
ビョウビョウと風が吹く。荒地というほどの場所ではないが、周りに木々もなく、ゴツゴツとした岩が転がっている。岩と岩の間を風が通り抜けるとき、不穏な声を上げていた。自然界の悲鳴のようなものだ。
陽も傾きかけている。影が伸びていくと、この岩場の雰囲気も変わって来る。魔族のネットワークという名が相応しいほど、冷たさを感じさせる岩場だ。
≪我らが魔王は、人間に弱さなど見せぬ!≫
≪いや、そもそも魔王に弱さなどなかった!≫
≪そのものは魔王ではない、偽りだ!!≫
「違う!!!!」
エルが声を荒げた。
その瞬間、ざわついてた魔族たちの声は一切消え、言葉が途切れる。
沈黙が訪れた。
風も強く吹きはじめる。風に乗って、砂塵が空を舞った。長い髪だ。まきあがった砂塵は髪の毛に絡まりつく。目の中にも入ってきそうだ。目が大きいエルの場合、より砂が入り込みそうだ。
エルの表情が気になって、私は目線だけを泳がせた。下唇を噛み、悔しそうな表情を浮かべていた。その眼は泣いてこそいないが、細く鋭くしている。
私の為を思って、私を立てるためにこういった場を設けてくれたエルに、このような顔をさせていいのか。いや、いいはずがない。この場を突破できなければ、私には戦争のない世界を築くなど到底不可能だ。そして、私は魔王としても失格となる。
魔王でなくなったとしても、エルの『兄』としての立場は守り通したい。私の胸の奥には、それが強くあった。一度肺から空気を出来るだけ吐き出すと、新しい空気を体内に取り込んだ。空気が冷たくなって来たのもあって、身体はリフレッシュできた。赤い光で包まれた窓に、私はもう一度語り掛けはじめた。