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「そんな顔するなって。魔王には感謝してる」
「感謝?」
叱られることなら多々思い浮かぶが、感謝されるようなことをした記憶が無い。私は首を傾げた。それを見て、エルはひとりで納得し頷く。
「俺がひとりぼっちじゃなくなった」
「…………エル」
「そんなしんみりした顔してみせんなよ。大袈裟な話じゃない」
「……感謝しているのは、私の方です」
「それこそやめろよ。俺は当然のことをしているだけだ」
ルビーの輝きを一段と輝かせ、エルは瞳を細めた。つぶらな瞳孔が可愛く光る。赤い眼という異端な色なのに、エルにはとても似合っていた。『赤』という赤とは、エルのためにあるのではないかというほど、その輝きは美しく、穢れを知らない。
まだ私は、この世界の人間種族を『ヨウ国』の者しか見ていない。茶系の髪に青い眼を持つのがヨウ国の特徴だと思われる。隊長であったキルイールを筆頭に、どの船に乗っている兵士も、茶髪に青い眼だった。髪の長さはそれぞれ違っていたが、そこまで規律を難しくはしていないからだろう。顔立ちも、エルのような美しさはない。『凡人』といってしまうと聞こえが悪いが、庶民とそうでないものに分けられる感覚はある。
「当然のこと?」
「お前は食事の前に手を合わせる。それと同じもの。俺たちは家族だ」
「……家族」
「お前にとっては、違うのか?」
「いいえ。エルは私の弟です」
私の言葉を受けると、エルは嬉しそうに顔をほころばせた。はにかんだ笑みを浮かべ、照れ隠しの為に頭をワシャワシャと右手で掻き乱す。しばらくこの優しい時間を噛みしめながら、私たちは談笑した。
エルが気を利かせて飲み物を持ってきてくれた。歪なかたちをしている湯呑には、温められた木の実のお茶が入っていた。ピンク色のお茶は、桜の花を彷彿とさせる。それこそ桜餅のような色だが、味はあそこまで濃いものではない。ほのかに甘く香る程度のお湯だったが、身体を温めるには十分な飲み物だった。ありがたく飲みながら、夜は耽っていく。
「そろそろ寝るか?」
居間には一応掛け時計があった。しかし、1時間ごとに分けられたきっちりとしたものではない。四分割で色分けがしてあった。1日が24時間だとすると、今は大体深夜の2時くらいだろう。つい話が弾んで、遅くまで起きていた。私はずっと眠っていたため、これくらいまで起きていても平気だが、エルはそうではない。エルの判断に同意し、私は頷き立ち上がった。
「随分と時間が経ってしまいましたね。寝ましょう」
「あぁ。明日か明後日には、レキスタントグラフを起動したいしな」
「魔族のネットワークですね」
「そういうこと! ほら、部屋いけよ」
「はい。おやすみなさい」
ふわぁ……と、気が抜けて欠伸をしてしまう。そのまま私は、魔王の自室に入った。入った先には本棚がある。魔法陣などが描かれた紫の本の他にも、まだまだ多くの書物があった。エルの兄である魔王……とは、私のことだが、記憶を失くす前の魔王が此処にある本は封印をしたらしい。そのため、この本を開くことが出来た私は、イコールの関係で魔王と断定された。きっとその件があってエルはより一層、私を『兄』だと信じたのだと思う。
夜も更け、月明かりがうっすら。その中で書物を読むには光量が足りない。読書に興味は惹かれていたが、またの機会にするかと、私は視線をベッドに向けた。ゆっくりと腰をおろす。堅めのマットレスだ。そこまで沈むこともなく、私はベッドに体重を預けた。真っ白なシーツの上に身体を寝かせ、掛布団をすっぽりと顔まで被る。今夜はまた、一段と冷え込んでいた。これから冬を迎えるらしい。その前に、隙間風だけは必ず防ぎたい。
木々の香りは、安らぎを与えてくれる。木造というより、『木』の中に住みこんでいるような感覚になる。
「おやすみなさい」
誰に、というわけでもなく。
私は眠りの呪文を自身に掛けるように呟く。
私は掛布団の中に潜りながら、この世界のことを考えていた。
この世界は優しいように見える。魔族と人間族の間で戦争をしてはいるが、話が通じない訳では無い。こちらが戦意を見せなければ、少なくともヨウ国は撤退してくれた。他の国もそうである保証は無いにしても、希望を持ってもよさそうだ。生命にはいくつもの可能性がある。複雑な構造で出来た生命になるほど、与えられたコミュニケーションツールも多い。魔族には、『レキスタントグラフ』というネットワークが存在していることが分かった。それを起動させるには、もちろん『魔力』が必要であり、それを展開させるだけの『術式』も必要となる。突然目覚め、この世界での記憶がない私には、容姿こそ魔王であるが、魔力の解放の仕方が見えていなかった。エルが、レキスタントグラフを扱えるようなので、その辺は任せようと思っている。後々には、私も扱えるようになっておきたいツールのひとつだ。
(エルが居てくれてよかった。エルが居なければ、今頃私はヨウ国軍に首を持って行かれていましたね)
弥一として死んだ魂の転生先は、『魔王』。
その瞬間に『魔王』としても死んでしまったら、私は仏様を恨んだだろうか。
いや、きっとその『死』すら。
私は受け入れてしまっていただろう。
(この世界の文明は、私には心地がいいものがありますね。叶うならば、まめにもう一度会いたい……それくらいでしょうか)
まめ。
弥一であった頃の、私の家族。
この世界での私の家族にはエルが居る。しかし、エルはエル。まめは、まめだった。代わりになんてなれないし、代わりだとは思えなかった。それは私への評価でもある。
エルは、私がこの部屋の本に興味を示し、ページを開くことが出来た様子を見て、歓喜の声は挙げなかった。どちらかといえば、戸惑っている様子に見える。エルは私を兄として、認めたくなかったのか。それとも、本当に本を開く私がそこに居て、心底びっくりしただけなのか。私が魔王であることを、実は疑っている可能性だってあった。
どちらにせよ、私はこの世界を生き抜くための努力をしたい。エルの兄で間違いないのであれば、兄として弟に無償の愛を注ぎたい。家族は、最も固い絆で結ばれている社会なのだ。