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「美味しいです」
「だろ!? やっぱ、木の実ばっか食ってたら、体力もつかないしな! もぐもぐ」
エルは上機嫌だ。肉が美味しいということもあるだろうし、手料理を美味しいと言われて嬉しくない者はいない。先ほど、私の寝室で見せた不安げな表情は、今はもうどこにもない。これくらい切り替えが早い頭だと、清々しい。いや、もしかしたら私を不安にさせないための振る舞いかもしれない。どちらにせよ、エルは賢く優しい少年だった。
「噛み応えがありますね。この辺りにいる小動物ですか?」
「そうそう。罠に掛かってた奴がいたから。回収してきたんだ」
「命には、感謝しかありませんね」
私は再度、手を合わせた。命を粗末にしないことは、生きていく上で、全ての生命に感謝すること。そして、大切に思うことに繋がる。肉を口にすることを禁忌とはしないが、私の生きる糧となった命に対して、ありがたみを覚える。
「最初に手を合わせただろ? まーた手を合わせるのか?」
「なんだか、こうして生まれ変わったことも含めて、感謝することが多いように思えまして」
「ふーん……まぁ、感謝することはいいことだよな」
骨を持って、かぶりつく。豪快に食べ続ける様子を見ながら、私も手掴みで骨を掴み、かぶりつく。箸や、フォーク。ナイフで丁寧に食べるよりも、『食べた』という感じがするのは間違ってはないだろう。今まで、ここまで豪快の物を食べたことはなかった。
味付けがシンプルな分、噛めば噛むほど肉の味が口の中に広がり、食べ応えがある。
「……なぁ、魔王」
「なんです?」
「魔王は、本当に戦いを放棄するつもりなのか?」
「そうですね。そのつもりでいますよ」
「…………俺や、俺たち魔族が蔑ろにされても?」
その問いかけは、いつもの元気のいいエルの声色ではなく、寂しさを浮かばせていた。私は、エルを落ち着かせたいと思うが、『嘘』を語っても仕方がない。嘘は、かえって相手を傷つける。私は肉を置いて、エルと向き合った。
「家族であるエルと、魔族たちの命の安全は守らなければなりませんね。それが、魔王としての務めだとも思っています」
「甘い考えだけじゃ、ひとつを守ることさえ出来ないんだ」
「そうかもしれません」
「“かも”、じゃない。絶対だ」
顔色は暗く落ち込んでいる様子に見える。美味しい料理を前にして、すべてを忘れられるほどの楽観主義者ではないようだ。きっと、話題を変えて食事を楽しみたいとは思っていたのだろうが、私の貫こうとしている『平和主義』に対して、納得のいかないことが多いらしい。それも仕方がない。エルは魔族として、40年間この世界で生きているんだ。急に記憶が無い状態の魔王を見つけて、海岸へ走り。そこでヨウ国軍隊に対して白旗を上げているようでは、怒れても仕方がない。私には、エルを責める権利がまるでないのだ。
「今後のことを、話し合わなきゃいけない」
「私と?」
「もちろん、魔王ともだけど……この夢幻島には、他にも魔王候補が居るんだ。彼ら魔王族と、俺みたいな魔族とも、話し合いは必要だろ?」
「たしかに、人間と話し合いをする前に、魔族の中で共通の認識を維持することは大切ですね」
「よし!」
タン!
机を叩いて、エルは勢いよく立ち上がった。テーブルに載っていた皿が揺れて、カチャンという音が鳴る。
「そうと決まれば、ネットワークに召集をかけよう!」
「ネットワーク? インターネットのようなものがあるんですか?」
エルは眉を寄せる。私が変なことを言ったかのような顔をしてみせた。
「インターネット? なんだそれ」
「あ、やっぱり違うんですね。それじゃあ、どんなネットワークがあるんでしょうか」
「ほんっとに、何から何まで覚えてないものなんだな、記憶喪失って」
「すみません」
右手をひらひらと泳がせて、エルは私を見る。ちょっと、いたずらっぽい笑みを浮かべ、得意げに手をパンパンと二度鳴らす。
「夢幻島に住む魔王族、魔族が持つネットワークは、“レキスタントグラフ”っていう。特殊な魔法陣を描いて、呼びかけることが出来る」
「エルにも扱えるんですか? その、魔法陣は……」
「それくらいの嗜みはある」
「それはよかった」
私には、魔法も魔術も魔法陣も扱えそうにない。私にしか扱えないネットワークだったとしたら、その時点で詰みとなる。本当に私が魔王として改めて覚醒するときまでは、エルの魔力に頼るしかない。エルもまた、率先して協力してくれるだろう。
「いつ、招集をかけるんですか?」
「早い方がいいだろうな。ヨウ国軍は、いったんこの周辺からは撤退したみたいだけど、長く時間をあけていたら、ヨウ国軍からの情報漏洩で別の国が攻めて来ることもあり得る話だ」
「できるだけ早く開けるといいですね」
「そのための準備を、明日はしよう」
「はい」
ニッと口元に笑みを浮かべた。エルにとって、明るい未来が拓けてきたのだろうか。暗い表情を引き起こしてしまいがちな私にも、エルの笑顔を守れたらいいと心から思う。嬉しそうな顔をしながら、エルは再度席についた。そして、まだ食べかけだった肉を最後まで喰らう。私も、骨についた身をしっかりと噛み切って、残さず食した。手はベトベトだが、お腹いっぱいに肉を食べたのは久しぶりだ。素直に美味しいと感じた。次は、この世界の魚も食べてみたいところだ。
私とエルは、ふたりで手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま!」
席を立つと、エルは皿を流し台へ持って行った。水道の蛇口をひねると、水が出る。洗剤はなく、乾いたヘチマのタワシのようなもので、皿を豪快に洗う。
「皿洗いくらい、私がやりますよ。料理を任せてしまっているので」
「いーの、いーの! これだって、俺の仕事なんだから」
「エルは家事が好きなんですか?」
「嫌いじゃないぜ? ずーっと、やってきてるから。ま、習慣って奴だな」
「好きなら、いいんですけど……でも、たまには変わりますからね?」
「気が向いたらな」
シャカシャカとタワシで皿をこすりあげ、水で流す。それだけでも、割と綺麗になるものだ。続いて、フライパンも洗いはじめた。そこで、エルはふと何かを思い出したかのように、私の顔を見た。
「魔王。風呂入るだろ? ある程度沸かしてあるから、入って来たらどうだ?」
「お風呂ですか?」
「昨日も入ってないし。あったまるぜ」
「そうですね…………入らせてもらいます。でも、先にエルが入ったらどうですか?」
首を横に数回ふるふると振った。否定するような気はした。エルは、魔王を第一に考えている様子が、見えていた。
「魔王より先に入れるかって。俺は後から入って、そんときに掃除もしたいから」
「偉いですね、エル。主婦の鏡ですよ」
「主婦? 俺はそんなんじゃねーよ」
「分かってますよ」
くすっと笑うと、私はキョロキョロとした。風呂場は突き当りの開かずの扉の隣だったか。エルに確認の視線を送ると、エルは頷いて答えた。私は着替えの服だけ取りに自室へ戻り、服を抱えて脱衣所へ向かった。扉を開けるとそこが洗面所と脱衣所。その奥にもまた扉があり、そこが風呂場だろう。私は服を脱いだ。青白いくきめ細かい肌は、人間の肌とはまるで違う。爪もある程度長く、白い。長い紫の髪が、肌によく生えた。