24
クトゥクトゥクトゥ……。
夜に鳴く鳥の声。
姿はまだ、みたことはない。
クトゥクトゥクトゥ……。
布団に入ってから、どれくらい寝ているのだろうか。
私はまだ、夢を見ているのか。
“抗ってみせよ”
何に?
また、妙な声が聞こえる。
“この世界の魔王として、足掻いてみせよ”
誰、なんですか?
私を魔王として、導いたのはあなたですか?
“お前は………………だ”
誰。
“お前は………………チだ”
「魔王!」
「!」
布団を揺さぶられ、私は慌てて目を覚ました。一瞬。私がどこに居るのか、把握できない状態に陥った。若干の混乱がある。弥一として田舎でまめと暮らしていたはずなのに、何故か見慣れない天井がある。
バクバクバク……心音が煩い。何をこんなにも動揺しているのか。私は現実を把握しようと、まずは深呼吸を繰り返す。
「魔王、魔王……大丈夫か!?」
「えっと…………」
赤い眼をした少年。血の色というよりは、キラキラと輝くルビーの瞳。穢れの無いその眼を、私は知っている。小さな黒い角が生えた少年、彼の名は……そうだ。
「エル」
「よかった…………また、全然起きてこないから。どうにかなったかと思って、心配した」
「すみません。眠りすぎてしまっていましたか?」
「今、何時だと思う?」
若干辺りが暗がりなところを見ると、夜明け少し前の様子に思われる。それに、肌寒さもあった。しかし、エルの服を見てみると、昨日着ていた服とはデザインが変わっている気がする。
私があれこれ考えているうちに、エルは私の答えをまたずして正解を教えてくれた。
「夕方の6時だよ」
「え、ほとんどまる1日眠っていたんですか? 私は……」
「そうだよ! 疲れてるのかと思って、放っておいたら全っ然起きてこないから。死んでるんじゃないかと焦って、起こしに来た」
「すみません。それはもう、死んでる説が出ても仕方がないですね」
よいしょ、と。
私は身体を起こした。右手に力を込めて身体を支え、起き上がる。そして、ベッドの上に座った。エルの顔の視線とちょうどいい高さで視線が揃う。私は目を細めた。
「昨日も、エルが起こしてくれましたね。ありがとうございます」
「魔王の体調管理も、俺の仕事みたいなものだからな!」
「そうなんですか?」
「か……勝手にやってるだけだけど。ダメか?」
「そんなことないです。今後もお願いします」
にこりと笑えば、エルも嬉しそうに目を細めて笑った。くるくる変わる表情は、いつ見ても気持ちがいいものだ。
エルの顔を見ていると、忘れそうになってしまうが、夢の中の声はなんだったのだろう。夢にしては、しっかりとしている声。大人の男性で、伸びのある低く太い声。私を『魔王』と呼ぶ声に、私は聞き覚えなどない。日本でもなければ、夢幻島でもない。しかし、声の主は私のことを知っている様子に見えた。日本での関係者か、それともこちらの世界の関係者か……。『魔王』というワードを使っている辺りで、おそらくは後者であることは予想できる。
(お前は…………なんだと言うのでしょうね)
「魔王?」
「あ、すみません。なんでもないですよ」
胸中で独りごちていると、エルは再び不安げな顔をした。眉を寄せ、私の顔を覗き込んでくる。そのまま、エルの左手の平を私のおでこに当てて来た。距離が近い。
「んー…………熱は、無さそうだな」
「身体はなんともないですよ。大丈夫です」
「夕飯、用意したんだけど。食べられるか?」
「お腹は…………」
寝ていただけだというのに、何故か空腹感はあった。今にもお腹が鳴りそうなほど、私は腹ペコだった。
「かなり空いています」
「それならよかった。ほら、昨日の帰り道。明日は肉にしようって言っただろ? 肉料理、用意したぜ!」
「すごいですね。狩りでもしてきたのか?」
「まぁな」
「自給自足の生活は、いいものですね」
エルの手を借りて、私はベッドから腰を上げた。今日はもう、服を着替えるのはやめておこう。着替えたとしても、すぐにまた眠ることになる。
今日は、一昨日、昨日よりは隙間風も少ない。その上、居間には暖炉が温められている。身体がほかほかとした。私は、いつも座らせてもらっている椅子に座った。エルは、得意気にキッチンで準備をしている。
「最後の仕上げだけ、残しておいたんだ。あったかいうちに食べた方が美味いだろ?」
「そうですね」
「待ってろよ」
フライパンで、肉が炒められていた。ジュワージュワー……とおいしそうな音を立てる。肉の良い香りも部屋に集まって来た。肉を食べるということが、久しぶりな気がする。弥一の頃から、好んで食べようとはしなかった。大学を出てからの5年間は、所謂精進料理でお腹を満たして来たからだ。
しかし、今はもう『弥一』ではない。それなら、魔王として食事を楽しもうと決めていた。死んでしまったときの記憶の情報を守るのではなく、今の私が、私らしくいられる選択肢を選びたいと思う。
「ほら、出来た」
大きな更に、どっさりと肉が積まれた。厚切り角切りの肉と、葉の野菜。見た目がネギのような野菜が一緒に炒められている。味付けは何だろう。塩コショウくらいの、軽い味付けのように見える。
「美味しそうですね。エルは何でもできますね」
「なんでもってことはないけど……肉料理は、俺も魔王も好きだったからな」
「そうなんですね。それなら、この味で何か思い出せるかもしれませんね」
「そうだといいな」
エルも椅子に座った。箸はない。手で食べるマナーのようだ。一昨日と昨日は、木の実だったから気が付かなかった。
炒めているときには、菜箸を使っていた。ということは、箸の文化が無いわけでもない。それでも、食事を取るときは、手掴みなのか……少々ためらいはあった。
「どうした?」
「熱そうですね」
「そこがいいんだってば。はい!」
エルは自信たっぷりに両手を合わせた。なんだかんだ、この作法が気に入っている様子。私もエルに倣って手を合わせた。合掌。
「いただきます」
「いただきます!」
エルは肉をひとつ、手でひょいと摘まんだ。そのまま口に運ぶ。しかし、流石に熱いらしくて、口の中ではふはふしている。
「みゃおうもちゃべてみひょろよ」
熱々のものが口の中にいっぱいで、正しい言葉には聞こえてこない。おそらく、『魔王も食べてみろよ』と言われたのだと思う。頷けば、私もひとつ手に取ってみた。既に熱い。
「はむ…………ん、うんうん」
歯ごたえがある。しっかりとした肉汁も美味しい。日本の和牛というよりは、海外産の固めの赤身の肉という表現が近そうだ。味はやはり、こってりしたものではなくて、塩コショウ程度。そのおかげで、肉のうまみを噛みしめれば噛みしめるほど、味わえた。