22
程無くして、私たちは小屋へとたどり着いた。厚い雲が空を隠す。まだ、日没まで時間はある。ただ、それより先に雨でも降られたら大変だ。木の実を居間のテーブルに置くと、すぐに裏庭へ向かった。その後を、エルが追いかけてくる。
「魔王、洗濯ものなら俺が取り込む。お前は座って待ってろよ」
「ふたりで干したんですから、ふたりで取り込みましょう?」
「お前はなんでそう、庶民染みてるんだよ」
「んー……庶民だからだと思います」
その言葉を受け、エルはカラッとした笑い声をあげた。バカにしているような笑いではなく、楽しそうに笑った声だ。
「冗談ばっかり言うなって! 魔王が庶民のわけないだろ」
「魔王も庶民ですよ」
「魔王って地位は、この世界でたったひとりにしか与えられないんだぞ?」
「それなら、魔王制度を廃止してしまうのもありですよね」
「ナシだ」
即答で私の提案は打ち消された。そこまであっさり切らなくともいいのにと、ちょっとだけ内心で思う。ただ、それを表には出さなかった。エルにとって、それだけ兄と魔王の存在が大きいと言うことになる。その意志を尊重することは大切だ。たとえ私が、本当の『兄』ではなかったとしても、私はこの身体の継承者として、エルを想うことを忘れたくない。それが、私の中に流れる正義のひとつだ。
風が冷たくなって来た。いよいよ、半袖では風邪を引きそうだ。ぶるっと身体が震え、鳥肌が立つ。
「……っくしゅん!」
「おうおう、寒いのか? いや、そんな半袖着てたらそりゃあ寒いさ。中に入って、温まろうぜ」
「そうさせてもらいます」
ぶるぶると身体を震わせながら、私は天日干しされたローブの匂いをくんくんと嗅ぐ。柔軟剤などもなく、埃を落とされただけの太陽の良い香りだ。ほくほくとするローブが冷え切った肌を温めてくれる。
ローブを持って部屋に入ると私は、自分のローブをまずは自分の部屋に片付けに行った。クローゼットに服を掛ける。そういえば、このクローゼットにはハンガーのようなものはある。針金ではなく、木で引っ掛ける感じだ。木のでっぱりに、服がかけられている。
ただ、この形状では物干しには使えない。針金が無くとも、木を彫って削って、ハンガーの形に近づけることも出来るかもしれない。問題なのは、私はとても不器用で、美術も技術も工作も苦手であるということか。時間をかけながらでも、作業を進めたい。
「服、着替えたか?」
半袖の服を脱いで、私は長袖のローブを選んで着た。一着くらい、パジャマとしてもいいかもしれない。洗濯機で一気に洗える社会が、とても楽をさせてくれていたと気づかされる。昔は、日本も洗濯板を使っていたのだ。文明の力とは、素晴らしい。ただ、裕福な生活を当たり前と思うことは、きっと間違っている。そして、その力に頼りすぎてしまうことも、よくないのだ。人間が裕福で自由に暮らせるようになった代償として、地球の環境は大きく変わってきている。
この異世界の空気が美味しいことだけ切り取ってみても、この世界の文明発達度が程よいことが窺える。人間たちが、自らの裕福だけを訴えるのではなく、自然環境も考えた結果がこの世界線だとするならば、私は称賛したい。
「着替えましたよ」
「それなら、居間にこい。暖炉に火をつけたから」
「それはありがたい」
「明日は半袖なんて着るなよ? 縁起が悪い」
「ゲン担ぎで長袖なんですか?」
「そうだけど?」
何故、肌を隠すようにするのか。不思議に思った。ただ、他国の宗教の中では確かに女性が肌を見せないようにする習慣もある。それと同じような思想なのかもしれない。
一応、聞いておこうと思いエルに訊ねた。
「何故、肌を隠すことがゲン担ぎになるんですか?」
「肌を見せることは、弱さを見せることになる。俺たちは、燦燦と照る太陽とは相反する種族。陽の恩恵を賜るのは、人間の儀式を真似ることになる」
「儀式とはまた、大袈裟ですね」
「そんなことはない!」
珍しくエルは声を荒げた。それを受けて思わず身体がびくっとする。私がそういった行動を見せ、エルも『しまった』というような顔をする。しかし、湧いた感情を抑えることが出来なかったらしい。
「人間は穢れている。だから、陽の光の恩恵を受けたいんだ。でも、俺たち魔族は違う!」
「魔族は、何から恩恵を受けているんですか?」
「…………」
エルは、厳しい眼をする。あまり、語りたくないといった雰囲気だ。これ以上突っ込んだ話をするのは、今は違うと感じると、私はひとり頷いた。
「すまない。せっかく、居間を温めてくれたのに……変なことを聞いてしまったね」
「……魔族も、はじめは太陽を拝めていた」
「……」
話を切ろうとしたが、エルの方が後を続けてくれた。続けてくれるのならば、聞く方がいいと判断し、私は口を閉ざす。エルは、右手を広げて『どうぞ』と示す。それに甘えて私はテーブルの椅子に座った。エルもまた、椅子に座る。一度大きく息を吐いてから、後を続ける。
「太陽はすべての源で、全ての象徴。太陽の光は、誰にでも平等だ」
「そうですね」
「その光と恩恵を、魔族が誰よりも受けていた」
「え?」
「それゆえに、争いが起きた。光を自分たちの物にしようと。魔族と人間は争いをはじめた」
エルの表情が陰る。その様子だけをみると、エルも好んで争いをしている訳ではないという感情が読み取れた。エルは本当に優しい子だ。魔族であるにしても、その割には物分かりがいいし、明るい性格をしている。兄のことが大好きな、その辺に居るような子どもと変わりないように思える。
びょーびょーと風が吹き、木々の隙間から居間に流れ込んでくる。薪を組んでつけられた暖炉の火が揺れた。長袖を着て来たが、それでも冷える。
「魔族は、人間に負けたんだ」
「…………」
口惜しそうに言葉を吐き捨てたエルは、そう言い切ってからしばらく黙った。猫のような愛くるしい赤い眼を伏せ、静かに時間だけが流れる。私も、この空気を感じ取るために言葉をかけるのをやめた。
風が吹く音だけが続く。その間に、時折パチパチと暖炉から火がはぜる音が聞こえる。
人間と魔族は、いつからぶつかりあっているのだろう。
魔族も人間も、はじめはそれほど争ってはいなかったような印象を受けた。