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 基本的に、自然が豊かな陸地だった。生えている背丈の高い木は、広葉樹だと思われる。私は、庭に生えているソメイヨシノがとても好きだったが、この世界でもそれに似た花に出会えるだろうか。草木を愛でる習慣は、心の在り方を豊かにしてくれる。悩み苦しむときに、生きている花を見ているだけで、気持ちの負担は軽減される。それだけ、ひとは自然と共に長い年月を暮らして来たのだ。文明の力だけではなく、人々の生活を豊かにした立役者として、自然の力は大きい。

 少し坂を上っている。ちょっとした小高い丘の上まで来ると、下には海が広がっていた。確かに海岸線沿いを見晴らせる。此処まで来ると、誰かが着岸しようとすれば、一目瞭然。ただ、此処に小屋を建てるのはあまり良策とは言えない気がする。少し仮眠でも出来るような簡易ベッドくらいがちょうどよさそうだ。それほど広いエリアではなかったからだ。


「どうだ?」

「見渡せますね。もしかして、エルは此処でヨウ国軍の様子を探っていたんですか?」

「まぁな。そろそろ攻め入って来る頃かと思って。時間が許す限りは、見張っていた」

「ひとりで?」

「魔王が行方不明だったからな。仕方ないだろ?」

「すみません」


 魔王。つまり、私ということだが、私はどういった経緯でこの地に巡り、魔王として転生したのかを知らない。いつから私は、泉に倒れていたのか。しかし、倒れていた私は、魔王として60年も生きているというのだ。今さっき、雷に打たれて命を終えたはずの私が、すでにこの地で60年生きているという実感が何もない。ひょんなことから、魂が入れ替わってしまったのではないかという、疑いが生まれる。エルの知る魔王と、私の性格が不一致なところも、入れ替わり説が前提とされるのであれば、解決する。


 私は、『魔王』として存在していていいのだろうか。


「魔王?」

「すみません。つい、考えごとを……」

「なんだよ。珍しく悩みごとか?」

「悩みと言うほどのものではありませんよ」


 私はにこりと笑った。悩んでいたところで結果は変わらない。弥一ではなく、イチルヤフリートとしての人生が始まったのだから、私はこの命を全うしたい。魔王として生まれ変わったとしても、私は『弥一』の記憶と概念を継いでいる。私にしか出来ないことが、きっとこの世界にはある。そう信じて前を向こうと心に決める。そのためにも、様々な情報を得ることが必要であり、この身体に慣れることも必要だ。


「で? 海岸見渡せるだろ? こっからどうするんだ?」

「見張り小屋は欲しいところですよね」

「先制攻撃のため?」

「先制防御のため、ですね」

「防御? 攻めて来るなら、攻撃あるのみだろ?」

「私はあくまでも、平和主義を貫き通しますよ」

「はぁー…………昨日から、何度目のセリフやら」


 エルは呆れ顔で、右手をひらりひらりと振った。丘の先端まで歩くと、静かな海を見渡す。それに倣って、私もエルの隣に立った。砂浜のため、浅瀬が続いていると考えられる。そうすると、大きな船で着岸することは出来ないはず。それとも、遠浅ではなく、急に深くなっているパターンか。そうだとすれば、小型船くらいならば陸に寄せられる。

 昨日のヨウ国軍隊が一隻でも残っているような気もしたが、勘ぐりすぎたか。綺麗に消えて痕跡も無い。エルは人間を全く信じていない様子だが、私の知る人間とこの世界の人間が同じような思考であるとすれば、歩み寄る選択肢も生まれるものだ。どちらかが白旗を上げれば、それ以上の追撃をしないルールを決めればいいのだ。


「見張り小屋は建てたいのですが、ちょっと地盤が心配なのと。若干ですが、潮風がありますしね。直ぐに劣化してしまうように思えます」

「危険察知したら、すぐにここまで走ればいいだろ? どうせ、人間はこの海岸から来ることしか出来ないんだ」

「入口が狭いのは、ありがたいことですね」


 海岸からこの丘まで、高さは20メートルといったところか。ぐるっと回って海岸まで行こうと思うと、どれくらい時間がかかるのか。遠くで旗が上がっているのを確認してから走っても、十分に応対に間に合うならば、小屋を建てなくとも事足りる。

 この地形を利用して、バリケードを張る。何か、いい案が働くまでは、定期的にこの高台には来ることを習慣づけた方がよさそうだ。


「エル。今度は、泉に行きましょう」

「リクトルの泉な」

「あの泉はリクトルというのですか?」

「覚えていけよ? 思い出せたことがあったら、俺も聞きたいし」

「そうですね。私も、思い出したいです」


 私が微笑むと、それを見てエルは照れ笑いをする。可愛いことこの上ない。40歳という年ならば、可愛いなんて言葉は褒め言葉でもなんでもないかもしれない。長寿の民であるならば、まだまだ子どもとして捉えられてもいいのだろうが、まだ、魔族の思考や傾向も分かっていないので、気を付けたい。


「リクトルに行って、何を見るんだ?」


 海に背を向け、ゆっくりと坂を下っていく。舗装された道ではないが、よく歩かれる道なのだろう。踏みならされて、草もあまり生えていない。軽快な足取りで、泉に向かって歩いた。

 エルは、遠足を楽しむかのように、楽しそうだ。兄と、こんな風に出かけることも、久しくなかったのだろう。老魔王を兄とふたりで看取ったというのだから、ふたりで出かけることが無かったという訳でもないと思う。冷淡な魔王も、弟には優しかったのか。

 魔王としての記憶が私に宿ったとしても、私は冷淡になりたいとは思えない。記憶が戻っても、過去の『魔王』に戻れないとすれば、エルは悲しむのだろうか。


「この世界から消えていた魔王……私が、目覚めた場所が泉です。もしかしたら、何か得られる情報があるのではないかと思いましてね」

「リクトルの泉は、俺たち魔族にとって神聖な場所だからな。毎日拝めても損はない」

「それはいいことですね。毎日の日課としましょう」


 話しているうちに、開けた場所へ来た。まだ、懐かしむには早いが、何故か『帰って来た』と思えるのが不思議だ。この泉は、『はじまりの地』として親しむことが出来る。魔族にとって大切な場所ということは、魔王として転生した私にも、ゆかりのある地と言える。


 魔王と私を、繋ぐ場所。

 それが、このリクトルの泉。


「今日もいい天気だな」

「そうですね」


 泉は白く、透明度は高くない。それでも、その水面を覗き込む私の姿がクリアに見える。光の反射と屈折は、どのような仕組みになっているのか。神聖な泉の水は、飲んだらどうなるのか。魔族の泉ならば、『聖水』とは言わないだろう。残念ながら、飲んでみたいとも思えない。川の水は透明度が高く、冷たくておいしそうだった。


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