11
深夜。月明りが窓から差し込み、カーテンを透けて見える光。私はなんとなく意識が覚め、目を開けた。うっすらと広がった世界に、私はまだ慣れない。小屋の中のため、日中ほど違和感は覚えないが、それでも日本とは違ったものを感じる。空気が違うし、重力も若干差があるように感じる。地球の重力の方が軽い。この世界では、より地面に引き付けられる感覚がある。そのせいか、疲れも溜まりやすいのかもしれない。
(エルは、眠ってくれているといいんですけどね)
個室にひとり。エルは、居間の隅っこで寝ると言っていた。確かに居間には、テーブルがあり。玄関ドアの近くに小さなソファーがあった。布製のソファー。長さは130センチほど。小柄なエルでも、足を折りたたまなければ眠れないサイズだ。
一緒に寝ることを提案したが、ダブルベッドでも私の今の背丈では、エルに窮屈な気持ちをさせるだろうし、魔王の隣で寝るのは気が引けるのだろう。エルは生粋の魔王族なのだ。
いや、『魔王』の後を継ぐ者は、魔王が死なない限り分からないとエルは語った。そして、自分は魔王の従者に過ぎないと言う。私との血縁関係はありそうだが、私が魔王族であっても、エルが魔王族としてイコールで結ばれるかどうかは、また別の話かもしれない。
私は起き上がると、音を立てないように静かにベッドから下りる。そして、本棚の前に移動した。どうしても気になって、眠りが浅かった可能性もある。
とりあえず、1冊手に取ってみることにする。赤、青、緑、白、灰色、黄色。様々な色で彩られた背表紙。不思議な造形文字が書かれているが、やはりそれを自然と『日本語』に解釈し、読みこむことが可能だった。
色の中では、私は紫色を好む。そのため、最初の1冊目は紫のカバーがかけられた本を選んだ。分厚さは、5センチほどある。ページをめくろうと紙部分に指を差し入れた瞬間。パチッと静電気が走るような、軽い痛みがあった。本に対して静電気は起きないと思うのだが、ここは異世界。それならば、どこで静電気が走ろうとも不思議ではない。私は構わず、半ば強引に本を開いた。すると今度は、キラキラと光る粉が弾けた。蝶の鱗粉のような粉は、しばらく舞ってから落ち着く。その粉を、私自身が頭から被った。手で頭に触れてみても、埃っぽさなどはない。
「これは……“心得”とありますね。魔法陣の設計図のようなものでしょうか」
誰にとでもなく、私は呟いていた。1枚、また1枚とページをめくる。見たことも無い魔法陣がこの本には記されている。魔法陣だと判断したのは、円があり、そこに数字や文字が綴られていた。その効果とされるものがメモ書きされているからだ。
「魔法陣を読むことが出来ても、扱うことは私には出来なさそうですね。それとも、こんな力こそ、放棄しての平和でしょうか」
やはり、誰かに問うわけではないが、口にする。言葉を発することで、自分の心の中に落とし込んでいく作業をする。よく見てみると、攻撃的な魔法陣だけではなく、この先この夢幻島で隠居生活をするにあたって、必要になりそうな術式も記載されていた。たとえば、火を起こす魔法。これがあれば、木材を集めてくべる。そこに炎をかければ、簡単にキャンプが楽しめる。
家の中にキッチンがあるのだから、わざわざ外で食べる必要性はない。エルはそんな風に言うかもしれない。しかし、どんな場所でも野宿が出来ることは、サバイバル生活上で有利になる。もしもヨウ国軍や、他の人間国軍が攻め込んで来て、寝泊まりする家が無くなったとしても、その辺で生きていける。万一の備えには、こんな感じで前向きに進んでいきたい。復讐したいだとか、力を誇示してひれ伏せたい気持ちは全くなかった。
コンコンコン。
扉をノックされる。
乾いた音が響いた。
「魔王」
「エル?」
扉を開けると、眠ったはずのエルの姿があった。簡素な式典服……もといい、ローブは身に纏ったままだ。寒いのかもしれない。私も、動きづらいがこのローブを脱ごうとはもう思わない。
敷居を挟んで居間にエル、個室に私が立った状態で数分が流れた。
「どうしましたか?」
この静けさを保ちながら、言葉を発したのは私。どうも気落ちしているように見えるエルが、心配になった。私がそう感じているのを察してか、エルは視線を迷わせる。落ち着きなく、焦点をずらしていた。
「…………なんでもない」
「冷えますからね。一緒に寝ますか?」
「だ、誰もそんなこと言ってないだろ!?」
「違いましたか?」
「…………」
エルはこくりと頷いた。それを見て、私は口元に笑みを浮かべた。エルが口を開き、言葉を探す。カチ、カチ、カチ……というのは、時計が時間を刻む音。居間にあった大きな古時計の音が、こんなにも大きく聞こえるほど。この部屋も然り、外も静まり返っていた。
「絶対に、本を手に取るんだろうなと思って……」
「これですか?」
「それもだけど、まぁ……この本棚の本、すべて」
エルが何を危険視しているのか、私には想像がつかない。首を傾げて合図を送ると、エルは続きを語り始める。私はその言葉に耳を寄せた。
「読めたのか?」
「文字ですか? 不思議と、読めるんですよね。視覚に入って来る文字は、まったく知らない象形文字のようですが、それを脳内で“日本語”に処理できているんです」
「この文字は、人間には解読不可能だ。そもそも、本を開くことさえ出来ない仕様だ」
「それって、もしかして…………」
既に開いた紫の本は、触れても何も感じない。しかし、他の本を手にすれば先ほどと同じ現象が起きるのではないかと考え、私は適当に選んだ本を取り出した。赤い色のカバー。開こうとすると、思った通り。バチッ……と静電気が走るような痛みと共に、小さいが音も鳴った。そして、はらはらと粉が舞う。
「この現象のことですか?」
「…………やっぱり、お前は魔王だし。俺の兄だ」
「何か、関係性があったんですか?」
「この書物はすべて、兄が記したもの。他の誰かが開けないように、魔法がかけられていた。この結界を破り、ページを開く者は魔王以外にない」
何故だろう。私を兄とし、魔王と判断する材料が揃って来たというのに、エルはちっとも嬉しそうではない。どちらかといえば、憂鬱そうだ。私が魔王ではいけなかったのか、それとも兄ではいけなかったのか。私に判断はつかないところだ。私はしゃがんでエルよりも低い位置で顔を上げた。俯き加減のエルの顔が、ハッキリと見える。
「悩みごとがありそうですね」
「…………別に」
素直じゃない。それでも、無理強いはすべきではないと私は考える。ただ頷き、エルの言葉を肯定した。いつか、話してくれればいい。私はそう思うとまた、立ち上がった。




