パルエ祭 01
アンナとの会話のあと、会場へ戻り他の客人たちと話しているうちに招待客が帰る時間となっていた。
帰り際にアッシュへ薔薇の匂い袋を渡すと、相変わらずの仏頂面を浮かべながらも「ありがとう」と言って受け取ってくれた。その時は恥ずかしくて伝えられなかったが、匂い袋の薔薇の刺繍はフィオレンティーナが自分で入れたものだったため、受け取ってもらえてほっとしていたのは秘密だ。
秋の薔薇会はそうして恙なく終了し、次は晩秋にあるグレフォード領の祭りへぜひ、と言ってグレフォード伯爵家は帰って行った。
その後、アッシュからはお礼の手紙と共に祭りの案内が来ていた。
11月末にパルエという町で豚肉や生ハムを盛大に振舞う祭りがあるらしく、領地の内外から多くの人が訪れる大規模なお祭りであるためフィオレンティーナも楽しめるんじゃないか、とのことだった。
残念ながら両親は新酒の売り出しで忙しくなる都合上、グレフォードにはフィオレンティーナひとりで遊びに行くこととなった。
「姉上、グレフォードへ行くって本当ですか?」
「ええ。お誘いをいただいたの」
「まだ正式な婚約をしていないのに、ずいぶん仲がいいんですね」
花が取り除かれ、すっかり寂しくなった庭を窓から眺めながらお茶をしていたフィオレンティーナに声をかけてきたのは1つ年下の弟リエトだった。
リエトはフィオレンティーナとそっくりな容姿で、まっすぐな黒髪を顎下あたりで切りそろえ、やや釣り目気味の紫色の瞳を猫のように細めて笑う少年だ。
今もにこにこと笑顔を浮かべながらフィオレンティーナの向かいに腰を下ろした。
「ぼく、ちょっとびっくりしてるんですよ」
「…どうして?」
メイドが持って来た紅茶を受け取り、リエトはフィオレンティーナを見る。
「姉上があんな風に人とお話しているのを見るのがはじめてだったので。それも、男の子と。」
「……そう」
「アッシュ殿は見目うるわしい上に、魔力量もかなりあるようですからね」
リエトはフィオレンティーナがアッシュの外見や将来性に惹かれていると思っているらしい。魔力量のことをなぜ知っているのかと問えば、「瞳を見ればわかります」と言う。まだ魔法についての勉強は始まっていないはずなのに、リエトはこうしてどこからか知識を仕入れてくるところがある。
フィオレンティーナはアッシュの見た目に惹かれたわけではなかったが、”未来予知で見たアッシュの人柄に惹かれた”とも言えず、曖昧に口を閉ざすことしかできない。それをどう思ったのかわからないが、リエトは笑みを浮かべたまま話を続ける。
「ぼくもこの間の薔薇会でご挨拶させていただきました。無口ですが、悪い方ではなさそうでしたね」
「アッシュさまはお優しい方よ」
「それはよかった。本当ならぼくも今度のグレフォードへごいっしょしたかったんですが、父上のお仕事を見学させていただく約束があったものですから」
「お仕事を?」
「ええ。いずれはぼくが引きつぐ仕事です。見ているだけでも勉強になりますから」
「……リエト、今からそんなにしなくても…」
「べつに無理をしているわけじゃありませんよ。ぼく、遊んでいるよりも勉強している方が好きなんです」
本当にそう思っているような顔でリエトはそう言って紅茶に口をつける。渋い顔をしたので砂糖が足りなかったようだ。フィオレンティーナがシュガーポットを差し出してやると「ありがとうございます」と言いながら角砂糖を2つ入れていた。こういうところは子どもらしいのに、とフィオレンティーナは思う。
「グレフォードのお祭り、パルエ祭でしたか?コスタクルタからもたくさんのワインを出荷していると聞きました」
「そうなの?豚肉や生ハムが有名なところだとは聞いていたけれど…」
「チーズなども盛んなようです。ワインと相性が良いため、エランティアじゅうからさまざまなワインを取り寄せてふるまうそうですよ。今年は海の向こうからも仕入れるつもりだとか」
「……なぜそんなことを知っているの?」
「薔薇会でカルロ伯爵からお聞きしました。ぼくの質問にもていねいに答えてくださる良い方でしたよ」
「そう……」
もはや呆れた顔になってしまうフィオレンティーナにリエトはにこりと微笑む。
「コスタクルタにとっても、姉上にとっても良い縁になって本当によかったです。ぼくに協力できることがあれば、いくらでも言ってくださいね」
「……ええ。ありがとう」
弟の末恐ろしさを感じながらも、純粋に祝福してくれている様子が感じ取れてほっとした。リエトは子どもらしさのない少年だが、味方についてくれるというなら心強い。少し悩んでから、フィオレンティーナは口を開く。
「さっそくだけど…少し相談にのってもらえる?」
「おや。もちろんですよ」
「アッシュさまのことというか…アッシュさまと、アンナさまのことなのだけど」
「アンナさまというと…アッシュ殿のお母上ですね。ぼくらの母上ほどではありませんが、明るくて優しそうな方でした。ちょっと神経質なところはありそうでしたけどね」
「…そういうことを外で言ってはだめよ」
「言いませんよ。それで?」
「……さっき、リエトも言っていたけれど…アッシュさまは魔力が強くて、それが瞳ににじみ出ているから、あんなに紅い瞳をしてらっしゃるのですって」
「ええ。あの赤は炎の魔力でしょうか。もしかして、瞳の色がちがうからお母様の不貞がうたがわれてしまい、アッシュ殿との関係が悪くなっているとかですか?」
「違うわ!あなた、そんな風に考えていたの?」
「まさか。親子の関係で問題があり、姉上が悩んでいるというから想像してみただけです」
少しも悪びれない表情で答えるリエトに頭が痛くなってくるような気がしながらも、フィオレンティーナは話を続ける。
「…アンナさまははっきりとは口に出されなかったけれど…アッシュさまの強い魔力が恐ろしいみたいなの」
「そうなんですか?魔力が強いだけで怖がる理由になるとは思えませんけど」
「それは人それぞれでしょう。ただ…アンナさまは魔力を持っていないとおっしゃっていたから…」
「なるほど。未知のものへの恐怖ですか」
ふむ、と口元に手を当てて首を傾げる様子を見ながら紅茶を一口飲む。すっかり冷めて風味が飛んでしまったが、口を潤すだけなら十分だ。フィオレンティーナがカップを置いたところで、リエトは話を再開した。
「問題があることはわかりましたが、姉上が悩むことではないのでは?」
「それは…そうだけれど」
アッシュの純粋な疑問にフィオレンティーナは口ごもる。さすがに”予知”で知ったアッシュの妹の死に繋がる問題を解消したいからだとは言えない。かと言って、ここで何か答えないとリエトは怪しんでくるだろう。
「……アッシュさま、ご自分の瞳の色の話をするときに、寂しそうだったの」
「寂しそう?」
「自分の瞳の色はあまり好かれないから、と…」
「その好いていない筆頭に母上のアンナさまがいらっしゃるということですか?」
「ええ」
「それで、姉上はアッシュ殿のために親子仲を取り持とうとされているわけですか」
「そんな大それたことではないけれど…」
「……なんというか、驚きました」
「え?」
元を辿れば自分の未来のためだ。いずれアッシュが自分と違う少女と恋をするのが嫌で、そうなる過程にある、彼を悲しませる出来事が減らせたらいいと思っただけ。”予知”で見たアッシュとフィオレンティーナは、互いへの歩み寄りが少ないように見えたから。
困ったように微笑んだフィオレンティーナの顔をまじまじと見つめたリエトは、なぜか大きくため息をついて頬杖をついた。
「姉上、よほどアッシュ・グレフォードのことがお好きなのですね」
「……えっ!?」
「ぼくは恋愛のことはよくわかりませんが、それでもこれはわかりますよ」
好きでもない相手の寂しさを取り除こうなんて、だれも思わないでしょうから。
リエトの言葉に頬が熱くなる。自分ではわかっていることだったが、改めて家族から――それも弟からそんな風に指摘されると、思っているよりもずっと自分がアッシュを好きなのかもしれないという気がしてくる。
頬を赤くして俯いてしまった姉を見てリエトは呆れたように微笑み、メイドにおかわりのお茶を頼むのだった。