03
薔薇が咲き、小鳥がさえずる庭の片隅。春にはつる薔薇で彩られるガゼボも今は葉の緑が覆い、小さな秘密基地のようだ。
秋風に冷えないよう取り付けられたレースのカーテンの中で、幼い婚約者たちはたどたどしくもかわいらしい会話に興じていた。
「アッシュさまは妹さんと仲がよろしいのですね」
「……悪くはないと思う」
「フローラさまとおっしゃるのでしたか?」
「ああ。年はきみと同じだ」
先ほどまでの二人の会話をハラハラと見守っていたメイドは、話が落ち着いたことに胸を撫でおろしつつ温かい紅茶を淹れなおす。礼を言って受け取ったフィオレンティーナはゆっくりと一口飲み、どう話を聞こうかと考えた。
”予知”でのフローラの死は、母アンナとの関係に悩むアッシュを気遣ったフローラがアンナの好きな花を取りにアッシュを連れ出し、渋るアッシュの代わりに水辺に咲く花を摘もうとして湖に落ちてしまう、というものだった。
先ほど挨拶をしたときは親子仲が悪いようには見えなかったが、フローラの死を回避するためには来年までにアッシュとアンナの仲が改善されることが必要かもしれない。かと言って、そこまでフィオレンティーナが踏み込めるかと言えば難しいところだ。
黙り込んでしまったフィオレンティーナを気にすることなく、アッシュがぽつりとつぶやく。
「…フローラはきみと話をしたいと言っていた」
「フローラさまがわたくしと?」
きょとんと眼を丸くしたフィオレンティーナに対し、なぜか気まずそうな顔をしたアッシュは少しの沈黙の後小さく頷いた。
「……顔合わせのときに、きみは花をくれただろう」
「はい」
「それが気になっているらしくて…」
「…もしかして、お気を悪くされたとか…?」
男性から女性へ花を贈ることの方が一般的かもしれない。婚約者同士であればなおさら。それに加えて、アッシュの場合は瞳の色を良く思われていないという背景がある。深紅の薔薇を瞳の色に例えて贈ることを嫌味にとらえられたのかもしれない、と急に不安になって表情を曇らせたフィオレンティーナにアッシュが「ち、違う!」と慌てて否定した。
「フローラは喜んでいた。きみが…その、優しいひとだ、と」
「わたくしが…ですか?」
「ああ。だから、一度話をしてみたいと」
「それはもちろん。わたくしもフローラさまとお話してみたいです」
「…そうか。伝えておく」
ほっと表情を緩めたアッシュにつられてフィオレンティーナが微笑むと、ガゼボの外から「楽しそうね」と声がかかる。驚いてそちらを見ると、グレフォード伯爵夫妻が立っていた。
「お話し中ごめんなさい。私もフィオレンティーナさんとお話してみたくなって」
「アッシュ。コスタクルタ卿がお身内にお前を紹介してくださるそうだ。こちらへおいで」
フィオレンティーナとアッシュがガゼボを出ると、フィオレンティーナはアンナと薔薇を愛でるために庭へ、アッシュはカルロと共に屋敷へ戻ることになった。
もう少しアッシュと話をしたかったと思いながらも、”予知”を免れるためにはアンナと話すことも必要だ。突然巡って来たチャンスに驚きつつ、フィオレンティーナはアンナと共に歩きだした。
「本当に素敵なお庭ね。フィオレンティーナさんも薔薇がお好きなの?」
「はい」
秋の薔薇は大輪のものが多い。競うように咲く薔薇を愛でながら歩くアンナに合わせてゆっくり進みながらフィオレンティーナは緊張を隠せずにいた。元々の人見知りに加え、どうしたらアッシュとアンナの仲を取り持つことができるのかを考えてしまい、どうしてもぎこちない受け答えになってしまう。
そんなフィオレンティーナの様子を見たアンナは苦笑をして足を止めた。
「突然ごめんなさいね。嫌だった?」
「い、いいえ。その、緊張してしまって」
「よかった。ちっとも笑ってくれないから、嫌われてしまったのかと思った」
にっこりと微笑むアンナに背筋が冷えそうになったが、慌てて首を振って「そんなことはありません」と否定する。そうよね、と頷くアンナに引きつりながらも笑顔を返した。
「アッシュも…あの子、とっても不愛想でしょう?うちでもずっとムスっとしてて」
「…アッシュさまは、お話しするのがあまり得意ではないとお聞きしました」
「ええ、そうなの。だから、話していて退屈しなかったかしら?」
「そんなことは…。アッシュさまは、わたくしのお話をしっかり聞いてくださって、とてもお優しいかただと思いました」
アンナの言いたいことがよくわからないながらも、精いっぱい言葉を返す。10歳のフィオレンティーナにはアンナの探るような視線が恐ろしく、ともすれば怯えて黙り込んでしまいそうなところをなんとか踏みとどまっている。
フィオレンティーナの言葉に頷いていたアンナは「そう」とつぶやいて薔薇へ視線を向けた。
「フィオレンティーナさんはあの子に深紅の薔薇を贈ってくださったのよね」
「……はい」
「あなたは、アッシュの瞳を薔薇のようだと?」
問いかける声には、冷たさが混じっていた。
”予知”では、アッシュとアンナの関係について詳しくは語られていなかった。アンナが既に故人だったこともあり、アッシュが「自分の瞳の色が嫌いだったらしい」と話しているだけだった。
エランティアでは、瞳の色が濃く出る者ほど魔力の保有量が多いと言われている。実際、”予知”の中でもアッシュ・グレフォードは若いながらに当代最高と呼ばれるほどの炎魔法の使い手で、その炎の色が瞳ににじみ出ているのだと言われていた。
まだ魔法のことを学ぶ前のフィオレンティーナが本来知ることではないが、アッシュの両親はそれを十分に知っているはずだ。それでもなお疎む理由はやはりわからない。
フィオレンティーナはどう答えたものか迷いながらも、脳裏に焼き付いて離れないガーネットの瞳のことを思い出す。
燃えるように美しい炎の色をしているのに、どこか寂し気な瞳の色。フィオレンティーナの言葉に優しく細められるそれ。
「――はい。わたくしは、アッシュさまの瞳は、深紅の薔薇のようでうつくしいと思いました」
震えそうになる声を押さえ、フィオレンティーナは果敢に答える。もしこれでアンナからの心証が悪くなるのだとしても、自分の心にも、喜んでくれたアッシュのためにも嘘はつきたくなかった。
フィオレンティーナの答えを聞いたアンナが薔薇を愛でていた視線を戻す。
「…アッシュは、あなたにそう言われてなにか言っていた?」
「えっ?……ええと」
返って来たのは静かな問いかけだった。思っていたような返答ではないことに戸惑いながらアンナを見上げると、表情の読めない顔でフィオレンティーナを見つめている。
「その、”はじめて言われた”と……」
「……そう。フィオレンティーナさんはまだ習っていないかもしれないけれど、あの子の瞳は魔力が強い証拠なのですって」
にこりと笑顔に切り替えたアンナは止めていた歩みを再び進め、フィオレンティーナはよくわからないままその少し後ろをついてゆく。
「私は魔力がないから、強い魔力というものがよくわからないけれど…フィオレンティーナさんがあの子を怖がらなくてよかったわ」
そう呟くアンナの声色からは心情を伺い知ることはできない。でも、もしかしたらアンナはアッシュの強い魔力が恐ろしいのかもしれない、とフィオレンティーナは思いながら黙っていた。