秋の薔薇会 01
アッシュとの顔合わせが済んで数か月経った。フィオレンティーナは拍子抜けするほどいつも通りの日常を過ごしていた。あれから新たな”予知”を見ることもなく、今となっては白昼夢だったのではないかと思うほどだ。
しかし、アッシュとは手紙のやりとりをすることになり、意外にも筆まめなアッシュとフィオレンティーナの文通は途絶えることなく、互いについて少しずつではあったが詳しく知るようにもなった。例えば家族構成、好きな食べ物、読書に選ぶ本、日々の鍛錬の成果。アッシュの新たな面を知るたびにフィオレンティーナの心は踊ったが、同時に”予知”で知ったことをなぞるようでもあり、先のことを考えて気持ちが暗くなることもあった。
それでもアッシュからの手紙はフィオレンティーナにとって好ましいもので、彼の喋りと同じようにそっけなくも簡潔な文章を指でなぞっては次を楽しみにしていた。
『アッシュさま
お変わりなく過ごされているでしょうか?
夏をむかえ、我が家の庭はいま、秋に向けての準備がはじまっています。
グレフォードはいまはお野菜がたくさんとれる時期なのだと父から聞きました。今朝もグレフォード産の野菜が使われているのだと教えてもらって、アッシュさまも同じものを食べているのかしらと少し考えてしまいました。
アッシュさまは夏も鍛錬にいそしまれているのでしょうか。あまりご無理はなさらないでくださいね。
そういえば、父が秋の薔薇会の招待状をお送りしたそうです。ご都合があいそうでしたら、ぜひいらっしゃってください。
フィオレンティーナ』
『フィオレンティーナ
こちらは元気にしている。きみも元気だろうか?
我が家でも毎日のように野菜が出るから、飽きてきたころだ。
夏野菜よりも秋から冬にかけての方が収穫のピークらしい。毎年父上と兄上が忙しそうにしているのを見る。
この夏は叔父上のところへ1週間ほど見習いに行っていた。普段の鍛錬とは違うことができておもしろかった。
招待状、確かに受け取った。この手紙と共に返事が届くと思う。
アッシュ』
手紙に書かれていた通り薔薇会への参加の返事も来ており、グレフォード伯爵夫妻とアッシュが参加するとランベルトから知らされていた。
秋の薔薇会とはラ=トラッソ家が主催する、庭を彩る薔薇を愛でるために春と秋に開催されるごくごく身内の茶会だ。葡萄の収穫期であることもあって、お茶と共に葡萄ジュースやワインも提供されるのはワインが特産であるコスタクルタならではと言えるだろう。晩秋には新酒を振舞う夜会が開かれるため、ラ=トラッソ家は冬まで慌ただしさが続くこととなる。
フィオレンティーナにとって茶会はあまり楽しいものではなかったが、ドレスを新調してもらえるのは嬉しかったし、何より今年はアッシュと会えることが楽しみだった。
ただ婚約者と会えることに喜んでいるわけではない。もちろん、フィオレンティーナにとってはそれが一番ではあったが、会って知りたいことがあったからだ。
”予知”の通りであればアッシュは来年、妹を亡くすことになってしまう。妹の名前はフローラといって、フィオレンティーナと同い年だそうだ。アッシュは手紙の中で彼女のことを「おてんばで気が強い」と評していたが、”予知”では家族の中で一人だけ赤い瞳をしたアッシュに臆することなく接し、兄と慕っていた存在だったことが語られている。
彼女を亡くすことでアッシュが孤独を感じるようになってしまうのは避けたい。それなら、フローラについての情報を集めることでこの”予知”の結果を変えられるのではないか?とフィオレンティーナは考えていた。
「フィオレンティーナ様、奥様がお呼びです」
「はい」
眺めていた手紙をしまい、メイドの声に応えて部屋を出る。
窓の外は晴れ渡り、秋を迎えようとする庭は褪せた緑を風に揺らし、花の盛りに備えているようだった。
「フィー。こちらへいらっしゃい」
メイドについて応接室へ入るとカーテンはすべて閉め切られ、フィオレンティーナの母ダニエラを中心に仕立て屋の女主人やお針子の女性たちが忙しなく動き回っていた。
ダニエラは既に採寸を終えたらしくソファに座ってくつろいでいる。フィオレンティーナと同じまっすぐな黒髪と怜悧な美貌だが、ダニエラの瞳は柔らかな新緑の色を宿しており、浮かべる表情と相まって娘とは正反対の印象を与える女性だ。
「今年は婚約者と迎える初めての薔薇会ですからね。うんとおめかししましょうってエレナと話していたところだったのよ」
「フィオレンティーナ様、お久しぶりです。また一層おかわいらしくなられましたね」
「こんにちは、マダム・エレナ。ありがとうございます」
「素敵な生地もたくさんあるのよ。フィーには何が似合うかしら」
部屋へ入って来たフィオレンティーナを迎え、仕立て屋の女主人エレナは「まずは採寸から」と微笑みかけた。
「春にお仕立てしたときよりも背が伸びておいでですね」
「どんどんお姉さんになるわね、フィー。なんだか寂しいわ」
「でも、これからはもっと着飾る楽しみが増えますよ。背がお伸びになったら着られるドレスの幅も増えますし、フィオレンティーナ様でしたらどんなデザインでも着こなしてしまわれそうですわ」
「そうね。フィーはどんなドレスを着たい?アッシュさまのお好きな色や、デザインは聞いている?」
「いえ…アッシュさまとは、そういったお話は…」
「あら、それじゃ駄目よ。婚約者の好みはちゃんと把握しておかなきゃ」
採寸をされながらダニエラから飛ばされる言葉に怯みながらフィオレンティーナは鏡を見る。鏡の中の自分は相変わらず冷たい顔をしていて、まっすぐな黒髪と紫の瞳がその冷たさに拍車をかけているような気がしてそっと目をそらした。
「伯爵様は緑のドレスをお気に召していらっしゃいましたね」
「ええ。緑のドレスに紫の宝石を合わせるのがお好きね。私の瞳の色とコスタクルタの紫が葡萄を表しているのがお気に入りなんですって」
「ご自分の色で奥様を飾るのは旦那様の喜びのひとつでしょうとも」
「でもそういうのはフィーにはちょっと早いわよね。まだ婚約をしたばかりだし、お会いするのは2度目でしょう?」
たいへん仲睦まじい両親の話を聞かされるのはこれが初めてではない。10歳違いの夫婦となったランベルトとダニエラはその年の差がうまく機能しているようで、恋愛結婚でなかったにも関わらず円満な様子だ。それを以前はなんとも思っていなかったが、今は少しうらやましいと感じる自分に気付いてフィオレンティーナは無意識に唇を噛んだ。
フィオレンティーナの様子には気づかず、ダニエラとエレナの会話は続く。
「薔薇の会だもの。薔薇の妖精のようにかわいらしいフィーが見たいわ」
「でしたらピンクや白にいたしましょうか」
「そうね…フィーの瞳の色に合わせて少し紫寄りのピンクが良いんじゃないかしら。大人っぽすぎる?」
「いいえ。とても素敵だと思います。薔薇と同じ色にしてしまうより、少し違う色合いの方が映えると思いますし…シフォン生地で印象を柔らかくするのも良いと思いますわ」
「いいわね!そういえばフィー、アッシュさまに赤い薔薇をプレゼントしたと聞いたわ。髪飾りは赤い薔薇のコサージュにしたらどうかしら?」
「まあ!素敵でございますね。でしたらドレス自体は淡い色でまとめて、差し色に赤を入れることにいたしましょう」
とんとん拍子に進んでゆく会話に口下手なフィオレンティーナが入る余地などなく、結局ドレスのデザインを決める段階に至ってもフィオレンティーナそっちのけで盛り上がるのだった。