02
『金の聖女と6人の騎士』に登場するアッシュ・グレフォードは、伯爵家の次男として生まれ、家督を継ぐ兄を支えるためにエランティア魔法学園へ通っていた。
彼には妹がいたが、12歳のころに自身の不注意で亡くしてしまい、翌年に母親を亡くしている。それ以来『大切なものは作らない』と決めて他人との関りを疎むようになってしまった。そのため婚約者であるフィオレンティーナにも一線を引いた冷たい対応をしており、フィオレンティーナと親交を深めると彼女がアッシュの態度に不安を感じていることがわかるというイベントもあった。
ここまでの情報を日記帳に書き綴っていたフィオレンティーナは大きくため息をついた。
アッシュとの顔合わせは既に済み、馬車で帰るところを見送って、今は夕食を終えて部屋へ戻ったところだ。お茶を淹れてくれた使用人を下がらせ、魔石ランプで照らしながらフィオレンティーナは記憶を書き記していた。
この『金の聖女と6人の騎士』という作品には一切心当たりがない。そもそも、「恋愛ゲーム」なんてものの存在すら知らない。それなのに、フィオレンティーナはその作品に触れ、ゲームを遊んだ記憶がある。それが妄想や幻覚ではないと思えるのは、アッシュの性格や彼が「家族の中でただ一人赤い瞳を持って生まれたこと」をコンプレックスに感じていることが記憶の通りだったからだ。
「……アッシュさまは今年11歳だったはず…」
自分の文字を視線でなぞり呟く。フィオレンティーナとアッシュは1歳違いで、婚約の話が組まれた際に「歳の近い相手が居てよかった」と父ランベルトが笑っていたのを思い出す。貴族同士の婚約は年齢に差があることはままある。フィオレンティーナの両親も10歳ほど年の差があったはずだ。その点はフィオレンティーナも良かったとは思っているが、今問題なのはそこではない。
もしもこの記憶が”未来予知”だとしたら、来年にアッシュの妹が亡くなり、さらには母親まで亡くしてしまうことになる。そんなのはあんまりだ。
考え込んでしまったフィオレンティーナの耳にノックの音が届く。答えるとランベルトが入って来た。
「お父様?どうかなさったのですか?」
「少し話をと思ってね」
ランベルトは驚く娘に微笑みかけ、ソファに座りフィオレンティーナに隣へ来るよう手招きした。それに従って座ると、優しく肩を抱き寄せられる。
「今日の顔合わせはどうだった?」
「…よかった、と思います。アッシュさまともお話できましたから」
「ああ、珍しくフィーがたくさん話しかけていたと聞いたよ。アッシュくんを気に入った?」
ランベルトは楽しそうにフィオレンティーナの顔を覗き込む。自分と同じ紫色の瞳に怯みながらも、フィオレンティーナは確かに、と思った。
そもそも、フィオレンティーナは大人っぽい容姿から想像される通り、物静かで大人しい少女だ。その上人見知りで、感情を顔に出すのが苦手だった。そのせいで同年代の令嬢たちからは茶会でも遠巻きにされているくらいだ。フィオレンティーナ自身にその自覚があったため、父からの言葉にどう返していいのかわからなくなってしまった。まさか「未来予知でアッシュさまについて知ったので」とも言えないだろう。
困った顔になったフィオレンティーナを見てランベルトは楽しそうに笑って頭を撫でた。
「難しい質問だったかな」
「……いえ。でも、アッシュさまはお優しい方でした」
「ああ…確かに、フィーから贈られた花も大事に持っていたね。二人が仲良くなれそうでよかった」
「はい」
アッシュに渡した花は気を利かせた使用人が一輪挿しを持ってきて、茶会の間ずっとテーブルの上に飾られていた。そのまま置いて行かれると思っていたら、「包んで欲しい」というアッシュからの申し出があり、他の薔薇も束にしてお土産として渡すことになった。
そのことを思い出したフィオレンティーナは薄く頬を染め、ランベルトは娘の様子を微笑ましく見つめながら頷いた。
「かわいいフィー。お前が好ましく思う相手と縁を結べてよかったよ。グレフォード卿ともお話したが、堅実で家族想いの方のようだった。末永く付き合ってゆくには申し分のない相手だ」
「……」
「今日は疲れただろう。早く休みなさい」
「はい。お父様も、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
黙り込んだフィオレンティーナの頭をぽんぽんと撫で、ランベルトは立ち上がり、部屋を出て行った。ソファに座りなおしたフィオレンティーナはため息をついて天井を見上げる。
アッシュが婚約者でよかったのは確かだ。不器用ながらも優しく、あまりお喋りじゃないところも、賑やかさを苦手とするフィオレンティーナには好ましかった。
――でも。
14歳になったら、フィオレンティーナはエランティア魔法学園へ行く。一つ上のアッシュは先に入学していて、そこで『運命』に出会うのだ。
孤独なアッシュを包み込み、心を開かせる少女がフィオレンティーナと同じ学年に現れる。彼女と友人になった自分は、友人の幸せのためにアッシュとの婚約を解消することになるらしい。
もしもそれが本当になるとしたら、フィオレンティーナはアッシュが別の少女に惹かれているのを目の前で見なければならない。そんなのは辛い。だったらはじめから好きにならなければ良い。
「……すきに、ならなければ…」
目を閉じると浮かぶ、赤い薔薇を見て小さくはにかむ少年の姿。
あの時確かに感じた胸の痛みを思い出して、フィオレンティーナは目を開いた。
「そんなの無理よ……」
小さなつぶやきは誰にも聞かれることなく消える。
フィオレンティーナ10歳、アッシュ11歳。薔薇の美しい初夏のことだった。