02
「フィオレンティーナ様、ようこそ!お待ちしておりましたわ」
花が咲き綻ぶようなアリアの輝く笑顔に出迎えられ、フィオレンティーナはぎこちなく微笑みを浮かべて返した。
”未来予知”について詳しく調べるためという理由以前に、そもそもアイオラリア公爵家からの招待を伯爵家であるラ=トラッソ家のフィオレンティーナが断れるわけがない。どうやっても結局参加することになるのだから、自分の意思で来れたことはよかったのかもしれない…と、半ば自己暗示のように考えながら案内に従う。
アイオラリア公爵家のタウンハウスは王都の一等地にあり、街中とは思えないほど広い庭に囲まれた屋敷は美しく、社交界に詳しくないフィオレンティーナでもその権威を肌で感じることができた。
茶会の会場となったのは、そんな広い屋敷の中でもっとも日当たりの良い一室。花の意匠がこらされた調度品で統一された部屋で、何代か前のお茶会好きの公爵夫人が客人を招くためにしつらえた応接間だそうだ。たっぷりと外の光が入るように設計された窓からは庭が見えるようになっており、今の時期、葉の落ちた木々には花の代わりにリボンやオーナメントが飾り付けられ、目を楽しませる工夫がされている。
招待状には「同年代のご令嬢と親睦を深めるため」と書かれていた。その言葉通り、室内にはフィオレンティーナとそう変わらない年齢の少女たちが招かれているのが見える。
円形のテーブルが3つ配置され、各テーブルに4人ずつ座れるようになっていた。その一つに案内されたはいいが、まったく知らないご令嬢と相席することになってしまったためにフィオレンティーナは緊張で既に胸がいっぱいだった。
「みなさま、アイオラリアの茶会へようこそ。急なお誘いにも関わらずこうして集まっていただけてとても嬉しいですわ」
テーブルから立ち上がったアリアが挨拶をする。
華やかな夜会の装いとは違って今日は瞳の色に合わせたブルーのシンプルなワンピースに身を包んでいるが、それがかえって彼女の美しい金の髪と可憐な容姿を引き立てていた。
ほうっと見惚れる令嬢たちを慣れた様子で見回したアリアはさらに続ける。
「本日は同年代のみなさまと親睦を深めたいと思っていますの。なので、少し変わった形式をご用意いたしました」
そう言ってアリアは控えている使用人に目配せをした。くすんだ灰色の髪のメイドがトレーに乗った砂時計をアリアの元へ差し出す。それを受け取ったアリアは淡い桃色の指先でくるりと砂時計を回し、コトンとテーブルの上に置いた。
「この砂が落ちきったら2人ずつ隣のテーブルへ移っていただきます。ティーカップやお菓子はそのままメイドたちが次の席へお持ちしますのでご心配なさらないでくださいね。次にテーブルを移る方のお席には花を置かせますから、目安になさってください」
思ってもみなかった形式のお茶会に集まった令嬢たちは顔を見合わせ、目を瞬かせる。お茶会経験の多くないフィオレンティーナですら驚いたのだから、日ごろから茶会に顔を出している令嬢たちの驚きは想像に難くない。
ただでさえ慣れないお茶会なのに、さらに知らない人とたくさん喋らなくてはいけない状況になってしまい、フィオレンティーナは内心ひっそりと焦っていた。当然、その焦りが表情に浮かぶことはなく、同じテーブルの令嬢たちからは戸惑ったような視線を向けられているのだが、それに気づく余裕もない。
フィオレンティーナがどうしよう、と考えているうちにてきぱきと各テーブルへメイドたちがやって来てお茶を淹れ、茶菓子を取り分けて砂時計をひっくり返した。
そうして、フィオレンティーナの混乱などお構いなしにお茶会は始まった。
「…まあ!それで、この春にはご婚約を?」
「おめでとうございます。バーダ子爵家といえば、服飾品の職人を多く抱えてらっしゃるとか。きっと素敵なドレスを仕立ててくださるのでしょうね」
「ありがとうございます。まだそういったお話はできていないのですけど、誕生日にはお抱えの職人が作ったというレース細工をいただきました」
意外なことに茶会は滞りなく進んでいた。はじめのうちは出方を見るような間が生まれていたものの、少し会話をすると思いがけない共通点や話題が出て来て、すっかり打ち解けた空気が生まれていた。
フィオレンティーナも最初こそ身を固くしてティーカップを眺めていたが、隣に座った令嬢があれこれ話しかけてくれるおかげで少しは会話に参加することができた。今は対面に座ったダークブラウンの巻き毛に優し気な垂れ目の令嬢が頬を染めながら婚約者の話をしている。
婚約者、という単語に無意識にアッシュの顔を思い浮かべていたフィオレンティーナに隣の令嬢が話しかけて来る。
「そういえば、フィオレンティーナ様にも婚約者がいらっしゃるのでしたよね?」
「……え?ええ、はい…」
「ああ!この間の夜会でお見掛けしましたわ!グレフォード伯爵家のアッシュ様でしたわよね?」
「私もお見掛けしました。アッシュ様の凛としたお姿とフィオレンティーナ様の静かな佇まいがとっても美しくて、舞踏会の飾り付けもあいまって物語のワンシーンかと思うくらいでしたもの」
「あ、ありがとう…ございます……」
「素敵ですわよねぇ…アッシュ様……グレフォードの見事な銀の髪もですけれど、なんといってもあの紅玉のような瞳!」
「あんな美しい瞳で見つめられるなんて、フィオレンティーナ様が羨ましいですわ」
きらきらと羨望や憧憬のようなものが混ざり合った視線を向けられて顔が熱くなる。色の白いフィオレンティーナがそうなると頬が薔薇色に色づくのが手に取るように見え、恥じらう様子に令嬢たちはきゃーっと嬉し気に悲鳴を上げた。
席替えで新しくやってきた令嬢も、次のテーブルへ移ってからも、明らかにアッシュへの興味と思われる質問攻めに遭ったりしたため、アリアのテーブルへ回る頃にはすっかり疲れ果てていた。
「お二人とも、お茶会は楽しんでいらっしゃる?」
「はい。とても」
「ええ。アリア様、こういった機会を設けてくださりありがとうございました」
「イルマ様とは秋のお茶会以来ですね。お変わりなさそうでよかった」
「ベルナデッダ様も。知っている方がいらして安心しました」
フィオレンティーナと共にテーブルを移って来た赤毛の令嬢はイルマといって、伯爵家の令嬢だそうだ。アリアと共にテーブルに座っていた令嬢とも知り合いのようで、一瞬で形成された親し気な雰囲気に気後れして黙り込んでしまう。
そんなフィオレンティーナの様子に気付いたのか、アリアが隣の令嬢を示して紹介してくれた。
「フィオレンティーナ様、こちらはインカンデラ伯爵家のベルナデッダ様です」
「はじめまして。ベルナデッダと申します」
「あ…ラ=トラッソ伯爵家のフィオレンティーナです」
濃い藍色の髪を持つベルナデッダは、年齢のわりに艶っぽさを感じる唇を微笑みの形にして名乗った。濃いオレンジの瞳はフィオレンティーナを値踏みするような色を浮かべている。
「ラ=トラッソ家と言えばコスタクルタの?」
「ええ。みなさまはコスタクルタの葡萄酒と乙女のお話はご存じですか?」
「もちろん!小さなころに乳母が聞かせてくれましたもの」
ベルナデッダの問いかけに答えたのはアリアだった。そのまま振られる話題にイルマが反応すると、アリアは満足げに頷いた。
コスタクルタの葡萄酒と乙女の話は、エランティアに数多く残る神話のひとつだ。
昔、まだコスタクルタという名前が付く前のその土地に、一人の盲目の少女が暮らしていた。彼女は身寄りがなく目も見えなかったが、その代わりに天気を読む力に長けていた。その力で土地の人々を助け、また人々も少女を助けた。
あるとき、葡萄酒色の瞳の旅人がやって来た。
彼は葡萄酒の作り方を広めるために旅をしているのだと言い、この土地で葡萄酒を広めたらさらに北へ向かうつもりだったが、少女が嵐が来ると言って旅立ちを引き留めた。旅人は不思議に思ったが、少女の言う通りに留まることにすると、長く大きな嵐がやって来た。
旅人は少女に感謝し、嵐の間、彼女へ恩返しをすることにした。そうして長い長い嵐が過ぎるまでの間、2人は心を通わせ、しだいに恋に落ちて行った。
しかし、どんなに長くても嵐は終わる。
それを感じ取った少女は旅人の目的を想い、送り出すことにした。旅人は必ずまた戻って来ることを誓って再び旅に出た。
いくつもの土地を巡り葡萄酒の作り方を広めた旅人が少女の元へ戻ってくると、少女は既に少女と呼べる年齢ではなくなっており、流行病に倒れていた。
余命幾何とない少女──女を抱きしめて旅人は嘆いた。彼は少しも年をとっていなかった。彼は豊穣を司る葡萄酒の神、コスタクルタだったのだ。
コスタクルタは女に自身の瞳を与え、彼が旅先で見て来た風景を見せた。葡萄酒色の瞳を瞬かせた女は初めて見る世界と自身の想い人の美しさに涙を流し、愛を伝えてこと切れた。
愛する者を失ったコスタクルタは嘆き悲しんだが、彼のもとに一人の少年が現れた。少年は葡萄酒色の瞳を宿した、女とコスタクルタの子どもだった。
女を失ったコスタクルタはその土地に留まることを選び、息子と二人で上質な葡萄酒を作り出し、土地を栄えさせた。以来、その土地は『コスタクルタ』と呼ばれ、酒神コスタクルタの血を引く一族は必ず紫の瞳を持って生まれるようになった。それがラ=トラッソ──『葡萄酒の祝福』と呼ばれる伯爵家の縁起である。
「悲しいけれど、ロマンチックなお話ですよね」
「私、このお話が大好きですの。だから、ずっとフィオレンティーナ様とお会いしてみたいと思っていたんです」
ほう、と頬を染めるイルマの横でアリアがフィオレンティーナに微笑みかける。
フィオレンティーナにとってもなじみ深い話だが、まさか自分に興味を持つきっかけがこの話だったとは思わなかった。幻滅させてしまったのではないか、と思っても口に出せるわけもなく、フィオレンティーナは「…ありがとうございます」と曖昧に返事をすることしかできない。
「フィオレンティーナ様は天気を読んだりできますの?」
「い、いえ。私には…」
「魔力はおありなのよね?」
「ええ。多少…」
「コスタクルタから強い魔力を持った魔法使いが出たという話は聞きませんわよね。神話の通りなら、神の血を引いているはずなのに」
「……」
黙ってイルマとアリアの会話を見守っていたベルナデッダが畳み込むように質問を投げかけて来る。戸惑いながら答えていると、オレンジの瞳はどこかフィオレンティーナを軽んじるような目つきになってゆく。
「婚約者様はとても強い魔力をお持ちだと聞きましたけれど」
「……アッシュ様のことですか?」
「ええ。魔力属性は遺伝しませんが、強い魔力は遺伝することもあるというじゃないですか」
ベルナデッダは挑発的な流し目でフィオレンティーナを見つめると、優雅にティーカップを持ち上げる。
「それが本当だとしたら、ずいぶんともったいない婚約ですこと」
そう言って紅茶に口をつけるベルナデッダに何も答えられず、フィオレンティーナは表情の抜け落ちた顔で固まってしまった。
今までは婚約が公になっていなかったこと、そしてフィオレンティーナ自身があまり積極的に社交の場へ出なかったこともあり、こんな風に直接的なことを言われたのは初めてだった。そもそもそういった観点でこの婚約のことを考えたことがなかったというのもあるだろう。
黙り込んだフィオレンティーナの横でイルマがおろおろしているのがわかるが、言葉がまったく出てこない。それを見たベルナデッダは勝ち誇ったように口端を上げた。
「フィオレンティーナ様はとても控えめな方のようですね。アッシュ様のような寡黙な方をお支えするのは難しいと思いますけれど」
「ベルナデッダ様」
明らかな悪意を含んだ言葉をベルナデッダが口にしたとき、それを制するように口を開いたのはアリアだった。
アリアは静かな仕草でティーカップをソーサーへ戻し、笑みを浮かべたままベルナデッダを見る。その顔は確かに笑っているが、冬の清水のような冷たさを宿していた。それに気づいたベルナデッダが何かを言う前にあくまで穏やかに言葉を重ねる。
「私、今日はみなさまと仲良くしたいと思ってお招きしましたのよ。ベルナデッダ様はそうではなかったみたいで残念だわ」
「い、いいえ。もちろん、私もみなさまと仲良く──…」
「あら、そうでしたの?私、全然気が付きませんでした」
「………」
「そういえば、みなさまも来年から学園へ入学されるのでしたわね。入学準備はどんなことをされています?」
ベルナデッダに喋らせることなく話題を変えたアリアに合わせ、イルマがほっとした顔で「いま家庭教師を探しているところで」と答える。
それからは来年入学する魔法学園についての話題で盛り上がり、次の席替えのタイミングで茶会は終了することになった。
それぞれの家の迎えが来るのを歓談しながら待つ令嬢たちから少し離れて、フィオレンティーナは庭を見せてもらっていた。部屋の中で待っているだけでは退屈でしょうとアリアが提案してくれたのだが、まだ寒いこの時期に好き好んで外へ出る令嬢は少なかった。
早々に屋内へ戻ってゆく令嬢たちを横目に、フィオレンティーナはストールを抱き寄せながら小さく白い息を吐く。
あれからずっと、ベルナデッダに言われた言葉が頭の中をぐるぐるしていた。
今まではアッシュとの婚約の障害となるのは”未来予知”の内容であり、アリアの存在だけだと思っていた。よく考えればあれだけ美しく、魔力の保有量が飛びぬけて高いアッシュを夫に望む者は多くて当たり前のことだ。
フィオレンティーナはあまり家の話を聞かせてもらえていないけれど、グレフォード伯爵家が多くの騎士を輩出し、長きに渡って国に貢献してきた名家であることは知っている。アッシュの父であり現当主のカルロは騎士の道を目指さなかったが、カルロの弟──つまり、アッシュにとって叔父にあたる人物は辺境騎士団の団長を務める傑物らしい。
アッシュ自身も叔父のもとで研鑽を積んでいるというし、本人の魔力量を考えればエランティアでも希少な魔法騎士としての地位を得られるかもしれない。
それに比べてフィオレンティーナはどうだろう。
ラ=トラッソ家自体は葡萄酒を筆頭に農産物、海に面した土地もあるため海産物もあり、豊かな自然のおかげで観光業も盛んだ。しかし、それはラ=トラッソ家の魅力であって、フィオレンティーナ本人のものではない。
美しい母に似たおかげで容姿を褒められることはある。ここ数年は魔法学園の入学のために勉強をがんばってはいるが、それでも武器にできるほどではないし、魔力量はいたって普通だ。
──だから、ベルナデッダの言うとおりだと思った。
今のフィオレンティーナにとって、アッシュとの婚約は”もったいない”。
言い返せなかった自分が悔しくて、そう言われるまで気づきもしなかったのがひどく情けなかった。
「フィオレンティーナ様?」
不意に声を掛けられる。弾かれたように顔を上げると、メイドを連れたアリアが立っていた。




