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02


 デビュタントは、その年の一番最初にエルウェント城で開催される大夜会で行われる。開催はその年の雪解けの時期によるが、今年は冬が長かったために例年よりも遅い日程での開催となった。

 この大夜会を皮切りに夜会や茶会が開催されるようになるため、領地で冬を越した貴族たちはこぞって王都へやって来て社交に勤しむのが常だった。


 エルウェント城は王都エル=ウェーネの北に位置し、エランティアいち美しい城と呼び声高い城だ。都の名前の由来である水の女神『ウェーネティア』からの祝福を受けた青き湖『エル=ウェーネ』の上にあり、白い城壁と青い湖の対比は一幅の絵画のような美しさだ。

 城へは石造りの橋がかけられており、夜会の参加者はこの橋を渡って入城することになっている。「青き湖の橋を渡る」と言うフレーズは王城の夜会へ参加することを指し、多くの詩歌にも歌われるほど有名な言い回しだ。

 例に漏れずフィオレンティーナもそんな詩歌に触れて育ったため、馬車の窓から橋が見えたときに何とも言えない胸の高鳴りを感じた。とはいえ、その高揚もアッシュのエスコートで馬車を降りた瞬間に吹き飛んでしまったのだが。


「……」

「…大丈夫か?」

「だ、大丈夫です」


 降車場でアッシュの手を借りて降り立ち、会場への導線に敷かれたカーペットの上を並んで歩き始めると、会場前のホールで待ち合わせや談笑をしている貴族たちから視線が集まってくる。

 明らかに自分を追いかけて来る視線に委縮するフィオレンティーナを見て立ち止まったアッシュは、エスコートのために組んだ腕を少し引き寄せた。


「…気にするな、とは言えないが…俺も居る。大丈夫だ」


 そう言って再び歩き出すアッシュにつられてフィオレンティーナも歩き出す。見上げたアッシュの横顔は凛々しかったが、短い銀髪から覗く耳の先がわずかに赤くなっていることに気付いて、フィオレンティーナは思わず微笑んでしまった。緊張しているのは自分だけではない、そう思うと少しだけ足が軽くなった。

 そうしてアッシュにすっかり意識を奪われていたフィオレンティーナは、自身の微笑みを見た周囲の客たちが「あれがコスタクルタの薔薇…」と囁いてはうっとりとしたため息をついていることを知らなかった。



 名前を読み上げられて入場し、緊張しながら国王夫妻への挨拶を済ませたフィオレンティーナとアッシュは会場の隅でようやく息をついていた。


「…こんなに参加される方がいらっしゃるのですね」

「国王主催の大夜会だから特別多いんだろう」

「そうなのですね…」


 給仕から受け取ったノンアルコールドリンクで喉を潤し、やっと周囲を見る余裕ができたフィオレンティーナは不躾にならない程度の視線をあたりへ向ける。自分たちと同じくらいの年ごろの少年少女が楽しそうに会話をしているのが見えて、アッシュへ声を掛けた。


「アッシュ様、他にご挨拶する方などは…?」

「ああ…親戚と兄弟子が参加しているらしいから後で挨拶するつもりだ。君は?」

「私も親戚が参加すると聞いています。でも、こんなに人が多いと探すのも大変ですね…」

「……それは問題ないんじゃないか?」


 アッシュの言葉に首を傾げようとしたところに「フィオレンティーナ!」と声がかかる。驚いて振り向くと、青いドレスに身を包んだ少女がエスコートの男性を引きずってこちらへやってくるところだった。


「カーラ姉様?」

「久しぶりね、フィー。あなたたち、とっても目立つから見つけやすくてよかったわ」

「カーラ様。突然まくし立てては失礼ですよ。僕のこともちゃんと紹介してください」

「あなたを紹介するためにフィーに声を掛けたわけじゃないんだけど?」

「ここは社交の場ですよ、カーラ様。とっくにデビュタントを迎えているあなたなら淑女の振る舞いもよくおわかりでは?」

「…フィオレンティーナ、こちらは?」


 目の前へやって来て突然言い合いを始めた男女にフィオレンティーナが表情には出ないまま内心おろおろしていると、隣で見ていたアッシュがそっと声をかけてくれた。我に返ったフィオレンティーナは「失礼いたしました」と頷き、姿勢を正して口を開く。


「アッシュ様、こちらはカーラ・ベッリーニ様です。ベッリーニ伯爵家のご令嬢で、私の従姉妹なんです」

「初めまして。カーラ・ベッリーニですわ」


 フィオレンティーナの紹介に応え、青いドレスの少女――カーラが微笑む。

 カーラはフィオレンティーナの母、ダニエラの姉の娘で、フィオレンティーナより4つ年上の女性だ。フィオレンティーナにとっては姉のような、友人のような存在にあたる。

 ベッリーニ家は鉱山をいくつか保有しており、エランティアでも有数の資産家としても有名だ。そんな家の令嬢であるカーラは本人の色気のある美しさもあって婚姻を結びたいという声が引きも切らぬ勢いだが、本人にはまだその気はないらしい。

 今も会場の男性たちの視線を集めながらもカーラは素知らぬ顔でアッシュに向けて話を続ける。


「フィオレンティーナとは姉妹のように仲良くさせていただいております。お会いできるのを楽しみにしていましたのよ」


 アッシュへ向ける表情は完璧な淑女の微笑みで――実際、フィオレンティーナは「カーラ姉様は今日もとてもお綺麗だわ」としか思っていなかったが――その笑みを受けたアッシュは、カーラの瞳が値踏みするように自身を見ていることに気付いていた。

 思わず怯んだアッシュを気にすることなく、カーラは流れるように隣に居る男性を示す。


「そして、こちらはザノッティ子爵家のオリンド。うちの領で山籠もりしてる変わり者です」

「あはは。ひどい言いわれようですが、その通りなのが悲しいところですね。初めまして。オリンド・トエヴ・ザノッティと申します。ベッリーニ家からご支援いただいて魔鉱石の研究をしておりまして。けして山が好きなわけではないですよ」


 20代前半くらいだろうか。彫りの深い顔立ちに人好きのする笑顔を浮かべるオリンドは貴族らしい品の良さはあるものの、自由に飛び跳ねた茶色の癖毛や日に焼けた肌の色から、どこか気安く親しみやすい雰囲気を感じる。

 アッシュとフィオレンティーナが挨拶を返すと、オリンドは「それにしても」とオリーブグリーンの瞳をきらきらと輝かせた。


「『コスタクルタの紫水晶』と『グレフォードの紅炎石』を揃って見ることが叶うなんて、とても光栄ですよ」

「それは…俺たちの瞳の色のことでしょうか」

「ええ。僕は魔鉱石を研究するくらい鉱石が好きでしてね。お二人の瞳のことも、噂で聞いてずっと見てみたいと思っていたんです」

「あなたたち、ここ数年ですごく有名になっていたのよ。グレフォード様はご存じかもしれませんけど、フィーはお茶会にもほとんど出ないから知らなかったんじゃないかしら?」

「はい…その、噂…というのは?」

「”炎の騎士と紫水晶の姫君”という噂です。元々コスタクルタの紫水晶は有名な話でしたが、その瞳を持つ令嬢が、炎の瞳を持つ婚約者を迎えたと」


 思わずアッシュとフィオレンティーナが顔を見合わせると、カーラが扇の裏でくすくすと笑う。


「コスタクルタの薔薇会があるでしょう?何年か前に参加した人が『コスタクルタには薔薇の精のようなご令嬢がいる。婚約者は炎の瞳を持っていた』って噂し始めてね。ほら、内々でグレフォード様を婚約者と紹介したことがあったそうじゃない?」


 アッシュと婚約を結んだ年の、あの秋の薔薇会のことだろう。思い出して頷くフィオレンティーナを見てオリンドが話を引き継ぐ。


「その話以降、お二人が揃って茶会へ参加されることはなかったけれど、それぞれを見たという人たちが噂を広めていきまして。今日はそんなお二人が社交デビューをするのだというから、みな注目していたのですよ」

「この人はただ、重度の鉱石狂いで宝石みたいな瞳を見てみたかっただけらしいけれどね」

「カーラ様、それは言い過ぎです。ああでも、宝石のような瞳といえば有名な方がもう一人いらっしゃって――…」


 オリンドの言葉の途中で不意に周囲がざわめく。

 何事かと視線を会場内へ戻せば、こちらへやって来る人影があることに気付いた。


 陽の光を集めて紡いだような金色の髪。華奢な体躯は花の色を思わせる濃淡の違うピンクのドレスに包まれており、彼女の歩みに合わせて繊細な刺繍の施されたレースが揺れるさまは、まるで春の化身のようだった。

 しかし、何よりも目を引くのはその瞳だ。

 金の長いまつ毛に縁取られた瞳は冴え冴えとした青を湛え、青き湖『エル=ウェーネ』を閉じ込めたような澄んだ美しさがある。

 その瞳が自身を捉えた瞬間、フィオレンティーナはこの少女が何者であるかを理解した。


「……ご歓談のところ、申し訳ありません。私、アリア・フォン・アイオラリアと申します」


 アリア・フォン・アイオラリア。

 それは、『金の聖女と6人の騎士』の主人公の名前だった。



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