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ホテル万華鏡  作者: ほうふ しなこ
第一章 総支配人の仕事
1/8

一話 夫婦

2015年4月2日 ブログ初投稿



総支配人の堤…ホテル万華鏡の支配人兼従業員兼受付係兼会計でもあり、ドアマンからお客様のお荷物運びに客室の清掃まで。つまりは万華鏡のただひとりの働き手で、文字通りの総支配人。

前原…ホテル万華鏡に泊まりに来た、ひとりの男。が、彼自身はそう思っていない。



 ホテル万華鏡のロビー。木目調のカウンターには、立て型の一日カレンダーが置いてある。中央のテーブルを丹念に拭いている男がいる。


堤「(舞台正面に向き直り)……あっ、これは失礼致しました。ようこそ、ホテル万華鏡へ。わたくしは当ホテルの支配人であり、従業員であり、受付会計、ドアマン、お客様のお荷物運び客室清掃、他にも……えぇ、まあ、あれこれと雑務もこなす総支配人の堤と申します。お客様に当ホテルでお過ごしいただくにあたり、ご快適に且つご安全に、を社訓教訓モットーと致しまして、ホテル従業員一同、と申しましてもわたくしひとり、努めさせていただいております。え? 従業員が何故わたくしひとりか? ですか? (客がひとりもいないフロアを見渡し)見てお分かりかと存じますが、……ご予約は今のところご必要ありませんので、いつでもウェルカムでございます、そこのあなた。あ、そのご予定はない。左様でございますか。予約は百年先までスッカスカですので、お早めに。……はい、ハッキリ申しまして、儲かっていないのでございます。お給料を出せません。ええ、出せませんとも。世知辛い世の中です。当ホテルをご利用されるお客様は年々少なくっておりますから。申しましても、廃業などは致しませんのでご安心を。当ホテルのお客様は、ご事情がおありな方が多ございます。だから、先ほどわたくしの営業を断れたあなたにはご事情がない……わけではもちろんございません。それぞれおありかと存じます。世知辛い世の中だからこそ、必要な場というものがございます。当ホテルはお客様にとってそのような場でありたいと思っております。ただ、お泊りになるお客様にはちょっとした審査をさせていただきます。なぁに、本当にちょっとしたものです。それは、……おっと、つまららない長話を致しました。本日は久方ぶりのご予約のお客様をお迎えする日ですので、少々気持ちが高ぶってしまったようです。っと、……お見えのようです」


 上手に照明。ふたり分はありそうな大きな荷物を持った男がひとり。

 堤、舞台上手に移動し、ドアを開けるマイム。


堤「ホテル万華鏡へようこそいらっしゃいました、前原まえばら様。お荷物をお預かり致します」


前原「ありがとう」


 前原、ホテルの内装をゆっくり見渡す。


前原「なんだか懐かしいなぁ……そう思わないかい?」


堤「左様でございますか」


前原「新婚旅行で泊ったホテルも、こんな風に趣のある所だったね」


堤「そう言っていただけて光栄でございます。こちらへ(中央のテーブルへ案内)」


前原「え? あの、受付は?」


堤「お疲れでしょう? 今、ハーブティをお持ち致します」


前原「え、ええ」


 前原、少々困惑気味にソファに着く。

 堤は荷物をテーブル傍の荷物置きに置き、カウンター奥の扉の奥に引っ込む。

 前原、またホテル内を見渡し、視線を前のソファに据える。


前原「噂は本当だったんだ。それにしても、こうして泊まりなんて久しぶりだね。毎回仕事が忙しいって言って、なかなか……だから、これからはゆっくりしよう。そのために仕事も変えたんだから。いや、気にすることはない。僕の方が今まで勝手だったんだ……」


堤「(トレイにカップがふたつ)前原様、お待たせ致しました。本日はご予約いただき、ありがとうございます」


 堤、空席のはずのソファ前にまずカップをひとつ置き、それから前原の前に置く。


前原「ありがとう」


堤「お口に合うといいのですが」


前原「頂くよ。(香りを楽しんで一口飲む)甘い……? なんてお茶だい?」


堤「エゾコウギ茶です。心身の疲労を和らげてくれますよ」


前原「確かに、僕達は疲れているね。いや、僕が疲れさせた、かな……」


堤「(空席のソファを見て)だから、当ホテルにお見えになった」


前原「ええ。妻が来たい、と言いまして」


堤「左様でございますか」


前原「噂通りだ。僕達を泊めてくれるホテルは、どこにもないと思っていたよ」


堤「ホテル万華鏡は、そういった場でございますから。奥様も、ご安心を」


前原「良かったね、宏子(ひろこ)


堤「ただ、おふたりでお泊りになるかは、ご主人様次第かと」


前原「……どういう意味だい?」


堤「どういう意味と仰られましても、ご説明に困るのですが、お泊りになることはもちろん可能です。おふたりでも、おひとりでも」


前原「妻はいる、さっき君……えっと……」


堤「総支配人の堤でございます」


前原「堤さんは認めてくれたじゃないですか」


堤「ええ、ここにいらっしゃいますとも。あなたの奥様の宏子様は、確かにここにいて、心配されていますよ。あなたのことを」


前原「心配……? 僕のことを?」


堤「おや? 気付かれませんでしたか?」


前原「妻は? 妻はどんな顔をしてますか? どんな表情を……(立ち上がって堤に詰め寄る)何を言ってますか?」


堤「落ち着いてください。さあ、ハーブティをお飲みになって」


前原「(渋々座り、一口飲む)……正直、僕には見えないんです」


堤「でしょうね」


前原「いないと言われてしまえば、そうなのかもしれない。でもね、僕はいると思うんですよ。……僕はおかしいですか?」


堤「いいえ、全く」


前原「ありがとう。だから、これからはふたりでちゃんと過ごしたいって思ったんです」


堤「でも、あなたは見えない」


前原「宏子がどんな顔していたのか……十年一緒にいたはずなのに、ハッキリ思い出せないんです。最後、病気で苦しむ彼女の姿しか……僕が仕事に出る時、どんな顔で『いってらっしゃい』って言ってくれていたのか、『おかえり』は、『おはよう』『おやすみ』、『今日の晩ご飯は……』……僕は、彼女が倒れるまで、病気のことすら気付かなかった」


堤「目を逸らしていては、奥様のお顔が見えませんよ?」


前原「(立ち上がって)でもっ……見えないんですよ! 僕には……何も……傍にいるって思いたいのに……」


堤「お茶が冷めてしまいましたね。淹れ直してきますよ」


 カップをふたつ下げて、また奥へと引っ込む。


前原「……宏子、君は今どんな想いでここにいるんだい? もしかして、やっぱりいないのか? でも、…………なんで最期にこのホテルの名前を言ったんだ?」


 カタンッとカウンターのカレンダーが倒れる。

 前原は驚いて、それを見る。恐る恐るそれに近付き、立て直す。


前原「あ、……今日は……」


堤「(小さなケーキをひとつだけ持って)結婚記念日、おめでとうございます」


前原「どうして?」


堤「宏子様のご遺志かもしれませんね」


前原「……きっと、……ううん、そうに違いないね」


堤「腕によりをかけて作りましたので、ぜひご賞味ください」


前原「堤さんが作ったんですか? そういえば……他の従業員の方は?」


堤「いません。わたくしひとりでございます」


前原「(ソファに座り直し)ひとり? ここの経営すべておひとりで?」


堤「左様でございます」


前原「できないことなさそうですね」


堤「そんなことありません。結婚生活はできませんでしたから」


前原「え? 離婚、された?」


堤「ええ。バツ二です」


前原「に、二回……す、すいません、なんだか立ち入ったことを」


堤「お気になさらず。さあ、どうぞ召し上がってください」


前原「いただきます。(一口食べて)美味しい」


堤「ありがとうございます」


前原「そういえば、美味しいって思うことも、久しぶりだ」


堤「わたくしも、美味しいと言っていただくのは久しぶりにございます」


前原「堤さんは、……さみしくないですか?」


堤「さみしいですよ。時々、無性にさみしくなります」


前原「そ、っか……良かった」


堤「はい」


前原「すごく、……さみしくなったんです。さみしいんです。宏子がどんどん、妻との時間が薄れていくようで……」


堤「記憶とは、そういうものです」


前原「そうかもしれません! でも、僕は何もしてあげられなかったからっ……せめて、すべてを憶えていたいって」


堤「だから、心配されていたんでしょう」


前原「……やっぱり、心配していますか? まだ僕のこと」


堤「ずっとあなたを心配していたかったそうです」


前原「…………そんなこと……」


堤「でも、夫婦だった時の記憶が薄れることを心配はされてはいませんでした」


前原「え……?」


堤「奥様は、あなたを愛していらっしゃったんですね。そして、あなたも」


前原「ええ。…………宏子は、もういない」


堤「はい」


前原「思い出しましたよ、彼女がいつもしていた表情。ずっと心配そうだった。僕が何度『大丈夫だ』って言っても、『ほんとに?』って苦笑してた」


堤「はい」


前原「それで、……よかったんですかね? 僕達夫婦は?」


堤「それをバツ二のわたくしに訊きますか?」


前原「あ、……」


堤「それが、前原ご夫妻の夫婦の在り方だったと、わたくしは思いますよ」


前原「ありがとう。堤さん、部屋の変更、できますか?」


堤「承ります」


前原「ダブルを、シングルで」


堤「畏まりました。お部屋までご案内致します」


前原「よろしく」


 堤、荷物を持ち、下手端まで前原を案内する。

 前原、下手端で荷物を受け取り、はける。

 下手照明。


堤「翌日、前原様はおひとりで、当ホテルをチェックアウトされました。そして、その足でまた新たなご自身の道へ戻られたとわたくしは思っております。恐らく、前原様が当ホテルをご利用になられることは二度とないでしょう。ホテル万華鏡は、そういう場です。ですが、いつでも、どなた様でもお待ちしております。いつか、あなた様にホテル万華鏡の扉が映るその日を……予約は百年先までスッカスカですよ。今がごゆるりできるチャンスです。まあ、でも、いっぱいになられても、それはそれでこの世が困る、か。本日も、ロビーと客室の清掃をひとり頑張りましょうかね」


 堤、箒を下手から持ち出して掃き出す。

 暫くまた、ホテル万華鏡には閑古鳥が鳴きそうだ。




 ~おわり~

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