ノーパンが教えてくれたこと。
フィクションであってくれ…
7月中旬、梅雨も徐々に明けてきて、セミの鳴き声が五月蝿くなり始めてきた今日、僕はノーパンで家を出た。
待て待て、ブラウザバックするのはやめてくれ、これはそう、不可抗力なのだ。話は最後まで聴くものだ。
言うまでもなく一番驚いたのは僕である。
いつものように目が覚めていつものように学校へ行く準備をする。
そんないつものように流れるはずの日常に異変を感じたのは、朝食を食べ終え、着替えようとタンスを開けた時だった。
そう、そこにあるはずのパンツがないのだ。
僕はそれを見るや否や洗濯機に駆け寄り、びしょびしょになったパンツたちを発見するまでそう時間は掛からなかった。
僕はその時、衣替えの季節がやってきたと夏の訪れを実感することができた。
おっと、感傷に浸っている場合ではない。
時計をみたが、びしょびしょになったパンツを乾かす時間はなく、履いて行ったら行ったでお漏らしのようにシミになるのがオチだ。
それならばもういっそノーパンで学校に向かうと言うのも悪くないのかもしれない。と言うかそれしかもう選択肢がない。
僕は覚悟を決めて、ズボンを履いた。
家を出るといつもと同じはずの通学路が、違って見えた。
何がどう違うのか、言及されれば答えられないのだが、何かが違った。
近くのファミマがなくなって整骨院になっていたり、自販機の中身が変わっていたりと些細なことばかりが目に入ってきたのだ。
僕はそれに少し違和感を感じたが今はそれどころではない。
何度ズボンのファスナーを確認しても、隙間から奴が「コンニチワ」しているのではないかと気が気でなかったのだ。
道ゆく人々が笑っているのを見ると、自分がノーパンなのがバレたのではないかとヒヤヒヤする。
ノーパンの女子高生はかわいいものだが、ノーパンの男子校生はただの性犯罪者でしかない。
そうこうしているうちに駅についた。
駅でも、ホームの広告が変わっていたし、なんだかいつもよりも、人の顔が目に入ってくるような気がした。
それは僕のノーパン通学というイレギュラーな行為によって、周囲に気を配るようになり、周囲がよく見えるようになったということだろうか。
確かに、通学路なんてつまらないと勝手に決めつけて、よく見ようともしなかった。
だが、本来、一週間のモノクロの一瞬で終わるはずだったこの2時間が、カラー付きの記憶となって僕の記憶に残っている。
実は繰り返される日常は、もっと綺麗なものなのかもしれない。
くだらないと決めつけるのではなく、自分から行動していくことで、もっと世界は変わるのだろうか。
いつも通りの毎日じゃ物語なんて始まらない。
ならばノーパンで得る教訓なんてくだらないと決めつけることこそが、モノクロの人生を送るかどうかの境界線なのかもしれない。
どうせ今日も曇りだろうと思いきって見上げた空は想像よりも蒼く光り輝いていた。
夏はもう目の前だ。
この時の俺は、この日の授業の一時間目が体育だなんて知る由もなかったのであった。
ノーパンは世界を救う!
嘘です。ごめんなさい。