マヤ・ファンタジー後編
六の巻
メシーカの本隊が襲来するとの報に、部落に緊張が走った。
部落は竜王丸の全体的な指揮の下、臨戦態勢に入った。
老人、年少者、婦女子といった非戦闘員は竜王丸が新設した緊急避難所に退避した。
戦士は部落の入口に整列した。その他の戦闘員は正面入口の門、背後の入口門、及び柵の要所要所で、予め決められた戦闘配置についた。
メシーカの本隊は部落の入口にある密林を抜けたところに広がる草原に陣を張って、マヤの出方を待った。
中央に、天幕を張って、隊長である貴族と神官が座っていた。そして、傍らにはおどろおどろしい姿をした戦いの神の偶像が輿に載せられて鎮座していた。
降伏か、全面的に闘うか、いずれかの選択しか無かった。
全面的に闘う場合は、メシーカと対峙する形で草原に陣を張り、首長のアーキンマイと神官である、ナチンの父、マーシェクが座り、やはり戦いの偶像を載せた輿が傍らに控えることとなり、その後双方の闘いが始まるというのが戦争の形式であった。
マヤの戦士が行列をつくって、行進し、メシーカの陣と対峙する形で戦いの陣を張った。
メシーカの陣は広大に見えた。草原の端から端まで、戦士で満ち溢れているように見えた。中央の貴族の周囲には、猛獣の毛皮を被った戦士と鷲の頭と羽毛を纏った戦士がそれぞれ百名程度整列していた。これらの戦士が最強の戦士とされた。総勢は、捕虜が言った数字、千三百人より多いように思われた。
一方、マヤの戦士は総勢で二百人足らずであり、装備も貧弱であり、戦闘が始まったら、すぐにでもメシーカの軍勢に呑み込まれてしまうかのように思えた。しかし、ホルポルの指揮の下、士気は高かった。
メシーカから、隊長と思われる貴族が立ち上がり、降伏を勧めた。
マヤの陣からは、アーキンマイが立ち上がり、否と答えた。
双方の弓の戦士が前に出て、矢を空中高く相手の陣目掛けて打ち込んだ。
それが闘いの始まりだった。
空中から飛来した矢を盾で受けてから、マヤの戦士軍はすばやく撤退し、部落の入口から中に入った。 出口から急に現われた戦士を見て、槍を持った村人が色めきたった。
「あわてるな。俺たちだ。味方だよ」
マヤの戦士に言われて、照れくさそうに槍を下ろす村人がおり、付近は笑いに包まれた。
弥兵衛は高らかに叫んだ。
「今は、我々の戦士が中に入ってくるが、全員入ったら、その後は、敵が来る。その時は情け容赦無く、三人がかりで仕留めるべし」
弥兵衛の声に応じて、百人ばかりの村人が槍を上げて歓声を上げた。
これなら、勝てると弥兵衛は確信した。
マヤの戦士を追いかけて来たメシーカの戦士は入口で逡巡した。
周辺を確認しながら巡回した。周辺は全て、塀に囲まれていた。
塀は高く、そのままでは入れそうに無かった。
はしごを作る余裕は無かった。やはり、入口から入るしかないか、そう判断して、入口に戻り、次々に中に躍りこんで行った。
門の出口から、メシーカの戦士が一人飛び出すように出て来た。弥兵衛が首を一突きした。二人目が出て来た。村人が囲んで、槍で足を突き刺した。その二人目の戦士は地面に倒れ、転がった。その首筋に三本の槍の穂先が突き立った。三人目も村人に倒された。四人目も同じ運命を辿った。運よく、村人の槍の穂先にかからなかった者は弥兵衛の槍の餌食となった。
一方、裏門からもメシーカの戦士が侵入してきた。多くは、村人の槍にかかって果てた。
村人の手に余る者は義清の刀の餌食となった。義清の刀を受け止めようと黒曜石の刃を付け
た棍棒を出した者はその棍棒共に体を分断されて地面に無残な骸をさらした。義清の刀を止めるものは何も無かった。全て、真っ二つに断ち斬られた。その圧倒的な斬れ味を目撃した村人は義清を神だと思った。まさに、全能の神、ククルカンが下界に下しおかれた軍神と映った。
門の入口から入らずに、門を登ろうとした者は待ち構えていた村人に突き落とされ、やはり三人がかりの槍の餌食となった。
メシーカの第一陣はこのように全滅した。部落は静まり返った。
あまりに、静かな部落の様子に不審を感じたメシーカは、第二陣を送らずに、遠くから矢を射込むこととした。矢は何百と空中から飛来したが、竜王丸の案で新設した屋根付き通路に隠れた戦士たちへ損害を与えることは出来なかった。
その内、火矢が空中から飛来した。家は燃え上がったが、土の屋根を持った避難所に退避した村人の被害は無かった。
但し、燃え上がる家の火の粉を見て、効果ありと踏んだメシーカの貴族は第二陣の突入を命じた。第二陣が投入された。また、百人ばかりの戦士が入口から躍りこんで来たが、前と同様に次々と討ち取られて行った。
暫く、喧騒が続いた後、また静けさが戻った。
第三陣が襲って来た。今度は殆どの部隊が襲って来た。入口から突入する者、塀を破って侵入しようとする者、門を乗り越えて突入して来る者など全軍挙げての突入であった。
塀の近くには、落とし穴が設けられてあった。落ちた者を待っているのは、地面に刺した槍の鋭い穂先であった。また、魔術師スキアが一週間の間に密林や草叢で集めた毒蛇も穴の中で、落下して来る哀れな戦士を待ち構えていた。辛うじて、塀を乗り越えようとする者には矢の洗礼が待ち受けていた。竜王丸、弥平次の弓の腕前が十分に発揮された。乗り越えようとした者の胸を、首筋を竜王丸、弥平次、そして村人が放った矢が貫いた。
メシーカの軍は惨憺たる敗北を喫し、幾多の戦死者を残して退却した。退却していく軍にマヤの部落から矢が浴びせかけられた。メシーカは打ちひしがれて退却して行った。
マヤの大勝利だった。討ち取ったメシーカの数は三百人近い数となっていた。一方、マヤの死者は十人にも満たなかった。
メシーカの場合は、闘いで討ち取った敵の首を切り落として、側頭部に大きな穴を開け、その穴に木の杭を通して、ピラミッドの傍に飾るという残酷な風習がある。これは、少し離れた、チチェン・イッツァというマヤの嘗ての盟主でも行っていたという話をホルポルが苦々しい表情でしていた。
闘いが終わった後、神官の息子のナチンがこれを言い張った。
「この三百の死体の首を斬り落として、杭に通して、ピラミッドの前の広場に飾ろうではないか。神々もきっと喜ぶに違いない。この次の闘いでも神々の助けがあるに違いない」
「ナチンよ。思い違いをしてはいけない。今回の勝利は一重に、ここに居られる竜王丸さまたち、ククルカンの軍神の助けがあったれば、のこと。竜王丸さまの意見を聴こうではないか」
ホルポルがたしなめるように言った。
「それでは、ククルカンの戦士を代表して申し上げる。ククルカンは人身供犠に反対をしておられた。これは、ククルカンの神話の中で皆さんもご承知のことである。ククルカンは今でも健在であり、人身を生贄にすることには反対しておられる。今回の勝利は、この部落の全員がそれぞれ戦って勝ち取った勝利である。神々の助けなど、今回は不要であった。従って、神々に生贄などを捧げる必要は無く、ククルカンもナチン殿の提案を喜ばないと存ずる」
ナチンが冷たい眼で竜王丸を睨んだ。次の闘いで勝てば良し、負けた場合は生贄を行わなかったが故に負けたと言うことが出来る、ナチンなりの計算が働いた発言であり、提案であった。
ナチンは心の冷たい男だと竜王丸たちは思った。
夜は勝利の宴会となった。竜王丸は油断をせず、義清、弥兵衛、弥平次に二、三人の戦士を付けて、交代で周辺を見張らせた。
しかし、宴会で竜王丸には苦手なことがあった。前回の宴会でもそうだった。来ないで欲しいと思ったが、今回も竜王丸の願いは叶わなかった。
「竜王丸さま。今回の大勝利、おめでとうございます」
ウツコレルが傍に来た。花の香りがした。竜王丸にとっては、一番の苦手がウツコレルだった。竜王丸にとって、女性という異性は春日だけだった。春日は竜王丸にとっては乳母で母のような存在であった。ウツコレルのような若い娘が傍に座っているという経験はこれまでの人生では無かった。まして、ウツコレルは眩しいほど美しい娘だった。
「いや、村人の力です。協同で事に当たれば、どんなに困難な事にでも対処出来ます」
話しながら、つまらないことを話している己が嫌になった。もっと、ウツコレルが喜びそうなことを話してあげたいという気持ちにさせられた。
「でも、竜王丸さまが居なければ、村人の心は今のように一つにはなりませんでした。竜王丸のお力は素晴らしいわ」
ウツコレルはますます竜王丸に近づいてきた。竜王丸は座をずらして、ウツコレルから遠ざかろうとした。竜王丸のそのような仕草はウツコレルを悲しませた。やはり、竜王丸さまは醜い私をお嫌いなんだ、と思い、うつむいて竜王丸から離れて行った。
下座で二人の様子を弥平次はやきもきしながら見ていた。ウツコレルが悲しそうな顔をして去って行った時、弥平次は思い切って、竜王丸のところににじり寄った。
竜王丸は微笑みながら、弥平次を見た。
「弥平次。本日の働き、まことに見事であった。特に、弓の働きは抜群であった」
「お褒めにあずかり、ありがとうござりまする。ただ、一つ、竜王丸さまに申し上げたき儀がござる」
「ほぉ、何じゃ?」
「今の娘、ウツコレルさんのことでござる」
「ウツコレル殿が何か?」
「竜王丸さまから冷たくされて、今、おそらく、あの樹の下で泣いておりまする」
「泣かせるようなことはしておらぬが」
「ウツコレルさんは自分を醜いと思っており、その醜さ故に、竜王丸さまから嫌われていると思っていますのじゃ」
「醜い? ウツコレル殿の顔が醜いと? 誰が申しているのじゃ、そんな愚かなことを」
「竜王丸さま。ならば、行って声をかけなされ。お前は醜い娘ではないと。すぐ、泣きやみまするによって」
ウツコレルは弥平次が指差した樹の陰で、すすり泣いていた。
竜王丸はおずおずと近づいた。
ウツコレルは竜王丸に気付き、顔を伏せて、泣くのを堪えた。
「ウツコレル殿。弥平次から聞いたが、自分を醜いなどと思うのはおよしなされ」
ウツコレルは顔を上げ、竜王丸を涙で潤んだ眼でじっと見詰めた。
「私の顔をよく見て欲しい。ウツコレル殿と同じ、額は変形しておらず、生まれた時のままだ。また、眼も生まれた時のままで、別に寄り目にはなってはおらぬ。ウツコレル殿の顔は私たちククルカンの戦士の顔と同じなのだ。醜いなどと思ってはならぬ。それに、私は、・・・、ウツコレル殿を、・・・、どうもうまくは言えぬが、私がこれまで見た娘の中で一番美しいと思っているのだ」
竜王丸のこの言葉を聞いて、ウツコレルは一瞬信じられないという顔をしたが、その後、明るく輝くような微笑に変わっていった。
「本当? 本当なの、竜王丸さま?」
竜王丸は思わず、ウツコレルの手を握った。
「本当だ。本当だとも、ウツコレル殿。そなたは美しい娘なのじゃ。醜いなんて、とんでもない話だ。そなたは美しい。可愛く、綺麗で、美しい娘ぞ」
「嬉しい。本当に嬉しいこと」
ウツコレルは竜王丸の胸に顔を埋めた。
「来年、私は十五になります。十五になったら、私もシュタバイのように、腰に飾り紐を付けます。結婚出来るという印です。その時、竜王丸さまのお気持ちが変わらなかったら、私に求婚して下さい。お気持ちが変わっていたら、私は一生を神々に仕える巫女となります」
早口でこう言い残して、ウツコレルはすばやく竜王丸の唇に接吻して走り去って行った。
「アーキンマイさま。今回の勝利をどのようにお考えで?」
ピラミッドの頂上の神殿で葉巻タバコを吸っていたアーキンマイにナチンが話しかけた。
「ナチンか。わしは、竜王丸殿たちのご尽力が大きいと思っている」
「では、竜王丸殿たちがククルカンのところに戻ったら、いかがなさるか?」
「しかし、竜王丸殿たちは暫くこの部落に留まってくれるとのことだが」
「今はそうでも、何ヶ月、何年も滞在するという保証はございませぬ」
「それはそうじゃが。ナチン、お前は一体何が言いたいのじゃ」
「お分かりなさらぬか? 私はメシーカとの和睦を望んでおります」
「和睦? 和睦とな。愚かなことを軽々しく言うべきではないわ。あやつらとの和睦は降伏ということじゃぞ。降伏した部族に対して、あやつらはやりたい放題のことをするのじゃぞ」
「それは、闘わずに降伏した部族、闘って脆くも敗北した部族のこと。我々は本日の闘いに勝っております。勝っている内に、和睦した方がアーキンマイさまも安泰というもの。よくよく、お考えなされ。いつまでも、竜王丸殿たちはこの部落に滞在するということはありませぬ。竜王丸殿たちがここを去ってから、メシーカが何回か襲ってきたら、いかがなさるおつもりか。メシーカはまだまだ、各地に戦士軍を残しておりますぞ」
アーキンマイは葉巻タバコを咥えたまま、じっと眼を閉じた。
「一時の勝利に酔ってはなりませぬ。今回の勝利は、竜王丸殿たちが居ったればの勝利。竜王丸殿たちが去ってからはいつまでも勝利するものではありませぬ。戦えば、戦うほど、メシーカの憎しみは増します。特に、首長であるアーキンマイさまへの憎しみは増していくのですぞ」
アーキンマイは何も言わず、眼を瞑ったままでいた。
「勝っている内に和睦した方が賢い選択ですぞ。部族を安泰に繁栄させるのが、首長たるアーキンマイさまの手腕でございますよ」
ナチンは囁くように言って、神殿を降りて、深い闇の中に消えた。
竜王丸が戻って来るのを待ちかねたように、ホルポルが話しかけてきた。傍らに、ホルカンとホルカッブが控えていた。
「竜王丸殿。少し、お話があります」
竜王丸は、先ほどのウツコレルの大胆な行為で半ば茫然としていたが、ホルポルの言葉を聞いて、我に返った。
「ホルポル殿。何なりとお話し下され」
「今後のメシーカ族とのことです」
竜王丸は耳を傾けた。
「今回は、竜王丸殿たちのお力を賜り、勝つことが出来ました。しかし、竜王丸殿たちが当地を離れてから、メシーカが数を頼んで何回も戦いを挑んできたら、今回のように、敵をおびき寄せて討ち果たすというような戦いはいつまでも通用するとは思いません。今後、どのようにしたら良いのか、お教え戴きたい」
ホルポルのみならず、ホルカン、ホルカッブも真剣な顔をして竜王丸の言葉を待った。
「メシーカとは、宗教も異なり、本来相容れない部族と思いますれば、和睦という姑息な手段は論外。和睦は相互共存という保証があればこその和睦であり、上に立つ者の一時しのぎの安泰のための和睦であってはならない。仮の和睦は早晩滅亡に繋がるということを先ず認識して戴きたい。メシーカのような軍事国家とは断固戦わなければなりません。そのためには、この部落が盟主となって、近隣の部落を纏め、連合軍を編成することが必要かと思います。この部落が盟主となるのが無理な場合は、マヤパンの王に盟主になってもらい、とにかく、マヤの連合軍を編成し、メシーカに戦いを挑むということが必要でしょう。部落毎の個別の戦いでは、いつしか個別に撃破されてしまいます。部落連合によるマヤ連合軍の編成と兵士の訓練で勝ち味は自ずと見えてきます。とにかく、軍事国家は後顧の憂いを絶つためにも、早めに滅ぼさなければなりません」
一夜明けた、翌日のこと。
アーキンマイは部落の貴族、神官たちを一同に集めた。
メシーカ撃退後の今後の部落の対応を協議することとした。
会議では、早期和睦を進めるべしとする神官側と徹底抗戦を主張する戦士側と二つに別れて議論が闘わされた。いずれにしても、決定は首長であるアーキンマイに委ねられることとなるが、アーキンマイは双方の議論を黙って聴いただけで、何の発言も無かった。
結局、双方の意見が繰り返されただけで、会議では何も決まらなかった。
今は、メシーカの再度の襲撃に備え、部落防衛の柵及び城門の修理は進めておくということだけが確認されたに止まった。
アーキンマイは会議の後、一人呟いた。ホルポルはわしの敵か。
竜王丸は一人、部屋に籠もって、瞑想していた。
義清と弥兵衛は柵の補強のために、森に樹の切り出しに行った。
また、弥平次は弓の製作を村人に指導していた。
いつまでも、この村に滞在しているわけには行かない。そろそろ、村を離れて見聞を広める修行の旅に出かけなければならない。ウツコレルを連れて旅をするわけにはいかない。かと言って、旅の後、ウツコレルを連れて国に帰るわけにもいかないだろう。どうすれば良いのだ。
これが、竜王丸の煩悶の種であった。ウツコレルに初めて会った時以来、ウツコレルの存在は日増しに竜王丸の心に中で大きな比重を示すようになっていた。女性とは厄介なものだとは思いながらも、どこか心の中では軽やかな思いも感じていた。春日ならば、どうすべきか、教えてくれるに違いない。ふと、春日の顔と共に、東郷金明、西田重蔵の顔がなつかしく浮かんで来た。少し、胸の奥が切なくなってきた。
ふと、外を見た。誰か、居たように感じた。村人が私たちの様子を見に来たのであろう、と思った。また、眼を閉じて、瞑想に耽った。
やはり、家の戸の蔭に隠れているものの、誰か居た。
花の香りがしてきた。ウツコレルの香りだった。稀有な体質で、息は甘く芳しく、体からは花の香りを発散させている娘だった。
声はかけなかった。かけなかったと言うより、かけられなかった。
竜王丸は自分の胸の高まりが嫌だった。これは、どうした感情なのだ。
その内、人の気配が消えた。立ち去ったのであろう。竜王丸は、ほっとした。
その反面、ウツコレルに無性に会いたくなった。
ウツコレルは部落の道をとぼとぼと歩いていた。竜王丸に会いたくて、竜王丸たちが居る家の戸口にまでは行ったのだが、中に入ることは出来なかった。昨夜の大胆さは消えていた。
自分でも歯がゆい位、内気で臆病になった。歩きながら、泣きたくなった。
ふと、物音がした。音のした方を見た。木陰で誰か、佇んでいた。
ウツコレルの顔は急に明るくなった。竜王丸がそこに居たのである。
竜王丸がすたすたと、立ちすくんでいるウツコレルのところまで歩いて来た。
二人は黙って、明るい日差しの下、褐色の道を並んで歩いた。
「私たちは、もうそろそろこの部落を去らなければならない」
ウツコレルは黙って頷いた。
「ウツコレル殿を連れて行くわけにはいかない」
ウツコレルは静かに竜王丸を見た。
「必ず、帰って来る。その時まで、待っていてくれるか」
ウツコレルは黙って頷いた。
竜王丸は太刀の下げ緒に付いていた翡翠の玉を外して、ウツコレルに渡した。
「これを、あげよう。私だと思って、持っていて欲しい」
ウツコレルはその翡翠を両手で大事そうに包み込んだ。
ウツコレルの家に着いた。竜王丸は踵を返して、ウツコレルに背を向けて歩き出した。
ウツコレルには竜王丸の姿がうっすらと霞んで見えた。いつまでも、見送っていた。
「アーキンマイさま。ご決心はつきましたか?」
深夜、ナチンが訪ねてきて、ぼんやりと葉巻タバコを吸っていたアーキンマイに訊ねた。
「ナチン。和睦するには邪魔する者が多すぎる」
「分かっております。闘うしか、能のない阿呆がおります」
「その者たちが、メシーカに対する徹底抗戦を唱えているのじゃ」
「現実的ではありませんな」
「且つ、マヤパンか我が部落が盟主となって、部族連合軍を編成して、先制攻撃をすべしと言っておる」
「ますます、現実的ではありませんな」
「お父上からもう聞いておろうが、先日の会議では、和睦組より、この徹底抗戦組が優勢であった」
「あやつらは、一時の勝利に酔い痴れて、戦いを終える潮時を知りません。猪武者の馬鹿者ばかりです。戦いは止め時が肝要」
「ナチンはどうすべきと考えるか?」
「アーキンマイさまに決定権がございます。アーキンマイさまが邪魔者とご判断されたら、その者たちを排除すべきと心得ます」
「排除? 排除とは、・・・、殺すことか?」
「アーキンマイさま。私ごときの者には何とも申し上げられません。アーキンマイさまのお心次第でございます」
アーキンマイはまた、タバコを吸い始めた。かなり、せっかちな吸い方となった。
紫煙の中で、ナチンは冷たく微笑んでいた。
二人が密談している館の屋根の上に黒い影があった。
その黒い影は音もなく、地上に下り立った。
忍びの弥平次であった。
竜王丸の指示で、アーキンマイの動きを探りに忍び込んでいたのであった。
弥平次は音もなく、家の蔭伝いに歩き、竜王丸一行の宿舎に辿り着いた。
「弥平次、ご苦労であった。やはり、懸念した通り、そのような動きがあったか」
弥平次の報告を黙って聴いていた竜王丸は、弥平次の話が終わった時にぽつりと呟いた。
「このままでは、ホルポル殿たち戦士軍の命が危ない。さて、何としようぞ」
「ナチンは毒虫にて候。秘かに、亡き者にしてはいかがでござろうか?」
「いや、義清殿。早まるものではない。ナチンのような者はどこの国にも居る。忠臣面をして、実は国を売る輩よ」
弥兵衛が珍しく強い口調で言った。
「ナチンごときはともかく、首長のアーキンマイ殿の腹が弥平次から聞いた通りとすれば、これは容易ではない。心苦しいが、ホルポル殿、ホルカン殿、ホルカッブ殿、この三名には告げておいた方がよかろう」
「主君の非を臣下に告げるのは如何かと思われますが、こと、ここに至っては止むを得ない仕儀かと存じまする」
「それでは、早い内が良かろう。明日、ホルポル殿たちに伝えることとしよう。弥平次、ご苦労であった。今夜は、夜も遅くなった故、皆早く休もうぞ」
「弥平次殿。そなた、何を笑うておる。少し、気味が悪いぞ」
「義清殿。竜王丸さまのことじゃ」
寝そべっていた弥兵衛も聞き耳を立てた。
「竜王丸さまのこと。気になる。承ろうぞ」
「ウツコレルさんとのことじゃ」
「ウツコレル? ああ、あの混血の美しい娘のことか。竜王丸さまと?」
「さよう、竜王丸さまと恋仲になってござる」
「まことか? 驚きでござるな」
弥兵衛も起き上がって、話に入り込んできた。
「竜王丸さまも、おんとし、十七になられる。女性と何かあってもおかしくは無い年齢よ、のう」
「さようでござる。さりながら、ウツコレル殿を我が国に連れて帰るとなると、これはまた、話は別でござるな」
「義清殿もそうお思いでござろう。金明殿、重蔵殿、春日さまが腰を抜かしてしまうでござるよ」
「弥平次殿、難儀ではござるが、そなたはアーキンマイ殿、ナチンの動きも然ることながら、竜王丸さまとウツコレル殿の動きも抜かりなく、探っておいた方が良かろうと存ずる」
「分かりもうした。承ってござる」
竜王丸さまも一人前の男じゃもの、と三人はなぜか嬉しくなった。
義清は義清で、自分のことを、昔の恋をなつかしく思い出していた。
六の巻 終わり
七の巻
夜が明けた。
竜王丸はホルポルの館に居た。
部屋の中には、ホルポル、ホルカン、ホルカッブの三人と竜王丸たち四人の七人が車座に座っていた。
昨夜、弥平次が聞いたアーキンマイとナチンの密談の内容に関しては、竜王丸からホルポルたち三人に話した。
ホルポル以下三人はそれほど驚かなかった。和睦に対するアーキンマイの動きはある程度、読めていたからであった。但し、裏にナチンが居るということは予想外であった。
アーキンマイたち和睦派に対して、ホルポルたちは和睦反対派と言えた。
「いろいろと、ご心痛をお掛けして申し訳ない」
ホルポルが竜王丸に詫びた。
「ホルポル殿が詫びる必要はないと存ずる。それだけ、メシーカ族の底力は強大で恐るべしということです。一度の敗戦で、この部落の富を諦めるとは思えない。また、奇襲なり、正規軍による戦いを仕掛けてくると思います」
「メシーカ族のような軍事部族が無くならない限り、第二のナチン、第三のナチンが現われ、一見穏やかな策と思われる和睦策が出てくることは必定です」
ホルカッブが思い切ったように口を開いた。
「昨日、旅の商人から聞いたことがあります。メシーカの駐屯地は大分離れたところにありますが、このところ、ククルカンの末裔、いや、白い肌をした外国人たちの集団が合流しているということを聞きました。四足の巨大な怪物も居るとのことです」
義清が訊ねた。
「四足の巨大な怪物とは? いかなる怪物でござるか」
ホルカンが答えた。
「これまで、この国の中では見たことのないような大きな動物だそうです。足が四本で手が二本の怪物だそうです」
「はて、珍妙な怪物でござるな」
「義清殿。それは、もしかすると、四足の動物に人間が乗っている姿ではあるまいか?」
弥平次が言った。
弥兵衛も呟いた。
「馬。馬かも知れませぬな。馬に人が乗っている姿は、馬を知らない者から見たら、足が四本で、手が二本の巨大な怪物に見えるかも知れませぬから」
「馬? 馬とはどのような動物かな?」
ホルポルが興味深そうに訊ねた。
「高さでも、人の身長の倍はある大きな四足の動物でござる。頭がこのような形をし、尻尾もこのようでござる。その動物に人が乗っておれば、丁度、絵に描けば、・・・・、このような姿に見えまする」
弥平次が器用に馬に乗っている人を描いて、ホルポルたちに示した。
「なるほど、聞いた話と似ていますな。その人のようなものは金属で出来ているという噂も聞いたことがあります」
ホルポルが弥平次の絵を見ながら、付け加えた。
「それは、鉄で出来た鎧、甲冑を付けている姿かも知れぬな。これは、金明から聞いた異国の話に出てきた話であるが」
竜王丸が思い出したように話した。
「一度、見てみれば、おそらく判りもうす」
義清がホルポルに向かって言った。
竜王丸が訊ねた。
「その白い肌の外国人の話になるが、その者たちが携えている武器はどのようなものであるか、ご存知か?」
「私が先日見た武器は二つございました」
ホルカッブが言った。
「一つは、長く長大な剣です。丁度、竜王丸さまが持っておられる太刀に似ております。その他の二つ目は、噂によれば、火を吹いて人を瞬時に殺す細長い棒でござる」
「火を吐く細長い棒でござるか。これは、ククルカン殿から聞いた武器と似ていますな」
弥兵衛が呟いた。
「確か、鉄砲とか申しておりましたが」
「その話は、ククルカン殿の館を出る時に、これからの旅の知識として知っておくようにとククルカン殿から示されたいくつかの知識の中で私も聞いておる」
竜王丸も弥兵衛の話に頷きながら、言った。
「ホルカッブ殿。メシーカ族の駐屯地はここからかなり離れたところにあるとのことでござるが、一度、その白い肌の外国人の姿を見たいものでござる」
「弥平次殿、また先日のように、行ってみましょうか?」
ホルカッブが笑いながら、言った。ホルカンもにっこりと頬を緩めた。
「竜王丸さま。お許しがあれば、行って偵察してまいる所存でござるが」
「おお、それも必要なことじゃ。敵を知る、ことが戦いの基本である。ホルポル殿、配下の戦士からも弥平次に付けて戴きたく」
「承知した。前回同様、ホルカッブ、ホルカンをお付け申そう」
義清、弥兵衛が、恐れながら、と竜王丸に申し出た。
「お願いがござります。今回は何卒、それがしたちにもお許しを戴きたく」
「弥平次と一緒に行く、と申すのか。・・・。良かろう。行ってまいれ」
「竜王丸殿。それでは、あなたさまがお一人だけになられますぞ」
ホルポルが竜王丸の身を案じて、心配そうに言った。
竜王丸はからからと笑って、ホルポルに語った。
「心配はご無用。この竜王丸、歳こそ若うござるが、剣に関してはこの義清、槍に関してはこの弥兵衛、忍びの術に関してはこの弥平次の父の重蔵に厳しく教えられてござる」
それから、竜王丸はホルポルに向かい、真剣な面持ちで言った。
「それより、率直に申し上げて、ホルポル殿の身が心配でござる。主君から疎んじられ、暗殺の憂き目に会った臣下の例は限りなくござるによって、十分に御身大切に過ごされるよう」
ホルポルは竜王丸の言葉に感無量といった面持ちだったが、気丈にも笑って答えた。
「もとより、我ら、戦士となった以上、命は捨てております。ホルカッブ、ホルカンの両名も同じ覚悟であると思っています。部落のため、守護してくれる神々のため、いつでも命は捨てる覚悟でおります。アーキンマイに命を狙われようと、私は私の信念に基づいて行動するのみ。命惜しさに、信念に背こうとは思いませぬ。斃れて後已む、武人はかくありたいと思っています」
「ただいまの見事なお覚悟、竜王丸、感服致しました。同じく、武人として我々も同じ覚悟でござる」
ホルポルは竜王丸の手を握り締めた。ホルカン、ホルカッブ、義清、弥兵衛、弥平次、いずれもうっすらと涙を浮かべて、ホルポルと竜王丸の姿を見守っていた。
翌朝、旅の支度を整えて、ククルカンの戦士三名、マヤの戦士二名はメシーカ族の駐屯地を求めて旅立って行った。
ホルポルと竜王丸は、来るべき戦いに備え、策を立てることとし、いろいろと意見を述べ合った。
「四足・手が二本の怪物は、おそらく、馬に乗った騎士と思われる。騎士を槍、矢で狙ったところで無駄と思う。狙うのは、その下の馬となるが、馬にもおそらく鎧を着用させているはず。まともな攻撃では歯が立たない。柵を何名かで持って、囲い込んで個別に討ち取るか、落とし穴に追い込んで討ち取るか。いずれを採るか」
「竜王丸殿。稲妻の火を吐く細長い棒に対する策はどうであろうか? 撃たれた者は瞬時に命を落とす、と云われる武器であるが」
「これは、私も見たことがないので、何とも言えないが、おそらく飛び道具であろう。今よりも丈夫な盾を作り、防ぐかどうか、でござる。未だ、思案の外でござる」
「どうも、厄介な武器であるなあ」
※筆者注記:鉄砲に関しては、竜王丸の時代には未だ日本には到来しておらず、竜王丸も思案投げ首と
いったところであった。
義清たちは密林を出て、草原を歩いていた。
ホルカッブが先頭で、弥平次、義清、弥兵衛、ホルカンという順で草原を縦断して行った。途中、蛇に何回か遭遇した。中には、毒蛇もいたが、都度ホルカッブかホルカンが捕まえて殺した。
義清たちはククルカンから防御服を貰い、それを頭のてっぺんから爪先まで身に着けていたので、毒蛇に万一噛まれても大丈夫とは思われたが、何とも気味が悪かった。日本の蝮より長く太い胴を持った毒蛇だった。六尺(180cm)近い長さの毒蛇もいた。
「そう言えば、この間のメシーカとの合戦で落とし穴に入れた毒蛇はスキア殿が捕まえたとのことでござったが、どのようにしてあれほど多くの蛇を捕まえられたのでござるか?」
「義清殿はご存知なかったか。スキアは呪術師ですが、魔術師とも言われているのです。特に、蛇を集めるという魔術で有名なのです。今回も、戦いの前に、蛇を集め、その中から毒蛇だけを選び、落とし穴の中に入れたというわけです」
ホルカッブが言った。また、その言葉を受けて、ホルカンも笑いながら、身振り手振りを交えて語った。
「スキアは蛇に催眠術もかけられるのです。いつだったか、毒蛇に催眠術をかけて眠らせ、眠った蛇を首に巻いて、まるで紐を結んで縛るように、その蛇を結んで縛って歩いているのを見たことがあります。こんなに長い毒蛇でした」
密林の中では、あの大きな猛獣も見た。歩いている時、弥平次が皆の足を止めた。前方の樹の上を見るように静かに指を上にあげた。見ると、樹の枝に寝そべっているあの猛獣がいた。歯を剥き出して、低く唸った。
「君子、危うきに近寄らずじゃ」
義清がおどけたように言い、遠回りして通り過ぎた。
「ホルカッブ殿。あの猛獣と闘ったことがおありか?」
「私は未だありませんが、ホルカンは闘ったことがあります」
「ほほう、ホルカン殿が。ホルカン殿、どんな闘いでした?」
「棍棒で闘いました。棍棒が無ければ、とても素手では闘えません。その時は両手に棍棒を持っていたので何とか勝つことが出来ました」
「この弥兵衛は槍でひと突き、突き殺したでござるよ」
「この槍ですか? 穂先は銀のように見えますが」
「この金属は鉄でござるよ。そう言えば、鉄はこのあたりでは見ないが」
弥兵衛が穂先をホルカンに見せながら、答えた。
「鉄はありません。金、銀、銅はありますが、鉄という金属は我々は持っていません」
「白い肌の外国人が持っている長大な剣はおそらく鉄で出来ているはずでござる」
「その剣をこの刀で斬ってみたいものだ」
義清が自信ありげに腰の刀に手をかけて言った。
五人は二日ほど、密林と草原を歩いた。
途中、小さな部落があったので、メシーカ族のことを訊ねた。村人の話では、夕方頃にその駐屯地に着くとのことだった。
五人は、姿を発見されやすい草原の道は外し、密林の道を通ることとした。
あたりが薄暗くなり、太陽も地平線に沈みかけた時、メシーカの駐屯地を発見した。簡単な造りの小屋が密集して建てられていた。小屋の数は限りなくあるように思われた。
「ざっと、見たところ、三千人ほどは暮らしているように思われます」
ホルカンが少し緊張した面持ちで言った。
「戦士ばかりではなく、女もいます。そろそろ、夕餉の煮炊きが始まる時刻です」
五人はそろそろと近づいて行った。付近には、勿論、警護の見張りがいることは十分予測された。
近づき過ぎるのを恐れ、完全に夜になるのを待つこととし、五人は木々の間に蹲った。
陽は完全に地平線に隠れ、あたりは漆黒の闇となった。
五人は少しずつ駐屯地に近づいて行った。所々、焚き火で明るくなっていた。注意深く、観察した。背の高い男がいた。見た感じで、メシーカの男とは違っているように思えた。
後姿しか見えなかった。ふと、その男は横を向いた。
あれが、白い肌の外国人です、とホルカッブが義清たちに囁いた。その男は口髭と頬髭を生やしており、顔半分が髭で隠されているように見えた。
義清はいつか、日本の浜辺に漂着した外国人に関して、噂に聞いた容貌と似ていると思った。その外国人は船の船員で、船が難破して日本の浜辺に漂着したとの噂だった。その船員と同じ国の者かも知れないな、と義清は思った。
その髭の男は近くの小屋に入って行った。弥平次はあの小屋に入れば、探す細長い棒があるかも知れないと思った。
やがて、食事が始まった。義清たちはククルカンから貰った丸薬を朝に一粒飲み込んでいたので、空腹は感じなかった。これは便利な戦さ用の腰兵糧であると義清は感心した。
ホルカン、ホルカッブにも飲ませていた。ククルカンが発明したものとして、大いに喜んでいた。部落に帰ったら、自慢出来るとニコニコして飲み込んだ。その丸薬には疲労回復の成分も入っているのかも知れない、五人は一日の疲れを全然感じなかった。食事の時はおそらく全員出て来るだろう、そして食事の後は見張りの者を残して、小屋に引っ込むだろう、それぞれの小屋にどれだけの者が入るのか、五人は観察していた。先ほど見た白い肌の外国人の小屋には一人しか入っていない様子だった。弥平次はその小屋に忍び込むつもりであった。長大な剣と細長い棒が手に入れば、竜王丸さまへの良い土産になると弥平次は思っていた。しかし、未だ馬の姿は見ていなかった。或いは、奥の方で飼われているのかも知れない。馬かどうか、これも確認する必要がある。食事が済んで、人影が疎らになったら、活動開始だ、と弥平次は自ずと逸る心を静かに抑えた。
食事が済んで、メシーカたちは少し雑談した後、それぞれの小屋に引っ込んだ。五人はじっと待った。月が天の中央でその銀の光を地上に注ぎ始めた頃、忍びの弥平次は活動を開始した。
四人を後詰に置いて、弥平次は音も無く、小屋が立ち並ぶ一角に足を運んだ。難なく、白い肌の外国人の小屋の屋根に登った。錐で穴を明け、部屋の様子を観た。男が台の上で寝ていた。枕元に蝋燭が置かれ、ゆらゆらと炎が揺らめいていた。少し、離れたところに剣と稲妻を吐くと云われる細長い棒が壁に立て掛けてあった。屋根からするすると下りた。暫く、扉の外で中の気配を窺った。男の寝息を窺った。やがて、扉を明け、小屋の中に入った。
四人が固唾を呑んで待つところに、弥平次が戻ってきた。両手に剣と細長い棒を掴んでいた。ずしりと重かった。
弥平次は、四足の怪物を調べてまいる、と言い残して、また闇に消えた。
義清と弥兵衛は剣と細長い棒を仔細に調べた。剣も棒も重さから言って、鉄で出来ているように思われた。しかし、何分、夜のこととて、そこまでしか判らなかった。朝になったら詳細が判るはずと思い、ホルカッブ、ホルカンに預けた。
弥平次は焚き火の近くを通るのを避け、闇から闇へ音も無く、歩いて行った。予想よりも駐屯地は広く、奥行きも相当あった。これは大きな軍団であると思った。遠くから、動物の鳴き声がした。弥平次は闇の中を歩きながら、ニヤリとした。予測通りであった。馬の鳴き声だった。馬は間口の広い小屋の中にいた。十頭ばかりいた。騎士も見合う人数はいるのだろうと推測した。
馬小屋に近づいて行った。馬を見た。大きかった。我が国の馬よりも大きい馬だ。このような大型の馬は見たことがない。弥平次は間近で見る馬の迫力に圧倒される思いだった。あの猛獣より大きい動物を見たことのないこの国の者はさぞかしびっくりし、怪物のように見えたに違いない、と思った。自分一人だけであったら、馬を繋いでいる縄を切り、このまま馬を追いたて、野に放つという行動を取るつもりであったが、騒がれるのは必定であり、五人揃って無事に帰れるという保証はなくなる。今夜は確認しただけで戻るしかないと判断した。
夜が明ける前に、五人は元来た道を戻り始めていた。馬は、未だ見たことのないホルカッブ、ホルカンにも見せておいた。二人とも、眼を丸くしてびっくりしていた。これに鉄の鎧を着た騎士が乗れば、四足で手が二本ある怪物のように見えることを弥平次は二人に説明してやった。
ホルカッブ、ホルカン共、腑に落ちたようであった。弥平次は、馬は馬鎧を着用した上で闘いに臨むに違いない、その場合、倒すのはたやすいことではないだろう、倒すにはどうしたらよいか、考えていた。足を狙うしかない、と思った。落とし穴か、地面近くに縄を張り巡らすという策もある。縄を張り巡らし、その後に、落とし穴を設け、更に、縄を張り巡らし、その後に、馬防柵を設ける、という策を考えた。
帰り道で、あわやと思われる危機が弥兵衛に起こった。
それは、密林の中で起こった。
喉が渇いたので、弥兵衛とホルカンの二人が水を求めて、探しに行った時のことであった。暫く経ってから、ホルカンが水の入った水筒を持って戻って来た。弥兵衛は、と訊くと、な
かなか、水が見つからなかったので、別々に探してみようということになり、弥兵衛とは別れ
たとのホルカンの言葉であった。
しかし、いつまで待っても弥兵衛は戻って来なかった。
ホルカンに案内させ、弥兵衛と別れたところに皆で行ってみた。弥平次は地面を見た。そして、弥兵衛の足跡を見つけ出した。弥平次を先頭にして、追跡が始まった。
弥平次が不意に立ち止まった。前方に小さな部落があった。大勢で行けば、警戒されるということで、弥平次が村に忍び込んで探索することとなった。
弥平次は村に忍び込んで、驚いた。
村の中央の樹の根元に弥兵衛が縛られて座っていた。口には猿轡が嵌められ、且つ防御服も脱がされ、下帯一本の丸裸で縛られて、樹にくくりつけられていたのである。
村人を見る限り、メシーカ族とは異なった部族のように思えた。但し、弥兵衛の周囲には腰帯姿の勇猛な戦士が数名囲んで、弥兵衛の持ち物を仔細に調べていた。しかし、防御服は見当たらなかった。弥兵衛は気絶しているように見えた。
弥平次は三人のところに戻り、今見てきたことを話した。ホルカッブとホルカンはメシーカ族ではないと聞いて、安心したようであった。何とかなると思い、四人で村に乗り込んだ。
ホルカンが村の戦士に向かって、何やら叫んだ。暫くして、村の戦士が何か、ホルカンに向かって言った。ホルカンが笑いながら、義清に話した。
「樹に繋がれている方は、ククルカンの戦士で村に危害を加える人ではない、縄を解いてやって欲しいと頼んだところ、ククルカンの戦士ということを証明しなければ駄目だと言い張るのです。何か、度肝を抜いてやりましょう」
義清は少し考えてから、任せてくれ、と言って、弥兵衛が縛られている樹に向かって歩き出した。樹の根元に着くや否や、居合い抜きに刀を走らせ、瞬時に鞘に納めた。村人は何事かと思い、不思議そうに義清を見た。
すると、驚くべきことが起こった。樹はかなりの太さであったが、斜めにずれて、倒れ始めた。義清は居合い抜きでこの樹を両断していたのである。村人には、義清の行ったことはまさに奇跡としか映らなかった。これは、ホルカッブ及びホルカンにも言えたことで、義清が行ったことは驚嘆に値することであった。二人もびっくりしたような目で義清を見ていた。
村人は茫然と樹がゆっくりと傾き、倒れていくのを見詰めていた。
義清はおもむろに小刀を抜き、弥兵衛の縄を切った。弥兵衛の体に手をかけ、気合と共に、蘇生させた。弥兵衛も起き上がり、茫然としている村人から持ち物を奪い返した。
しかし、防御服だけが見当たらなかった。村人に訊いたが、皆知らないと言う。少し離れたところに神官が居た。
弥平次は神官を見た。ニコリと笑った。弥兵衛に神官を指差し、何か告げた。弥兵衛が神官に近づき、まざまざと神官を見詰めた。
弥兵衛が大笑いした。何と、神官が弥兵衛の防御服を着ていたのであった。神官としては、捕虜の生皮を剥いで得意になって着たつもりであったのだろう。
嫌がる神官をなだめすかして、服を脱がさせた。頭部の防御頭巾は懐にしまっていた。
ククルカンの戦士に無礼を働いたということで、たたりを恐れ、おののいている村人を尻目に五人はまた帰途に着いた。
「いやあ、面目ない。お許しあれ。実は、ホルカン殿と別れた後、水を探しに行って、あの村を見かけたのでござる。村ならば、水があるだろう。やれやれと思い、村に入って水を求めたまでは良かったのでござるが、にわかに背後から、よってたかって襲われ、首を絞められ、気を失ってしまった次第。どうか、竜王丸さまには内緒にして下され。これ、この通り、お願いでござる」
義清たちは、弥兵衛の真剣な面持ちに思わず、どっと笑った。
部落に辿り着いたのは、部落を出立してから、五日目の夕方だった。
竜王丸とホルポルに、奪った剣と鉄砲を見せながら、メシーカ族の駐屯地の様子を事細かに報告した。
「この剣はやはり我々の刀同様、鉄で出来ており、堅固な造りが施されている」
「この鉄砲という武器は火薬の臭いがする。おそらく、この先端の穴から弾を詰め、火薬に火を付けて発射するに違いない。このような武器は今までに見たことはないが、飛び道具の新兵器と思われる」
「やはり、馬であったか。大型の馬で、鉄の鎧を着た騎士を乗せて戦場を駆け巡るのか。馬という動物を知らない、この国の民はさぞかし驚いたことであろうぞ」
竜王丸は報告の都度、感想を洩らした。
「やはり、この鉄砲が最大の武器であろう。但し、火薬を使うということで、最大の欠点がある。弥平次、忍びならば、知っておろうが」
「御意。雨でござる」
「その通りじゃ。火薬は雨に弱い。水で濡れたら、それまでじゃ」
ホルポルは感心しながら、義清たちの報告を聴いていた。と、同時に、竜王丸の洞察の鋭さにも感嘆していた。味方で良かった、敵に廻したらこれほど怖い将はいないと思った。
「いずれにしても、五人の面々、まことにご苦労であった。ゆるりと旅の疲れを落とせ」
五人を引き下がらせた後、竜王丸はホルポルと近々襲来するであろうメシーカ・白人侵略者連合軍との戦いの作戦をあれこれと練り始めた。
「馬に乗った騎士対策は、密林の中は動けないという馬の弱点がござるによって、弥平次が申した策、即ち、草原に落とし穴を設けると共に馬防柵、縄張りで十分かと思われる。鉄の甲冑は重い故、地上の戦いになれば、それほどの脅威は無くなる。鉄の剣に対しては、この竜王丸たちが後れを取るとは思われず。やはり、最大の問題は、鉄砲対策でござろう。しかし、火薬を使うということが判明した以上は、いかようにも策はござる。明日から、部落入口前の草原に仕掛けを作る土木工事に取り掛かろうと存ずる」
「承知した。早速、アーキンマイさまに上申することとしよう」
「ホルポル殿。草原の土木工事に関しては、具体的な上申は避けた方が良かろうと存ずる。万が一、敵方に洩れたら、効果は薄くなる故」
「アーキンマイさまはともかく、周囲の重臣から、或いは、敵に洩れることもあるかも知れませぬな。承知仕った」
ホルポルの館を出て、竜王丸は部落の中央の道を歩き、義清たちと住んでいる家に向かった。月が殊の外綺麗な夜であった。木陰では、月の光に誘われた恋人たちが睦まじい語らいをしていた。
自分の家の前に佇んでいる人影があった。立ち止まり、注意深く見た。
その人影はウツコレルだった。
このところ、ウツコレルとは会っていなかった。
竜王丸は胸が締め付けられる思いがした。
これは、恋、かと思った。
人影が動いた。どうやら、ウツコレルも竜王丸に気付いたようであった。
急いで、立ち去ろう、とした。
が、思い止まり、竜王丸が近づくのを身を小さくして待っていた。
「ウツコレル殿。こんな夜更けに外に居られると、怖いメシーカにまたさらわれまするぞ。中に、お入りなさい」
「大丈夫です。さらわれたら、また竜王丸さまが助けて下さいますから」
ウツコレルを家の中に入れ、向かい合って座った。
娘は相変わらず、花のように美しかった。
竜王丸は不思議であった。始めの緊張はどこに行ってしまったのか。こうして、ウツコレルと居ると、妙に安らかな思いがした。特に、話もせずに、黙ってままでいても、心がのびやかに広がっていくのを感じた。不思議な感じだ、と竜王丸は思った。
ウツコレルも竜王丸と同じ感じを抱いていた。姉のシュタバイにも話していた。竜王丸さまと一緒に居ると、何にも話をする必要がないの、一緒に居るだけで、綺麗な野原に寝そべって、青い大空を見ているようないい気持ちになるの。
妹の言葉を、シュタバイは眼を細めて聴いた。
ふと、この娘は竜王丸とどこか遠いところに行ってしまうのか、と思い少し悲しくなった。ククルカンの戦士に恋をした妹のまっすぐな心を愛しいと思うのと同時に、やがて来る別れ
を予感した。
七の巻 終わり
八の巻
翌日から、戦さに備え、草原に対する大掛かりな土木工事が始まった。
「前回も感じましたが、戦さは、ほとんど土木工事のようなものですな」
ホルポルは竜王丸の思い切った作戦に感心したように話した。
竜王丸は始まった草原改造工事を見ながら、ホルポルに語った。
「敵を知ることは、敵の長所と短所を知ることでござる。そして、絶対的な長所は多くの場合、裏返せば、絶対的な短所にもなるのでござる。例えば、鉄砲は火薬が十分に使えてこそ、大変強力な武器になりまする。が、雨の日では全くの持ち腐れとなりまする。鉄の固まりのような重いものを持って闘うことは、それだけで兵士に取っては弱点となるのでござる。また、馬に乗って闘うということは、草原においてこそ、大変有利にはなりまするが、密林の中では馬では全く闘えない、むしろ邪魔になりまする。また、今からこの草原に造ろうとしている深い壕も十分に馬の侵入を妨げるものとなりまする。このように、事前に有利に闘える条件を作ること、簡単には負けない状況を作ることが大切なのでござる」
村人は総出で、部落の入口正面の草原に、深い壕を掘った。
その後は、持ち運び可能な馬防柵を作り、落とし穴を作ることとしていた。
馬防柵は騎馬を落とし穴に誘導するために使われる。
勿論、落とし穴はぎりぎりの時点で造ることとし、場所は極秘とされた。
義清たちは馬防柵用の樹の切り出しに精を出していた。
義清が弥兵衛に訊ねた。
「もう、国を出て何日になろうか?」
「二十日ばかりになってござるよ」
弥平次が少しからかい気味に言った。
「そろそろ、里心がつき申したか?」
「里心? 里心と言えば、竜王丸さまは如何でござろうかの?」
「お若い竜王丸さまの里心でござるか? はて?」
「義清さま、弥兵衛さま、ご心配はご無用かと」
「弥平次殿。無用とは?」
「この国には、我が国にないものがござるによって」
「はて、ますますもって、分からん」
「義清さま。女性でござるよ」
「あッ、分かったでござる。ウツコレル殿でござるか」
「さようでござる。ウツコレル殿が居りまする故、里心なぞはつき申さぬ」
そこに、竜王丸が現われた。
三人が笑っているのに気付き、竜王丸も微笑んで声をかけた。
「方々、如何致した。何か、愉快なことでも?」
「これは、竜王丸さま。何の、とりわけ申し上げる話でもござりませぬ」
義清は未だ笑みを湛えた顔で答えながら、太い樹をさくっと斬り倒した。
「しかし、義清。そなたの刀は良く斬れるの。まことに見事な斬れ味よ」
「大和鍛冶の作でござる。が、それにも増して、ククルカン殿のあの細工が効いてござる」
「時に、ウツコレル殿は見なかったか。確か、このあたりに居ると聞いたのだが。綿と称する布のことを聞きたいと思ったのじゃが」
「綿。ああ、我が国では見たことのない、あの柔らかな手触りの布でござるか。絹、麻と違い、本当に暖かな布でござるな」
弥平次が手を上げて、指を差しながら、竜王丸に言った。
「竜王丸さま。あそこでござる。縄をなっておりまする」
竜王丸は指さされた方を眺めた。そこに、ウツコレルが細い蔓を縒り合わせて縄をなっていた。
竜王丸はウツコレルの方に歩き去った。義清たち三人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
「ウツコレル殿。少し、宜しいか?」
ウツコレルが顔を上げると、そこに竜王丸が居た。ウツコレルの顔がパッと明るくなった。
「何でございましょう?」
「実は、私たちの衣服が大分ほころび始めておる。出来れば、綿とか云う布で新しく仕立てたいと思うておるのじゃ。仕立てをお願い出来る方を、どなたか、ご紹介戴けまいか?」
「それなら、母のイシュタブが上手です。お任せ下さい。これから、母に話してみますから」
ウツコレルが周りで作業をしている村人に、持ち場を離れる旨、断った上で、竜王丸に付き添った。
「竜王丸さま。メシーカ族の動き、何か分かりました?」
「ホルポル殿の話に依れば、メシーカ駐屯地の動きがこのところ慌しくなっているとのことじゃ。おそらく、あと数日もしたら、駐屯地を引き払い、ここに進軍してくるのではないか、と思うておる」
「それまでに、この工事は間に合いますか?」
「間に合うとも。大丈夫じゃ」
「今度も勝って、昔のような平和が来れば、・・・」
「そうじゃのう。平和が来れば、それに越したことはない。但し、・・・」
「但し? 他に、何か?」
但し、と言いかけて竜王丸は口を閉ざした。時代には流れがある、大きな流れを止めることは容易ではない、マヤは都市国家のままで独立している限り、大きな時代の潮流に呑み込まれてしまう、連合国家を作り、連合の軍隊が持てるかどうかが運命の別れ道であると言おうとしたが、止めた。マヤ連合軍の創設が出来れば、大きな時代の潮流をくい止めることは可能なのだが。
竜王丸はウツコレルを見た。ウツコレルもそれ以上は言わず、ただにっこりと竜王丸を見詰めた。
数日ほど経って、戦いの時が来た。
メシーカ軍は二千人という大部隊を編成していた。
草原の壕の前で、メシーカ軍は立ち止まった。
壕は幅が三十尺(約9メートル)で深さが十尺(約3メートル)ほどあった。
メシーカ軍としては、ひと揉みにするつもりで進軍してきたのであろうが、水を差されたような形で戸惑っていた。壕の両側は密林となっていた。密林に足を踏み入れて、驚いた。毒蛇だらけだったのだ。実に、大小さまざまな毒蛇で溢れていた。とても、歩けたものではない、と判断して密林の道は諦めざるを得なかった。
壕を崩し、ならそうとした。一部分でも、傾斜を緩めれば、何とか行軍出来ると判断し、戦士の一部を工作部隊に廻すこととした。が、いざ作業が始まると、部落から矢が飛んで来た。計ったように、壕を飛び越えて、作業に取り掛かった戦士に突き刺さった。
メシーカ軍は一時、壕から離れ、撤退した。
部落の柵から、撤退を見ていたホルポルが竜王丸に言った。
「遠矢の訓練の成果ですな。実に、よく当たっていますぞ」
竜王丸は、村人に遠矢の訓練もさせていたのであった。壕を飛び越えて矢が到達する角度、引く長さを徹底して覚えこませたのである。矢は壕を飛び越えて、空から飛来し、敵の戦士に容赦なく降り注いだ。
メシーカ軍は再度、攻撃態勢を整えて進軍して来た。今度は、大きな盾を頭の上に掲げ、工作部隊の頭上を守った。
今度は、部落から火矢が飛んで来た。火矢が盾に刺さり、火矢を抜こうとして盾を頭上から外すと、火矢に紛れて、黒曜石の鋭い矢じりが付いた矢が飛来して来た。
また、メシーカ軍は撤退せざるを得なかった。
その内、夕方となり、一日目の攻撃は失敗に終わった。メシーカ軍は矢の届かないところまで退却し、野営となった。
すると、野営している野原に、無数の毒蛇の群れが押し寄せてきた。
蛇に右往左往する光景が部落からも見てとれた。
スキアが密林から戻って来て、ホルポルに言った。
「わしの可愛い蛇たちがメシーカの戦士を歓迎しておるわ」
とても、眠れる雰囲気ではなく、メシーカの戦士たちはほとんど不眠のまま、朝を迎えざるを得なかった。
二日目の攻撃は朝から始まった。
メシーカ軍は壕の幅よりも長い橋を運んで来た。昨夜の間に、密林から樹を切り出し、作ったものと見えた。
その橋を狙って、また火矢が飛んで来た。損害を出しながらも、何とか橋を壕に架けることが出来た。
大勢の戦士が一度に渡ろうとした。橋は重みに耐えかねて折れてしまった。
壕に落ちた戦士に矢が飛来し、また犠牲者を出した。
昼になって、今度は前の橋より頑丈な作りの橋を持ち込んで来た。
橋を壕に架け、盾を持った戦士が恐る恐る橋を慎重に渡って来た。
矢による犠牲者を出しながらも、百名ほど渡り終えて、壕を背後にして整列し、部隊を整えた。
盾を頭上に構えて、突進して来た。しかし、部落と壕の間に落とし穴が待ち構えていた。
落とし穴の中には、鋭い穂先を持った杭と毒蛇が犠牲者を待ち受けていた。
落とし穴に落ちるのを免れた戦士には部落を囲む柵から矢の洗礼が浴びせかけられた。
ばたばたと倒れ、あっという間に、百人ほどの死傷者を出した。
第二陣が壕を越えて整列していた。
そこに、馬に乗った鎧騎士が橋を渡ろうとした。
馬に乗った騎士が壕の手前に現われた時、部落の中から、恐怖の声が挙がった。
「怪物が現われた。四足で手が二本ある怪物だ」
義清が大声で叫んだ。
「良く、見よ。あれは、馬と言う動物の背中に、鎧を着た人が乗っているだけじゃ。怪物ではないわ」
その馬に乗った騎士が橋の中央まで来た時だった。馬と騎士の重さに耐えかねて、橋はまた折れてしまった。馬も騎士も壕の中に落ちた。と、同時に、壕を渡った戦士たちが渡って帰るべき橋も無くなってしまった。戦士たちは前進を諦め、壕の中に滑り落ちて、退却した。壕から登って上がるのはひと苦労だった。その間、情け容赦無く、上から矢が落ちてきたのであった。
馬はあえなく、その壕の中で最期を遂げた。
騎士は重い鉄の鎧を脱ぎ捨て、壕から上がろうとしたところ、上から飛来した矢が数本背に刺さり、そのまま壕に転げ落ちた。
メシーカ軍は戦意を喪失して、再度撤退した。
矢の届かないところまで撤退した陣から、数名の異装の男たちが現われた。白い肌の外国人と思われた。
その男たちは何かを構えた。火が吐かれ、轟音と共に、城門に何かがぶつかった。城門の壁が少し崩れ落ちた。
竜王丸たちは緊張した。これが鉄砲かと思った。あんなに遠くから発射しても、これだけの破壊力がある。至近距離で撃たれたら、人の体はばらばらに四散してしまうに違いないと思われた。
恐ろしい破壊力を持った武器だ、どうする、竜王丸!、と竜王丸は思った。
夜が来て、二日目の戦闘は終わった。竜王丸たちに損害は出ていなかった。
「明日も凌げば、メシーカ軍は完全に撤退することとなる」
「どうしてですか?」
ホルカッブが竜王丸に訊ねた。
竜王丸は笑って答えた。
「兵糧でござる。昨夜、ここにいる弥平次が敵の陣中に忍び入って、兵糧を調べて参った。弥平次の話に依れば、メシーカ軍は二日程度の食料しか持参していないとのことであった。一日か二日で決着を付けるつもりで来たのであろう」
「明日は食料が尽きて、撤退するとのお考えでございますか?」
「さようでござる。仲間の無残な死体を見ながらの戦闘は戦意を失くすもの故、なおさらでござる」
「今夜も、スキアは毒蛇攻撃をすると申しておりました。スキアも食えない爺さんで、普段は葉巻ばかり吸っているだけですが、今回の闘いですっかり見直しました」
「しかし、凄い術じゃのう、あのスキア殿の蛇を操る術は。弥平次、どうじゃ、スキア殿から学んでみては」
「面白そうでござるが。魔術と忍術は異なりますれば、修得出来るものかどうか?」
「弥平次にしては、珍しいのう。弥平次にも難しいものはあるのか?」
竜王丸にそう言われて、弥平次は頭を掻いた。
戦いは三日目を迎えた。
昨日までは、部落の正面の草原からの攻撃であったが、三日目は、密林の中から部落の側面、裏門を全面的に攻撃して来た。
正面からは鉄砲で攻撃してきた。矢の届かないところから、正面の城門を目掛けて弾を撃ち込んで来た。しかし、これは部落に籠もる村人への恐怖戦術でしかなく、戦士を殺傷する攻撃にはならなかった。弾は轟音と共に飛来し、壁を徒に削り取るばかりであった。
部落の側面は、頑丈な柵で防御されており、樹の枝で覆い、柵というより、むしろ塀といった方が正確であった。塀の外から中は、ほとんど見えなかった。柵の内から矢が飛び出して来て、柵に取りつこうとするメシーカの戦士を次々に射抜いていった。五千人の部落で老人、婦女子、年少者を除く三千人が兵士であった。弓の訓練、槍の訓練は怠り無く、毎日行っていた。
一方、襲ってきたメシーカの戦士は、部落の戦士の十倍とは言え、二千人に過ぎない。
堅固に守られた城を落とすには、通常、攻城方は城方の三倍から五倍の兵を必要とすると云われている。
竜王丸とホルポルは村人三千人を兵士とした。
メシーカの戦士はその事実を知らずに攻撃していたのである。
メシーカにとって、勝てる要素は何も無かったと言ってよい。
攻撃は数回にわたったが、都度手ひどく反撃され、多くの死傷者を出すこととなった。
攻撃はだんだん間隔が空くようになってきた。
メシーカの戦士に寝不足による疲労の色が濃くなってきた。
昼になり、側面及び裏門への攻撃が途絶えた。密林からぞくぞくとメシーカの戦士が草原の本隊の方に戻り始めた。
正面からの鉄砲攻撃は相変わらず続いていたが、堅固に造られた城門を破壊するまでには至っていなかった。
やがて、鉄砲攻撃も途絶えた。
攻撃が途絶えて、暫くした頃、偶像を載せた輿が現われた。神官が何か叫んでいた。
ホルポルが応えた。
戦いの終結宣言であった。
メシーカは敗北を認め、戦死者を回収して引き上げたいという。
ホルポルはアーキンマイに報告をして許可を得た。
承知する旨を告げた。
武装を解いたメシーカの戦士が壕の中に入り戦死者を回収した。
壕を越えて、落とし穴で死んだ戦士たちも回収していった。
戦死した戦友を肩に掛けて泣きながら歩いていく戦士もいた。
引き揚げに際して、突然、後方からメシーカの戦士の隊長が現われ、正面の城門近くまで歩み寄って、マヤ語を解する者を通じて、訊ねた。
「前回、今回と我々を敗北させた将軍の名を知りたい」
ホルポルが城門より進み出て、高らかに言った。
「貴下に敗北を負わせた将軍は私ではなく、もっと高位のお方だ。名を竜王丸と言い、偉大なる神・ククルカンが我々に使わされた軍神である」
メシーカの戦士隊長はククルカンと聞いて大いに驚いて言った。
「ケツァル・コアトル(ククルカンのこと)は我々に味方せず、貴下についたのか。あい分かった。勝てる戦さでは無かったのだ」
そう言い残して、メシーカの戦士隊長は悄然と肩を落として去った。
その晩は少数の者を見張りに残し、村人は久しぶりの深い眠りについた。
この三日間の戦いで、勝ったとは言え、全員が疲労困憊していた。
「そろそろ、ここを去る時が来たようだ。メシーカももうここへは攻めては来まい」
「ここまで、完璧に敗北すれば、この部落は鬼門であると諦めるでござるよ。そう言えば、ククルカン殿より貰った兵糧丸もそろそろ底を尽きまするな」
「されば、義清、弥兵衛、弥平次。早晩、明日にでも、ここを立ち退き、ククルカン殿の館に戻ることと致そう」
「竜王丸さまさえ、お宜しければ、我ら一同、異存はござりませぬが」
と、義清は何か言いたそうな顔をした。
「されば、明日にでもアーキンマイ殿、ホルポル殿に別れを告げて参ることとしよう」
「本当に良いのでござるか? 竜王丸さま。心残りはないのでござるか?」
「義清。別に、心残りは無いぞ。もう、この部落は安泰ぞ」
「ならば、良いのでござるが、のう」
弥平次が思い出したように、竜王丸に進言した。
「竜王丸さま。ひとつ、気がかりなことがござります」
「何じゃ、弥平次。遠慮なく、申してみよ」
「例の毒虫の件でござる」
「神官の息子、ナチンのことじゃな」
「さようでござる。ナチンはホルポル殿に仇をなす者にて候ほどに、この際、ナチン自身の言葉を借りれば、排除しておいた方が後顧の憂い無きかと」
「弥平次の気持ちは分かるが、実際の話としてはそうも行くまい。今回の戦さで、アーキンマイ殿の気持ちも変わったやも知れぬ。メシーカがもはや襲ってこないということになれば、和睦も戦さも無いはずであろうから」
その時、扉が静かに叩かれるのが聞こえた。
弥平次が、ウツコレル殿ですよ、と竜王丸に告げた。
竜王丸が扉を開けると、そこに何か荷物を持ったウツコレルが微笑んで立っていた。
「皆さまの衣服が出来上がりましたので、持参致しました」
竜王丸がウツコレルに頼んでおいた服が出来たとのことであった。
服は当時の日本には到来していなかった柔らかい綿布で仕立てられていた。
竜王丸がウツコレルから受け取り、弥平次に渡した。
弥平次は受け取りながら、ウツコレルに言った。
「ウツコレル殿。帰りの道は竜王丸さまに送って貰ったら如何でござる。竜王丸さま、明日の準備はそれがしたちが致しますゆえ」
竜王丸はやれやれといった表情をして、ウツコレルと並んで歩き始めた。
「竜王丸さま。明日の準備、というのは?」
「ここを立ち去る時が来たのです。明日、ここを発って、ククルカン殿の館に帰ることとします」
「・・・」
「それでも、近い内にまた、ここに来ます。ウツコレル殿に会いに」
「本当! なるべく早く、お戻りになって。お待ちしております」
月は冴えて晴れ渡り、昼間の血なまぐさい戦闘の跡を清めるように輝いていた。
二人は言葉も交わさずに、ゆっくりと歩いた。
ウツコレルの家に着いた。
ゆっくり歩いたのに、もう着いてしまった。
家がもう少し、離れていればいいのに、とウツコレルは恨めしく思った。
「ウツコレル、お帰り。あらッ、竜王丸さまに、送って戴いたの」
「家が近すぎる! もっと、遠いところに住みたかった!」
ウツコレルが頬を膨らませた。イシュタブは穏やかに笑った。
「イシュタブ殿。このたびは、それがしたちの衣服を仕立てて戴き、ありがとうござる」
「いえ、竜王丸さま。この三日間のメシーカ族との闘い、本当にご苦労さまでございました。あの衣服は、私ども村人からのほんのささやかな贈り物として、お受け取り下さい。竜王丸さまたちがいらっしゃらなければ、今頃、私たちはメシーカの奴隷となっていたことでしょう。このことは、村人みんな、承知していることです。今後は、教えて戴いた全員で闘うという教えを忠実に守り、村を守っていくことが私たちの使命だと思っています」
イシュタブの後ろで、ウツコレルが微笑んで竜王丸を見詰めていた。
翌朝、新しく仕立てられた山伏姿で四人はアーキンマイを訪ねた。
竜王丸がアーキンマイに別れの挨拶を告げた。
アーキンマイは突然の出立に驚いた様子であったが、特に止めることはしなかった。
心の中で、ようやく、竜王丸たちの威厳から解放されるという安堵感を覚えていた。
その足で、ホルポルの館に向かった。
「これはまた、突然の出立でございますな。未だ、お教えを乞うことがありましたのに、残念でございます」
「そろそろ、ククルカン殿の館に戻らなければなりません。それがしたちが居なくなっても、メシーカ族はもう力攻めには、攻めては来ないでしょう。ただ、懸念されるのは、交易という名目での、和睦交渉でござる。本来強大な敵との和睦はありえないものと心得られよ。いつの間にか、呑み込まれるのがおちでござるゆえ。また、アーキンマイ殿、ナチンには十分気を付けられよ。ナチンの動きに関しては、ホルカッブ殿かホルカン殿に見張らせておかれた方が宜しかろう」
「承知致しました。ただ、私は命を惜しむ者ではありません。死すべき時が来たら、端然と死ぬ。これが武人としての私の覚悟でございます」
ホルポルはこう言って、竜王丸たちをまっすぐに見詰めた。
「ホルポル殿。また、近い内にここに戻って来ます。それまで、ご息災に居て下さい」
ホルポルは感謝の印として、ケツァルの羽根の頭飾りを竜王丸に献呈した。
別れの挨拶をして、ホルポルの館を後にした。
部落の入口には、ホルカッブ、ホルカンたち部落の戦士が待ち受けていた。
サーシルエーク、イシュタブ、シュタバイといった村人たちもたくさん来ていた。
部落を救ってくれた英雄との別れを惜しむ声に竜王丸たち四人は感無量であった。
竜王丸はホルカッブ、ホルカンにホルポルに語った話を繰り返した。
ナチンの動きも十分気をつけるよう話した。ホルカッブ、ホルカン共に眼に怒りを漲らせて、承知した、と約束してくれた。
義清、弥兵衛、弥平次の周りにも一緒に戦った仲間との別れを惜しむ戦士の輪が出来た。
入口を抜け、少し歩いて、ヤシュチェー(セイバ)の巨木にさしかかった時のことである。太陽は熱く草原を照らしていたが、ヤシュチェーの木陰は大層涼やかに見えた。
一人の娘が佇んでいた。花のように美しい娘だった。
ウツコレルだった。
「竜王丸さま、これを受け取って下さい。私が一生懸命、織ったものです」
それは、綿糸で織った五色の鉢巻と、戦士が着用する袖なしの上着だった。
色は五色、使われていた。赤、白、黒、黄、緑というケツァル鳥の五色と同じであった。
「竜王丸さま。今、ここでお召しなされ」
弥平次が言った。
義清、弥兵衛もにこにこしながら竜王丸、ウツコレルを見ていた。
竜王丸は鉢巻を締め、戦士の上着を羽織った。
そして、ウツコレルの手をそっと握った。細く、柔らかな手だった。
八の巻 終わり
九の巻
四人はウツコレルと別れ、草原の道を歩いた。
ウツコレルは風のようだと竜王丸は想った。芳しく爽やかな、春の風だ。
南国の熱い太陽が照り付けていたが、防御服を着ている竜王丸たちは汗をかかず、快適な旅を続けた。
途中、小さな部落を幾つか通り過ぎた。村人の好奇の目には曝されたものの、水を飲ませて貰いながら、周辺の様子を知ることも出来た。
村人は、直接頭の中に響いて来る竜王丸たちの声に違和感を持ちながらも、立ち居振る舞いの優雅さ、礼儀正しさを見て、安心していろいろなことを話してくれた。
深い洞窟の奥には、メトナル(或いは、シバルバ)という地底の世界があり、そこは死者と魑魅魍魎の世界だと云う。迷い込んで行った者は帰って来ない。
永遠に、そこに閉じ込められ、地底の世界を彷徨い歩く。
平和に暮らしていた村があった。
ある時、一つ目の蛮族が村を襲い、村の人を殺し、若い娘をさらっていった。
娘は蛮族の慰み者にされ、死んだ。
その娘には恋人が居た。
勇敢な戦士だったが、蛮族の襲撃の際、娘を助けることが出来なかった。
娘はいつも死んだら、空の星になって、戦士を見守ると言っていた。
その若者は悲しみのあまり、気が狂ってしまった。
毎晩、矢をたくさん持って、小高い丘に登り、星に向かって矢を射った。
ある晩、矢を放った瞬間、流れ星があり、それは川に落ちた。
若者はその星を捕まえようと、岸壁から川に飛び込んだ。川は浅く、川床の岩で頭を砕かれた。
二人の美しい若い娘が居た。
二人は双子のように顔が似ていたが、性格は反対だった。
一人の娘は気立てがよく、村を訪れる旅人に親切だった。
宿が無ければ、自分の家に泊めてもてなした。
村人からは、売春婦と呼ばれ、相手にされなくなった。
娘は病人がいると聞けば、遠くでも行って看病していた。
寒そうにしていれば、自分の大切な着物を脱いで、その病人に与えた。
しかし、このことは誰にも話さなかった。
村人は、娘が居ない時は、他のところで売春をしているのだと噂し合った。
もう一人の娘は清く、正しく、美しく暮らしていた。
しかし、心は冷たく、貧しい人、病人に冷淡だったが表面には出さなかった。
村人はその娘を純潔を守る清い乙女だと尊敬した。
売春婦だと噂されていた娘が死んだ。
村人は娘の家に入り、驚いた。
死んだ娘は腐らずに芳香を発していた。
娘の亡骸の周りには鹿を始めとする森の動物たち、鳥たちが囲んでいた。
そして、葬られた墓には見たことの無い綺麗な花が咲き誇り、鳥が舞っていた。
品行方正で村人から尊敬されていた娘はこれを見て、村人に言った。
私が死んだら、私の亡骸はこの売春婦より、ずっと良い香りを発する、と。
村人は信じた。
時が過ぎ、その娘が死んだ。
村人はその娘の家に入って、驚いた。
娘の死体はすぐ腐り、ひどい腐臭を放っていた。
村人は腐臭に鼻をつまみながら、あわてて娘の家を出た。
その娘の墓には汚い花が咲き、嫌な臭いを発した。
竜王丸たちは、いろいろな獣、いろいろな鳥を眺めながら、草原、密林を歩いた。
鹿もよく見かけた。竜王丸たちが近づいても、恐れる様子も無く、悠然と草を食んでいた。矢をつがえ、放とうとしたが、止めた。鹿が顔を上げ、竜王丸を見た。
それから、関心をなくしたように、また元のように草を食みだした。
気高い、ホルポルとその戦士たちのようだと竜王丸は思った。
ククルカンの館の入口に着いた。教えられた呪文を唱えるまでも無く、そこにはククルカンが出迎えてくれていた。ククルカンは両手を広げ、微笑みを浮かべて迎えてくれた。
館の中に入り、白い椅子に腰をかけて、この一月ほどの旅の話をした。
竜王丸の話をじっと聴いていたククルカンは少し不満そうな表情を浮かべた。
“竜王丸。お前はまだ正直には話してはおらぬ”
竜王丸は驚いた。竜王丸としては、事実を事実として全て話しているつもりだったのだ。
ククルカンは少し微笑んで言った。
“お前の話の中に、ウツコレルという娘が出てこないのはおかしい”
竜王丸は、ククルカンが人の心まで読むのを忘れていた。ウツコレルのことは話す必要はないと思い、わざと省いていたのをすっかり読まれていたのだ。
“竜王丸。お前はまだ若く、ウツコレルとの恋は話すべきではないと思ったのであろうが、竜王丸、お前は間違えている。もっと、自分に正直になれ、自分を偽る者は他人に感動を与えない。他人を動かすものは、人の心だ。人の心は、言葉にも現れる、態度にも現れる、ひいては、その人の生き方にも如実に現れるものだ。さて、ウツコレルのことを聴こう”
竜王丸は素直にこれまでのウツコレルのことをククルカンに話した。義清たちも頷きながら竜王丸の話に耳を傾けた。ククルカンは微笑みを湛えて、じっと聴いた。
“竜王丸。お前は素直になった。お前はこれからの人生で何人かの女性を知るだろう。ウツコレルもその一人に過ぎないだろう。お前は今、少し嫌そうな顔をしたが、これは仕方がないことだ。お前の高貴な生まれがウツコレル一人だけを妻にすることを許さないのだ。しかし、ウツコレルは良い娘のように思える。大事にすべき娘かも知れない。いつか、ウツコレルをここに連れて来なさい。私が見て、値する娘であったら、その娘に特別な能力を与えてあげよう”
竜王丸たちは、疲労回復と自分たちで名付けた部屋に入り、生き生きとした顔で出てきた。ククルカンから武器を見せるよう求められたので、太刀、刀、槍を見せた。ククルカンは刃
先を仔細に診ていたが、やがて満足したような顔をして、竜王丸たちに返した。
あまり、硬いものは斬っていないようだ、まだ大丈夫だ、と呟いた。
兵糧丸は、どうだ、美味しいものだろうと冗談を言いながら、また三十粒ほど袋に入れて竜王丸たちに呉れた。
今度は北西の方に行き、海を見ながら南下するのも良かろうというククルカンの薦めもあり、竜王丸たちはククルカンの館を後にして、また旅に出た。
密林を歩く旅だった。また、多くの獣、鳥、虫を見た。密林の中は薄暗かったが、時々は巨木が倒れているところがあり、そこだけポッカリ明るく、青い空が見えた。
洞窟もあり、中に泉を湛えている洞窟もあった。また、ゾノト(セノーテ)と呼ばれる周囲が切り立った天然の大きな井戸もあった。川は相変わらず無かったが、水には困らなかった。
海が見えるところに出た。
竜王丸たちが暮らしていたところには海が無かった。琵琶湖はあったが、海では無かった。竜王丸は初めて、異国の地ではあったが、海というものを観た。美しい眺めだった。知らずと、心がのびやかに広がっていくのを覚えた。竜王丸たちは浜辺に下り立ち、暫く海を眺めた。砂浜はあったが、砂は白くなく、むしろ褐色の砂であったがさらさらとしていた。遠くに、丸木舟が見えた。漕いでいる男たちが見えた。男たちも竜王丸たちに気付いたらしく、立ち上がって、もの珍しく見ていた。
砂に寝そべって、空を見詰めた。蒼い空が目の前に広がり、雲はひとつも無かった。竜王丸は空に、ウツコレルの顔を描いた。甘酸っぱい感傷が心に忍び込んできた。竜王丸は十七、ウツコレルは十四の出会いだった。それは、竜王丸の初恋となった。
海を左に眺めながら、竜王丸たちは浜辺に沿って歩いた。浜辺がきれると、岬が聳え立っていた。小高い丘を登り、岬を越え、再び浜辺に下り立った。
夕方になった。夕陽が西に煌めきながら落ちていく。竜王丸たちは振り返りながら夕陽を見て歩いた。
夜は、椰子の木陰に四人固まって寝た。弥平次がいろんな話をして呉れた。弥平次はかつて商人の姿をして各地を回り、情報を仕入れ、その情報を必要とする大名に売るという生業をしていた。城に忍び入って、建物の様子を探ったこともあり、なかなか面白い話が多かった。
朝となった。四人はククルカンから貰った兵糧丸を呑み、また浜辺に沿って歩き始めた。地
形はククルカンの不思議な箱の画面で見ていたので、ある程度の把握は出来ていた。
画面によれば、ククルカンの館は、東西に飛び出た大きな半島の中央より北にあり、竜王丸
たちはそこから北東に出て、北の海に今出て、その浜辺を歩いているのだった。
このまま歩いて、東の海岸を経て、南の海を見てから、内陸を北上して帰るという旅であっ
た。
ククルカンの館を出て、三日ほど経った時のことである。
小さな部落があった。浜辺から海の水を汲んで、砂浜の畠みたいなところにその海の水を掛
けている光景にぶつかった。その畠は広大で延々と続いていた。乾ききった畠には白い結晶が
陽光に煌めいていた。
「塩、でござるよ。天日に干して、塩を作っているのでござる」
弥平次が感心したように言った。竜王丸たちが見ていると、椰子の林から一人の白い外国人
が現われ、竜王丸たちに鋭い一瞥を呉れたが何も言わず、畠に居る村人に話しかけた。
聞いていると、その白い外国人は塩を買いたいとのことだった。やがて、大きな袋に入った
塩を背負い、なにがしかの金を払って、また椰子の林に消えていった。
「ここにも、白い外国人が居るのでござるな」
義清が思いがけないようなものを見たような顔をして言った。
「北部からこの半島にメシーカ族と共に南下する者と今見たようにここの周辺に暮らしてい
る者と二つの群れがあるようでござるな」
弥兵衛も驚いたように語った。
「あの外国人が行ったあたりに、何があるか調べてみよう」
竜王丸が言い、四人は歩いて椰子の林を抜けた。
石造りの家が数軒並んでいた。家の窓から見ていたらしく、竜王丸たちが現われた時には男
が三人ほど剣を片手に睨んで立っていた。
「お前たちは何者だ」
中央の髭だらけの男が叫ぶように言った。
幸い、言葉は分かった。ククルカンの発明した言語翻訳器は素晴らしいと思った。
「私たちは決して怪しい者ではない。また、危害を加えるつもりもない」
「おお、俺たちの言葉が分かるのか。お前たちはどこの国の者だ」
「日本という国の者だ」
「ニホン、知らないがアジアの国か?」
「中国の東に浮かぶ島の国だ」
「それなら、ハポンだ。俺たちは、エスパニョルだ」
「貴殿たちと同じような肌をした人を西の地域で見た。メシーカ族と一緒だった」
「メシーカ族だって。ああ、アステカの残党か。一緒に居たって。あの欲張り共が」
「同じ国の仲間か」
「ああ、同じエスパニョル(スペイン人)だ。前は、一緒の仲間だったが、今はあいつらと
は手を切った。あいつらは征服者であり、俺たちは植民者だ」
話してみると、外国人同士ということで好意を示した。家に入れ、と言う。入ると、酒を勧
められた。ヴィノ・ロッホ(赤ワイン)という赤い酒だった。義清と弥兵衛は勧められるまま
に飲んだ。竜王丸たちは船が難破した日本の船員ということにした。彼らの話を通して、今ま
で分からなかったことがほとんど全て分かった。
この国の北方には、メシーカ族のアステカという帝国があったが、スペイン人に一五二一年に滅ぼされたこと、今は一五三二年(日本は天文元年)であること、この半島はマヤと呼ばれる民族が支配しているが、アステカ帝国のような強力な帝国を作ってはいないこと、北部には既にスペインからの植民者が大勢入っており、国の名前もヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)という名で呼ばれ始めていること、このマヤの地域はまだまだスペインの統治下にはなっていないこと、などが分かった。
更に、ウツコレルの両親と思われる話も噂として聞いたとのことであった。
「何でも、昔一五一〇年代の初め頃にここいらの浜辺に漂着したスペイン人の船員たちがここのマヤの女と結婚し、内陸の方に移り住んでいたが、仲間割れが起こり、その内の一人が妻と一緒に殺されたとか云う話を聞いたことがある。俺たちがここに来るずっと前の話だがね。殺されたのは船長で立派な紳士だったらしいが、持っていた金貨とか宝石が狙われたらしいんだ。もっとも、殺した仲間の方はもっと奥地に逃げたらしいが、現地人に捕まって生贄にされたらしい。喰われちゃったかも知れないな。馬鹿な話だ。ここの連中は金や宝石よりも翡翠の方がありがたがるっていうのに。ここで、金とか宝石を持っていても、何にもならない。価値観が違うのだ」
そう言って、この髭だらけの男は、机の中から、カカオの実とか翡翠の玉を見せてくれた。これだけで、一年は暮らせるのだ、と自慢した。
また、鉄砲も見せてくれた。短い鉄砲もあった。短筒とでも言えば良いのか、とにかく短く、片手で持てた。竜王丸たちは、鉄砲自体は弥平次が手に入れてくれたので、十分知ってはいたが、弾と火薬は見ていなかった。弾は鉛で出来ており、球形であった。こうやって使うんだ、ということで火薬を込め、それから弾を入れ、空に向かって撃ってくれた。
凄い轟音がした。周りに、雷鳴のように轟いた。砂浜の村人がびっくりしてこちらを見た。この鉄砲に関する知識は、竜王丸たちには大変な収穫であった。
竜王丸たちは感謝をして、そのエスパニョルの家を去った。
その後も、東から南に向かって、旅を続けた。
ところどころに廃却されたマヤの遺跡があった。密林を焼いて、焼畑の農業を営むが、一度焼いた畑は、収穫後は相当な年数を経ない限り、地味は回復しない。どうにも、回復しなくなった時、その畑は放棄される。放棄される畑が多くなった時、その地域は全体的に放棄され、人々は他の地域に移動して行かざるを得なくなる。人が住まなくなった時、かつての壮麗さを誇ったピラミッド都市は放棄され、忘却の彼方に沈み、都市は密林の中に埋もれていくのだ。
栄枯盛衰はつきものであるか、竜王丸はふと東郷金明から学んだ平家物語の一節を思い浮かべた。おごれるもの、久しからず、・・・。
海に突き出た遺跡の立ち、竜王丸たちは白い遺跡と蒼い海、白い雲と青い空を眺めた。
海の色が変わっていた。
北の海は蒼かったが、東から南の海は淡い緑の海だった。
竜王丸たちは淡く緑の海を眺め、陶然としていた。
日本の海を見ている義清たちも、このような色の海は初めてでござる、と言い、飽かず前方に広がる海を眺めていた。
夕方になると、海は更に驚くべき景観を呈した。
夕陽を受けて、海は七色の虹の光を発した。竜王丸たちは半ば茫然と海の変化を眺めた。
このような海は日本にはござらぬ、と弥平次も目を丸くしていた。
七色に輝く海を丸木舟がゆっくりと通って行く。一日の漁が済んで、妻子の待つ家に帰るところであろう。一日を精一杯働き、日が暮れたら家族のもとに帰り、働いて疲れた体を休めながら、今日起こったことを妻子に話してやる、平凡なことながら、人にはこれが一番必要なことなのだろう、と竜王丸は海を見詰めながら思った。
そのような人々の暮らしを私は守ってやりたいとも思った。
翌日も、緑の海を左に見ながら歩いた。沖に小さな島が見えた。ククルカンから言われていたことを思い出した。緑の海で、沖に小さな島が見えたら、旅を止めて、北西の内陸を通って帰って来い、というククルカンの言葉であった。竜王丸たちは見納めとばかり、小高い丘に座り、海を眺めた。
「ホルポル殿たちは、このような海を見たことがござろうかな?」
弥兵衛がぽつりと言った。
「おそらく、見てはござるまい。あの部落は内陸の部落ゆえ」
義清が言った。
ウツコレルも見てはいないだろう、と竜王丸は思った。ウツコレルにも見せてやりたい海じゃ、とも思った。ウツコレルはどんなにか、喜ぶことだろう、ウツコレルの喜ぶ顔が見たいものだ。竜王丸は知らず微笑んだ。弥平次は竜王丸の微笑を見て、心が温かく満たされていくのを感じた。竜王丸さまの微笑は、それがしには堪らない、このお方のためならば、いつでも死ねると思った。竜王丸から貰った短刀は肌身離さず、持っている弥平次であった。
浜辺を離れ、北西の内陸への道を辿った。内陸の道は厚い密林の道だった。時々、マヤの戦士に会った。誰か、と問われ、ククルカンの戦士と答えると、一様に尊敬の目で竜王丸たちを見た。メシーカとの戦闘での活躍も、或いはこの地の部族にも伝わっていたのかも知れない。
途中の道で、大きな遺跡を見た。大きなピラミッドが目を惹いた。チチェン・イッツァという遺跡であった。マヤパンの前に半島マヤ族の盟主を務めた都市国家であったが、もう数世紀も前に没落し、今は見る影もなく落ちぶれていた。都市は放棄され、草叢の中に寂しく建っていた。近くに、大きなゾノト(セノーテ)があった。断崖絶壁に囲まれた井戸で、上に立つと遥か下の水面に吸い込まれそうな感じがした。水練の不得意な義清は、早く立ち去りましょうとやや震え声で言い、皆の笑いをかった。
“竜王丸、どうであったか? 東の浜辺の旅は?”
「私はまだ海を見たことがありませんでした。海を見て、心が広がる思いを致しました。とりわけ、南の海は義清たちの話によれば、我が国の海には無い緑の海で、それは素晴らしい海でございました」
“おお、その海よ。わしも、その海が未練でなかなかこの地を離れられんのだ。このような海は他にはどこにも無い海だ”
「それと、鉄砲という武器の使い方、火薬込めから発射までの手順を偶然の機会から見ることが出来ました。これも大きな収穫でございました」
“そうか。竜王丸たちの国には未だ鉄砲が伝わっていなかったのだな”
「鉄砲の威力は凄いものです。恐らく、これまでの戦さの仕方を根本的に変えるものであると思っています。我が国に伝わってきた暁にどう対処していくのか、今考えております」
“お前の国で、鉄砲を使った戦争が始まれば、鉄砲ゆえ、死者は増えることは必定じゃ”
「ククルカン殿。お訊ねするのを忘れておりました」
竜王丸がククルカンに訊ねた。
「この防御の服は鉄砲にも大丈夫でござるか?」
“大丈夫じゃ。少し、弾が衝突する時、痛いだけじゃ。貫通はしない。安心して宜しい”
この言葉を聞いて、義清たちも安堵した。気になっていたことであった。
翌日、竜王丸たち四人はククルカンの館を出て、ウツコレルの待つ部落へ向かった。
竜王丸の足がいつもより速いのに気付き、弥平次はにこりと笑った。義清、弥兵衛は未だ気付いていないようだ。弥平次は竜王丸がウツコレルを何とか日本に連れて帰り、奥方にする日が来れば良い、と思っていた。奥方が無理ならば、側妾にでも、と思った。そのためには、ウツコレルは我が国の言葉を修得しなければならない。女言葉を教えるのは、春日さましかいない。春日さまが目を白黒させながら、ウツコレルに字を教える姿を思い浮かべ、一人ニヤニヤとしていた。存外、頭の良い娘だから、早く言葉にも慣れ、習慣にも慣れるかも知れない。竜王丸さま、ウツコレル、美男美女の組み合わせだ、早うその姿を見てみたいものぞ。
夕方には、ウツコレルと別れたヤシュチェー(セイバ)の樹のところまで着いた。
竜王丸が立ち止まり、弥平次を呼んだ。
「弥平次、すまぬが、村の様子を見て来て欲しい。どうも、妙な胸騒ぎがするのだ」
弥平次は恋する竜王丸の気後れかと思ったが、竜王丸の顔は暗く、真剣であった。
「畏まってござる。皆さま、暫くお待ちを」
弥平次は音も無く、走り去った。
正面の城門から入らず、側面の柵の上を飛び越えて入った。
入って、驚いた。村はひっそりと、と言うよりは、むしろ陰鬱に静まり返っていた。何か、良くないことが起こったのか、と思い、村人に見つからないように、屋根から屋根へ飛び移り、ホルカッブの家に来た。家の中を窺ったが、無人の家となっていた。大分前から無人の家となっている様子であった。次は、ホルカンの家に行った。ここも、ホルカッブの家と同じで、誰も住んでいる様子が無かった。ホルポルの館も窺った。やはり、無人の家と化していた。サーシルエークの家に行った。ここは、人が住んでいる様子であった。少し、灯りが点いていた。中を覗き込んだ。ウツコレルが縫い物をしていた。シュタバイは織物をしていた。ここは、無事であったが、雰囲気は前とは異なり、暗さを漂わせていた。
弥平次は竜王丸たちに部落の様子を話した。
竜王丸は腑に落ちたという顔をしていた。
「どうも、ヤシュチェーの樹まで来て、変な胸騒ぎがしたのだ。義清、弥兵衛、すまぬがここで待っていて欲しい。私は弥平次と共に、ウツコレルの家に行って、ウツコレルから様子を訊いて来る」
竜王丸、弥平次共に、音も無く、村に向かって走り去った。
ウツコレルは縫い物の手を休めて、ぼんやりと蝋燭の炎を見ていた。炎が少し揺れた。
ふと、溜息を吐いた。
「溜息は吐いた分だけ、不幸せになると申す」
懐かしい竜王丸の声だった。思わず、後ろを振り向いた。
壁の近くに、竜王丸が座っていた。
竜王丸は自分の唇に人差し指を立てた。話すな、という仕草であった。
部屋に、弥平次がサーシルエーク、イシュタブ、シュタバイの三人を連れて来た。
部屋の窓を閉め、声を潜めて、竜王丸たちが去った後の村の様子を訊いた。
「ホルポルさまが殺されました」
「何と! ホルポル殿が! 一体、誰に?」
「アーキンマイさまが勝利の祝宴と称して、部落の重臣を神殿に集めました」
「その席上、ホルポルさまと同じ心を持った方が全員毒殺されたのです」
「いつ?」
「竜王丸さまたちがお立ちになった、数日後でございます」
「同時に、戦士の長の皆さまの家にも、暗殺者の群れが行きました」
「ホルカンさま、ホルカッブさまはお逃げになりましたが、ほとんどの方は無残にも殺され
てしまいました」
「長を失って、戦士もてんでばらばらに森に隠れました」
「今、村を守っている戦士は?」
「誰も居りません。村の実権はナチンとナチンが集めた暗殺者の集団が握っています」
「アーキンマイは?」
「ホルポルさまの祟りで、俄かに病気になってしまい、今は神殿の奥の部屋で寝たきりにな
っております」
「ナチンは落ち着いたところで、メシーカ族に使いを出し、和睦の交渉を始めるとのことで
す」
「暗殺者の集団と申したが、数はいかほどであるか?」
「二百人ばかりですが、鉄砲を持っています」
「鉄砲の数は?」
「十丁ばかり、持っています」
「戦士は無抵抗で逃げたのか?」
「武器庫は事前に抑えられており、武器は持っていませんでしたので」
「スキア殿は?」
「洞窟の石牢に閉じ込められています」
「ホルカッブ殿、ホルカン殿は今いずこに潜伏しておられるのか?」
「洞窟に潜んでおります。時折り、私が食料を持って行っております」
「シュタバイ殿。良ければ、今夜、案内願いたいが」
「分かりました。ご案内します」
村の城門は、正面の城門も、裏門も全て、ナチンが連れて来た暗殺者の兵士で厳重に警戒さ
れていた。側面の柵から出ることとした。弥平次が刀で柵を斬り倒した。
暫くして、竜王丸たち四人とシュタバイ、ウツコレルの姉妹がホルカッブ、ホルカンが隠れているという洞窟に着いた。入口は小さく目立たなかったが、中は広い洞窟だった。
泉も湧いていた。
シュタバイが合図の口笛を吹いた。
奥から、ホルカッブ、ホルカン、それに戦士が十人ばかり、用心しながら出てきた。
竜王丸たちの姿を見ると皆、駆け寄って来て、手を取り合って再会を喜んだ。
感動のあまり、戦士としては珍しく、泣き出す者も居た。
ホルカッブ、ホルカンも涙を滲ませて、竜王丸たちを見た。
「竜王丸さま、申し訳ございません。ホルポルさまをむざむざ死なせてしまい。竜王丸さまに会わせる顔がございません」
「ホルカッブ殿、ホルカン殿、ご自分を責めるのはお止め下さい。ご自分を責めたとて、ホルポル殿は喜びませんぞ。力を合わせて、仇を討つこと、ホルポル殿のご無念を晴らすことこそ、ホルポル殿が喜ぶことでござる。まして、誇り高きマヤの戦士は涙を見せてはなりませぬ。敵を見事に討った時まで、涙はお残し下さい」
竜王丸に言われて、二人は溢れる涙を拭いて、竜王丸たちを力強く見詰めた。
その夜は、皆と久しぶりに語らいながら、洞窟で過ごした。
朝になった。竜王丸は森に散らばった戦士を集められる限り、集めるよう、洞窟の戦士に命じた。戦士たちの顔は生き生きとしていた。
どの顔もマヤの戦士の顔になっていた。
闘える顔になっている、と義清たちは思った。
戦士たちは洞窟を飛び出し、思い思いに心当たりのあるところに向かった。
九の巻 終わり
十の巻
竜王丸は義清たち、ホルカッブ、ホルカンを集めて軍議を行った。
竜王丸が先ず、口火を切った。
「部落の柵が破られていることは、既に発見されているかも知れぬ。発見されていれば、警戒は昨日よりも厳重になっていることと思われる」
「ウツコレル殿、シュタバイ殿はこの洞窟に留まられた方が宜しかろう」
「さて、アーキンマイは寝たきりの病人になっているとのことで、もう害はなさない」
「ナチンは許してはおけない。ホルポル殿の死の代償を払わせる」
「村人は、我々がことを起こしても、暗殺者たち、おそらくアステカ帝国で地方に分散したメシーカ族を主体とした傭兵部隊であろうが、暗殺者たちには加勢はしまい。傍観するだろう」
「問題は、その傭兵部隊である」
「おそらく、今はナチンを頭に戴いているようであるが、その内、本性を現して、ナチンを殺して、部落を乗っ取るつもりであろうよ」
「さて、この傭兵部隊をどうするか、じゃ」
「鉄砲を持っていると云う。まともな合戦になれば、こちらにも死者がでることは必定である」
「鉄砲は使わせないようにする。そのためには、どうしたら良いか、ここが思案のしどころじゃ」
「鉄砲抜きでも、メシーカ族はかなり勇敢であり、強い戦士が揃っている」
「味方の損害を極力抑えて、勝つためにはどうしたら良いか、皆の意見を聴きたい」
弥平次が膝を乗り出して言った。
「ナチンはそれがしにお任せあれ」
弥兵衛も言った。
「鉄砲に関しては、先ほども弥平次殿と話しておりましたが、火薬を湿らせることが出来ますれば、持ち腐れとなるはずでござる」
義清が断固たる口調で言った。
「いずれにしましても、今日の昼はばらばらになった部落の戦士を集めることが肝要でござる。そして、行動は夜。夜陰に乗じ、柵を斬り破り、侵入し、敵の武器を取り上げれば、それにて当方の勝ちでござる」
ホルカッブが力強く、言った。
「夜、敵が寝静まった頃、部落に入り、傭兵部隊の宿舎を襲い、武器を取り上げることは可能です。傭兵部隊が宿舎とするところは大体見当がついておりますので」
竜王丸は皆の意見を聴いた後、からからと笑い、こう言って、軍議を終えた。
「皆の者、良くぞ申した。その通りにしようぞ。昼は準備、夜に全てを託そうぞ」
洞窟の泉のほとりの岩に腰をかけ、竜王丸はホルポルのことを想っていた。
見事な将であった。
おそらく、アーキンマイの招宴で毒殺されるくらいのことは予測していたであろう。
従容と毒酒をあおって、死んでいったのであろう。不憫でならぬ。無念でもあったろう。
ホルポルが可愛がっていた、あの猿、ナコンはホルポルが死んだ後、暫くホルポルの死骸の傍に居たそうだが、その内どこかに行ってしまったとのこと。やはり、獣か。
竜王丸は微笑んだ。
「ウツコレル殿。足音を忍ばせても駄目でござる」
「あらッ、どうしてお分かりになりました」
竜王丸は後ろを振り返り、笑った。
「私の国の諺に、頭隠して尻隠さず、という諺がござるが、ウツコレル殿の場合は、匂い隠さず、じゃ」
ウツコレルは泣きそうな顔になった。
「ひどい。私はそれほど嫌な臭いなんですか?」
竜王丸は慌てて、言った。
「誤解は困る。悪い臭いでは無く、良い匂いでござるよ。ウツコレル殿は花のような良い匂いがするのでござる」
ウツコレルはにっこりと微笑んだ。
それから、竜王丸の傍に座り、ククルカンの館に戻ってからの旅のことを目を輝かせながら、あれこれ竜王丸に訊ねた。
この娘は最初に会った時もそうであったが、よく質問をする娘だ、思った。
この娘と一緒ならば、山里の侘び住まいであるが、楽しい生活が送れるかも知れないと竜王丸は思い、そのように思い始めている自分が少し可笑しかった。
部落の戦士はぞくぞくと集まり始めた。
かつては、百八十人ほど居たが、その内、百五十人が戻ってきた。
皆、再会を喜ぶと同時に、ククルカンの戦士と共にまた闘えるという誇りと喜びに満ちていた。
死は恐れるところでは無く、闘いで死ねば、戦士は必ず天の国に行く、そこで、崇敬するホルポルにまた仕えることが出来る、という喜びに満ちていた。
ホルカッブとホルカンが朝の軍議の内容を噛み砕くように、皆に伝えていた。
夕陽が残照を残して密林に消えていった。
赤い残照の空を鳥が飛んでいった。
そして、竜王丸たちはそれぞれの闘いを始めた。
ナチンは一人、部屋に居た。傭兵部隊への支払いのことを考えていた。
アーキンマイが貯めた翡翠とカカオの豆で間に合うかどうか、真剣に考えていた。
どうしても、間に合わない。
自分の財産でまかなうのは、業腹であった。
何とか、自分の家の財産を減らさずに済ませる方法はないか。
シュタバイと結婚すれば、サーシルエークの財産も少し分けて貰える。
早く、結婚するようにしよう。サーシルエークも前と違い、この頃は俺を避けているようだが、アーキンマイの跡目を継げば、ぐずぐず言わせない。
俺がこの部落の最高権力者になるのだから。
これで、メシーカ軍との和睦が出来れば、俺の人生は安泰となる。
そんなことを考えて、ナチンは笑いをこらえていた。
「ナチン。笑うのは未だ早い」
どこからか、からかうような声がした。
ナチンはびっくりして、あたりを見回した。
誰も居なかった。空耳か、と思った。
「ナチン。ホルポルは天の国に行ったが、お前は地底の国、シバルバに行く」
また、陰気な声がした。
誰か、居る。ナチンは恐怖の声を上げて、部屋の扉を開けて逃げようとした。
扉は開かなかった。誰が閉めたのだ。ナチンの頭は混乱した。
扉を開けようと何回も試みた。駄目だった。ナチンは扉を両手で叩いた。
「誰か、来てくれ! 誰か、来てくれ!」
また、声がした。
「呼んでも無駄だ。お前の家族は皆、眠りこけている。誰も、助けには来ない。また、この部屋の物音はどこにも聞こえない」
ナチンは後ろを振り向いた。
いつの間にか、部屋の中央に黒装束の男が腕組みをして立っていた。
「お前は誰だ!」
その黒装束の男は陰気な声で呟いた。地獄から聞こえてくるような声だった。
「俺は、ククルカンの命を受け、地底の国からお前を迎えに来た」
「嘘だ。ククルカンなどと云うのは神話の世界だ」
と、言いながら、ナチンは懐から短筒を取り出した。
「ほう、傭兵部隊から貰ったか。試してみたら、どうだ」
ナチンは震える手で、短筒をその黒装束の男の胸に向けた。
轟音と共に、短筒から弾が発射された。弾はその男の胸に当たった。
しかし、その男は倒れず、背中に背負った刀をゆっくりと抜いて振りかぶった。
ナチンは恐怖の声を上げた。
それが、ナチンの最期の声だった。
ナチンは頭から尻まで真っ二つに斬られ、血を噴出しながら床に倒れた。
同じ頃。
アーキンマイは神殿の片隅にある薄暗い部屋で、右手を小刻みに震わせながら、横になっていた。
右半身が不随となっていた。口元もだらしなく緩み、涎を流していた。
ふと、目を覚ました。
天井に、大きな怪物が映っていた。驚き、声を立てた。上半身を起こし、逃れようとした。
その時、陰鬱な声がした。
アーキンマイの耳には、死者が行くとされるメトナルという地底世界から聞こえて来るような不気味な声であった。
「アーキンマイ。そろそろ、お前は地底の世界に行く時だ。地底の世界に行き、長い苦悶を味わうことだ」
アーキンマイは更に驚き、声を上げて、助けを呼んだ。
「助けを呼んでも、無駄だ。皆、眠りこけている。お前は一人で死んでいくのだ」
アーキンマイは逃れようとして、立ち上がろうとした。
しかし、立ち上がることは出来なかった。
不意に、身を硬直させ、頭を押さえながら、どっと床に倒れ伏した。
目を見開いたまま、息絶えていた。
部屋の片隅に、黒装束姿の竜王丸と何か異形の動物が居た。
ナコン! さあ、行こうか、ホルポルの仇は討ったぞ、と竜王丸は優しく声をかけた。
竜王丸が神殿の寝所に忍び寄った時、どこからともなく、猿のナコンが現われ、竜王丸の肩に乗ってきたのであった。
アーキンマイの死を確認した後で、竜王丸はナコンを肩に乗せたまま、神殿を抜け出し、闇の中に姿を消した。
それから、暫くして。
竜王丸と弥平次は鉄砲の火薬の在り処を探して、傭兵部隊の宿舎を調べていた。
鉄砲はやはり十丁ほどあり、戦士とは異なる姿の男たちが大事に抱えるようにして眠っていた。しかし、火薬の袋は見当たらなかった。
ふと、目を周囲の壁に移した竜王丸が何かを見つけたようであった。大きな袋と小さな袋が壁際に天井から吊るされていた。弥平次が近寄って、袋の中身を調べた。竜王丸に頷いた。紛れも無く、火薬の袋と弾を入れた袋であった。天井から注意深く、それらの袋を外した。
ずしりと重かった。音も無く、扉を開けて外に出た。やがて、二人は周囲の闇に消えた。
明け方頃、ホルカッブ、ホルカンに率いられたマヤの戦士が部落に潜入した。
十人を一つの組として、分散している傭兵部隊の宿舎に向かった。
先ず、武器を抑えよ、と竜王丸に命じられていた。
正面の城門と裏門は傭兵部隊の戦士が深夜も交代で見張っていた。弥平次に率いられたマヤの戦士が見張りを背後から襲い、倒した。
気付いて、逃れようとした者は弥平次によって倒された。少し、悲鳴があがった。
宿舎で、目を覚ました傭兵が見たものは、矢をつがえたマヤの戦士と刀を抜き払った義清と弥兵衛の圧倒的な姿であった。
寝惚け眼のまま、起こされた兵士がほとんどであった。
傭兵は縛られた上で、ピラミッド前の広場に集められた。
二百人ほど居た。
ホルカッブが傭兵を訊問していた。
重大なことに気付き、竜王丸に近寄り、告げた。
「竜王丸さま、手違いが生じました。申し訳ございません」
傭兵隊長とその側近が逃げたとのことだった。五人、居ないと言う。
ここは、義清、弥兵衛、ホルカッブに任せ、竜王丸、弥平次、ホルカンの三人は傭兵隊長ら五人を追跡することとした。
暫く、探した後、よもやと思い、シュタバイとウツコレルが待つ洞窟に向かった。
シュタバイとウツコレルは心配そうな表情で洞窟の前に居た。
竜王丸たちの姿を遠目で見て、竜王丸たちのところに走り寄ろうとした時だった。
樹の陰から、数人の男が走り出て、シュタバイとウツコレルを捕まえた。
男たちは五人居た。傭兵隊長とその側近に間違いなかった。
傭兵隊長は、ニヤリと笑い、酷薄な表情で武器を捨てろ、と言った。
捨てなければ、この女たちの命は無い、と言った。
シュタバイは、私たちには構わないで、命なんか要らない、と叫んで、捕まえていた男に平手打ちをくわされた。
倒れたシュタバイに、その男は矢をつがえた。
竜王丸は叫んだ。
「分かった、武器は捨てる。だから、その娘の命は助けてくれ」
竜王丸は黄金造りの太刀を傭兵隊長の前に放り投げた。
全員の目がその太刀に集中した瞬間、竜王丸の手から棒手裏剣が飛んだ。
太刀を拾おうとかがんだ傭兵隊長の額を貫いた。
と、同時に、竜王丸と弥平次が傭兵の群れに飛び込み、あっという間に全員を斃した。
捕らえられた傭兵たちは全ての武器を取り上げられた上で、部落の入口から追放された。
部落の戦士隊長にはホルカッブがなり、ホルカンは副隊長となった。
そして、シュタバイはホルカッブに嫁ぐこととなった。
竜王丸たちは一週間ほど滞在し、全てが円満におさまったのを見計らった上で、部落を去ることとした。
竜王丸たちは村人全員の見送りを受け、部落を出た。
竜王丸たち四人が語り合いながら、ヤシュチェーの樹の下に差しかかった時だった。
樹の陰から、二人の男女が突然現われた。
ホルカンとウツコレルだった。
二人とも、竜王丸に連れていってくれ、と言う。
親友とは言え、人の妻となったシュタバイを見ながら、村に居るのは嫌だというホルカンと、巫女となって、竜王丸たちククルカンの軍神の世話をしたいというウツコレルの願いだった。
ククルカンの巫女になるならば、仕方が無い、とサシルエークとイシュタブは泣きながら、許してくれた、とウツコレルは言った。
竜王丸たち四人はいろいろと二人を説得しようとしたが、二人の決意は変わらず、連れていってもらえなければ、このヤシュチェーの枝に縄をかけ、首を吊ると言う。
マヤの教えでは、首を吊って自殺した者も、戦死した戦士同様、天の国に行くことができるので、死は恐れるところではない、とホルカンは言った。
持ってきた縄も見せた。随分と丈夫な縄であった。
竜王丸も根負けして、勝手にせよ、と言った。
二人は、勝手にします、と言い、四人の後にくっついて歩いた。
暫くは離れて歩いていたが、洞窟で休憩し、水浴した時から、一行は六人となった。
ククルカンの館に着いた。ククルカンは全てを知っており、ホルカンとウツコレルをも快く迎えてくれた。
ホルカン、ウツコレル共、ククルカンと広大な屋敷を見て、びっくりしたが、道中、義清たちから話を聞いていたので、それほどの衝撃はなかった。
ククルカンはウツコレルを一人呼んで、暫く話をしていた。
ククルカンはその後で、竜王丸を呼んで言った。
“あの娘は美しいばかりではなく、気立ても良く、頭の良い娘だ。お前があの娘をお前の国に連れて帰るのならば、一つあの娘に特別な能力を与えておこう。運命を予測する予知能力じゃ。お前がこれから武将として成長していく過程の中で、一番必要な能力となる。お前があの娘を大事にし、いつも傍に置いておきたくなるよう、これからあの娘に予知能力を与えることとする”
ククルカンはウツコレルを別室に連れて行った。
少し経って、ウツコレルは戻って来た。
別に、変わったところは無かった。
竜王丸はホルカンとウツコレルを呼び、日本という反対側の国に行くが、二人はどうすると二人の意思を訊ねた。
二人は一緒に行きたい、と即座に、竜王丸に願った。
二人に、迷いはなかった。
竜王丸は二人の意思を義清たちに伝えた。義清たちも大いに喜んだ。
早速、義清たちは二人に日本に関する知識をあれこれ教え始めた。
また、ククルカンは出発に際して、念のためだと言って、六人に疫病防止の消毒を施した。
ククルカンとの別れが来た。
また、あの大根のような白い車に乗って、トンネルを走り、龍神沼に向かった。
龍神沼に着いた。
別れに際して、ククルカンは竜王丸にシウコアトル(火の蛇:レーザーガン)を与えた。
これは攻撃に使ってはいけない、防御の時だけ使うように、とククルカンは言った。
また、弥平次には、半年に一度は龍神沼に来て、ククルカンに半年間の出来事を話すように命じた。
六人は龍神沼を眼下に見下ろす丘に立った。
竜王丸たち四人は直垂、袴に着替え、すっくと立っていた。
ホルカンとウツコレルは目立たぬよう、山伏の姿をしていた。
二ヶ月振りに見る日本の風景は柔らかく、優しい、と竜王丸は思った。
眼下に広がる森は鬱蒼としていたが、人を寄せつけない、あの国の密林とは異なっていた。どこか、安らぎを感じさせるものがあった。
ウツコレルも竜王丸の国の風景を好ましく眺めていた。
傍らの竜王丸に向かって囁いた。
あなたの古里で、何かが今起ころうとしています。
悪いことでは無く、あなたを世に出すための出来事が起ころうとしています。
これを見事に解決し、あなたは土地の者から尊敬されるようになる。
これがウツコレルの初めての予言となった。
竜王丸は胸を躍らせながら、これからの自分と自分を囲む者たちの行く末を想った。
全身に、力が漲っていくのを感じた。
十の巻 終わり