僕と王の出会った日の話。Ⅱ
ふとドアから明かりが差し込んだ。
「えっと、誰かいるかね?」
男の人の声であった。パンタの店主よりは高いが、落ち着いた、僕を包むような声であった。
「…………店主?」
ふと思い立った名を言うとその男性は申し訳なさそうに情けない声を出した。
「あ、ああ、すまない。私は店主ではないよ。この国の国王だ。」
この男が今の父である、国王なのだ。今からしてみればずいぶんボロボロでだらしない身だしなみに濡れた体。衛兵一人いないこの状態にこそ驚くのだが、その時の僕は国王というものすら知らなかった。そんな僕が敬語を使えないどころか、誰か知らない30程度のがたいのいい男におびえないわけもない。
僕は母の手を強く握り、同時に母の手がとれ、僕は恐怖のあまり声がでなくなったほどに恐怖を感じだ。
「こくおう………?誰だ。でてけ!よるな!」
見るからに裕福そうなその男を見た瞬間、襲われるのではないかと思った。昔、母がそうされていたように。
「そんなに怖がらないでくれ。何もしないよ。ただ、少し雨が強くなったから休ませてほしいのだ。ここの家は丈夫そうだろう?ほかの家だとどうも心許無い。」
僕は石を片手に国王を家に通した。家を貸しただけで儲けられるならいい話だと思ったのだ。国王はお金を払うなど一言も言っていないが、この町では、金持ちに親切にすれば必ずお金を渡されることは言うまでもない常識であったので、国王の身に着けているものがこの辺では見ない代物ばかりだと見た途端、稼いで明日も生きたいという思いが勝ったのだ。
「くさいけどいいの?」
言ってから少し後悔した。これでもらえる額が下がるかもしれないと思ったのだ。
「くさい?ああ、私は鼻が鈍くてね。そうか、ここは臭いのか。まあ、町中いいにおいがするところなどパン屋の前くらいになってしまったと言っていたし、かまわないよ。」
国王は意外にもそう返すと、あたりを見渡してこう続けた。
「そうか。亡くなってしまっているのか。申し訳ない。すべて僕もせいだ。」
そういうと国王は母の前で手を合わせた。
「お母さんに何をした!!!」
何か呪文をかけられたのかと思い僕は慌てて国王を突き飛ばす。
「ああ、これは、死者が天国に行けるように祈るしきたりだよ。君の知らないことをしてしまってすまない。」
「難しいこと言うな。お母さんに何をしたんだよ!!」
馴染みのない言葉が悪いように聞こえて仕方なかった。
必死になり、持っていた小石を国王に投げつけると、国王はすっとその石をまるで子供とボール遊びをしているかのようにすっとキャッチすると、地面に置いた。
「少し、話しを聞いてもらえるかな?どうせだから僕の話をしよう。こんなに怖がられたままなのもこの国も王として気持ちのいいものではないしね。」
国王は僕にやさしく笑いかけるとろうそくをポケットから取り出し、マッチで火をつけた。
2つの明かりに照らされてすっかり明るくなった狭い部屋はとても暖かかった。
国王は、国王というものの説明から、この国にこんなにも餓死者であふれかえっているのは普通ではないことや、自分が臆病で外交を怖がっているからこうなっていること、何かしようにもできないことなど、その時にたくさんのことを話してくれたのだが、僕がその場で理解できたのはそれだけであった。
朝になっても雨は続いた。曇ったままの空に僕の心は妙に晴れ切っていた。ろうそくの火はもう消えてしまっていたが、曇った雲からさす薄い光がドアの向こうから僕らを照らした。
「ねえ、国王!雨が上がったら城に帰るんでしょ?」
「ああ、そうだよ。」
「じゃあさ、僕を連れて行ってよ。」
「え?いいのかい?お母さんは連れていけないんだよ?しかも、泊めてくれたんだ。いつでも城に遊びに来てもいいし、宿泊代だってたっぷり払うよ。きっとこれから君は生活に困るどころか誰かに分けてあげることだってできるようになると思うよ。」
「うん。それでもついて行きたい。そりゃあ、お母さんとは離れたくないけど。………でも、離れるのは出会うためにあるんだって、お母さんが言ってたんだ。だから、雨が上がったら、僕を連れて行って。」
「じゃあ、王子になるかい?」
「おうじ?」
「つまり、私の子供になるってことだよ。同時に、もし、私が死んだときには君が王になるんだ。きっと素晴らしい王になる。」
拍子抜けした顔を見るつもりで見あげた顔が逆に拍子抜けした顔になってしまっていた。
「王に?へえ、王かあ。うん。僕を王子にしてよ。このままじゃなきゃ、なんでもいい」
その時、僕は「王」というものがどんなものだか完璧に理解をしていなかった。「パン屋」の店主になるようなそんな感覚でいた。それでも、パン屋の店主でも十分にとてつもなく素晴らしい存在になれるんだとは自覚していた。
とはいえ、国王として大した機能のしていなかったあの時の状況において「パン屋の店主」という理解は間違えてはいなかったのかもしれない。
「そういえば、名前を聞いてなかったね。何て呼べばいいかな?」
「…………国王がつけてよ。もう、僕は国王の子供なんでしょ?」
僕がそういうと国王は迷うことなく答えた。
「フレイ王子で、いいかな?」
「フレイ?」
「北欧神話での豊穣の神のことだよ。この国が、フレイをきっかけに豊かになってくれたらいいと思ったんだ。どうかな?」
神話など知るわけもなかった。ただ、神の話は母がよくしてくれていた。僕たちを見守る存在だということ、偉大な存在であること、助けてくれる存在であること。僕は、そんな名前を付けられたと理解したとき、今までになくワクワクする感情を覚えた。