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迫真空手部・哲学の裏技  作者: そのまんま東のような人物のイラストをイメージ画として自身が一種の淫夢系のキャラクターとして扱われている、近年ではイワナ系朗読やFXで有り金を溶かしたりしている朗読兄貴
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林羅山レイプ!古学派と化した空手部

木村「前回は藤原惺窩や中江藤樹についてやりましたね。今回は別の学派についてやっていきますよ」


遠野「う、羽毛…」(了承)


木村「最初は山鹿素行です。彼は朱子学を学んでいましたが、後にこう考えるようになりました。即ち、『朱子学は注釈することしか考えないのか……』と」


三浦「汚い台詞ですね…」


野獣「まるで鍾乳洞のようじゃ」(意味不明)


木村「つまり、彼は後世の儒学者による解釈を排除し、孔子などの教えを直接にあたる思想を説いたのです。これを『聖学』と言います。これを纏めたのが、彼の主著である『聖教要録』です。そして、原典に立ち帰る学派を『古学派』と言います」


木村「朱子学や陽明学なんてものは、所詮は後世の儒学者の解釈なのです。孔子の教えを歪曲しているのです……ある種の原点回帰ですね」


野獣「これって中国思想では見られなかったですよね…?」


木村「そうなんです。これは日本独特の動きで、独自の儒学の立場なんです。この聖学から、後に古義学や古文辞学が生まれるのです。つまり影響があったんです」


遠野「はえ~…」


木村「そんな彼は武士のあり方を定義します。"士農工商"のうちの農工商、この三つの身分の師匠に相応しい人格の保持こそが武士の道と説きました。農工商は多忙なので、代わりに武士が人倫の道を極め、彼らに道を教える事こそが役割としたのです。これは伝統的な武士道の考え方とは異なるため、『士道』と呼称します」


三浦「俺は山鹿素行だ。世の中の不逞な儒学者を見逃すわけにはいかねぇんだ」(裏声)


野獣「本当にそんな声だったんですかね…?」


遠野「違うと思います」(即答)


木村「次は伊藤仁斎です。彼も同じく孔子などの教えに立ち帰りました。そして中国古代の言葉のもとの意味によって読み解こうと試みました。これを『古義学』と言います」


木村「実を言うと、山鹿素行と伊藤仁斎は同時期に生まれました。しかし山鹿素行の『聖教要録』が先に発表された事より、今では山鹿素行が古学派の先駆者と言われています」


野獣「悲しいなぁ…」


木村「そんな伊藤仁斎は『論語』を『最上至極宇宙第一の書』と言っています。つまり絶賛してるんです。ですが孔子の教えは後世の儒学者の解釈によって蔽われています。ですから解体し、人倫日用の学としたのです」


木村「要するに、伊藤仁斎は朱子学的形而上学を廃したのです。理とか気とか、宇宙の原理とか、あんなのを軽視し、他人との付き合い方とかを重視したのです」


三浦「宇宙の原理を"あんなの"呼ばわりする勇気」


野獣「警察だ!」(朱子学警察)


木村「また伊藤仁斎は、日常において自然に出てくる思いやりを『仁愛』と説きました。この仁愛を成り立たせているのが『誠』で、自分にも他者にも偽りを持たない真実無偽の心こそが大事なのだと言います」


三浦「そうだよ(便乗)」


野獣「林羅山ー!林羅山見てるかー!」


遠野「物事を形式的な『理』でしか判断しない朱子学者さん…w」


木村「次は荻生徂徠です。彼は中国古代の文章や言語を修めた上で、昔の人達の教えを明らかにしようとしました。これを『古文辞学派』と言います」


木村「では山鹿素行や伊藤仁斎と何が違うのか?と言いますと、『聖学』は論語や孟子を読んで原始儒教を研究しよう、と言う動きですね。対して『古義学』は論語を中心として、孔子や孟子の言いたかったことを研究する動きです。最後に『古文辞学』は中国語の文章やリズムを知ってから、文献学的に研究する動きです」


木村「ざっくり言うと、

山鹿素行 → 原始的な儒教思想

伊藤仁斎 → 孔子や孟子が言いたかったこと

荻生徂徠 → 古の中国の文章や言語を修めつつ、文献学的なこと

です。『古学派』としての思想はほぼ同じかも知れませんが、中身は異なるんです」


遠野「細かいんですね…」


木村「この荻生徂徠は、昔の聖人たちが定めた制度を『先王の道』と呼びました。つまり古代中国の理想的な君主が作った人為的なものこそが、社会を調和したのです。儀礼、刑罰、政治制度…などなど」


木村「世を治め、民を救う…このことを『経世救民』と言います。また、経世救民こそが国を平和にする『安天下の道』と説いたのです。つまり儒教の本質は政治制度にあったのです。荻生徂徠は、嘗ての儒教が人格形成を重要視し、天下を治めることを軽視したことを批判します。故に彼の儒教は『経世救民の学』と言われるのです」


三浦「人格を重んじていたばかりに政治を疎かにしてしまっていた面を批判するって凄いですね…」


野獣「ある意味では政治哲学者ですね…」


木村「この荻生徂徠の弟子に太宰春台と言う人物がいます。彼は徂徠の経世救民を修め、秀でていたと言われています。また彼は『礼』を重視し、道徳を軽視しがちな徂徠の思想の軌道修正を図ったりしたんです」


野獣「江戸の政治思想を知る上では、この両人物は欠かせなさそうですね…」


遠野「これって……勲章ですよ」


木村「次は富永仲基ですね。彼は儒学を批判します。そして儒教、仏教、神道の三つを『三教の道』として歴史的に相対化した上で、誰もが持つ"当たり前"こそが『誠』である、と述べたんです。彼は全ての教説を"歴史的な文脈のなかでの発言"と捉え、多くの論争や文化の違いなどによる変化を抽出したのです」


木村「換言して、あらゆる書物…儒教の経典しかり、仏教の経典しかり、全ては歴史の産物です。そこに真理はありません…何故なら見方や認識に差異がありますから。ならば相対化して、共通点こそを『誠』なのだと気付きました…これが『当たり前』なのです」


野獣「俺らが持つ当たり前こそ、こうした歴史的文脈の数多の項の中から抽出したものなんやなって」


木村「そうです。そういった意味では認識論的方法論ですね」


木村「今度は山片蟠桃です。彼は極めて合理的且つ唯物的で、儒教の『理』や『気』の研究は自然や社会を認識すると言う啓蒙主義的な側面からの見方を示しました。デカルトなどに代表される機械論的自然主義を儒教に応用した感じです」


木村「『神仏化物もなし世の中に奇妙ふしぎのことは猶なし』…これは山片蟠桃の言葉ですが、こうした日本的形而上学を否定する思想を『無鬼論』と言います。こうした無鬼論の代表的人物が山片蟠桃なのです」


野獣「かなり西洋哲学に似てますね…」


木村「次は山崎闇斎です。彼は朱熹の説のみが正しいとの見方を示しました。言わば朱子学一尊主義です。この朱子学の再構成によって、藤原惺窩や林羅山が引き継いだ朱子学派の中で、やっと『日本朱子学』が確立されるのです。そんな彼の学派を『崎門学派』と言います。また神道と儒教の一致を唱えた『垂加神道』を説きました」


木村「彼は『敬』と言う概念を基底に据えます。『敬』こそが天地の始まりと共に生まれ、これを継承する事を重要視したのです。この『敬』を基底とした形而上学こそが闇斎朱子学の基礎なのです」


木村「さらに自己の主体的な保持も主張し、自他関係を解体します。この上で、自国に対する忠誠に『大義名分』を見出すのです。この考え方は、後の尊皇攘夷論に大きな影響を与えます」


遠野「山崎闇斎にて朱子学が確立されたんですね…」


三浦「何気に神道と儒教を同一視してて草」


木村「今度は佐藤直方です。彼は山崎闇斎の崎門学派のもとで朱子学を学びます。しかし闇斎の垂加神道に異を唱えます。つまり朱子学の全一的な価値を守ろうとしたのです」


木村「『朱子学に神道を混ぜるぜ!』と語る闇斎に、『朱子学に神道を混ぜてはいけない(戒め)』と説いたのです。」


木村「なお破門されたもよう」


野獣「オチが悲しいですね…」


木村「続いては貝原益軒です。彼は朱子学的な形而上学を『易経』の陰陽の立場から構成しようとしました。こうして生まれた、天と人の関係を『事天』と言います。彼は人々の日常生活内における全ての行為は"天地への奉仕活動"なのです。貝原益軒は『生』を基点とした新たな見方を提示したのです」


野獣「これは深いですねクォレハ…」


木村「そして今度は三浦梅園です。他人の引用を一切行わずに書かれた自然哲学書である『玄語』を完成させ、この書の注釈として書かれた百科全書が『贅語』です。そんな彼は朱子学の中でも『一即一一、一一即一』と言う条理を描きます」


野獣「MUR大先輩!?」


三浦「俺の先祖かも知れないゾ!」


木村「自分の子孫がホモビ男優とか考えただけでゾッとするんだよなぁ…」


三浦「あっ、そっかぁ(自戒)」


木村「…話を戻します。『一』とはつまり『気』で、『一一』とは『陰陽』のことです。全ては鋭く対立する二つの要素から出来上がっていることを述べたのです。彼の面白いところは、こうした思想を幾何学的に示したところです。そう考えるとパスカルに繋がる何かがあります」


野獣「『一』が沢山出てきて怖い…怖くない?」


遠野「怖いというより奇妙、ですかね…」


木村「最後は中井履軒です。彼は全ての経書を歴史的文脈の中で判断しました。ここまでは富永仲基と似ていますが、中井履軒は『生きる人々が依るであろう道の実効性』を重視しました。つまり現世でも活きる徳や思想のあり方を重要視したのです」


木村「そう考えると、伊藤仁斎に富永仲基を足したような感じですね…」


野獣「フタチマル…」(意味不明)


木村「今回はここまでです。これで日本儒教は終わりですね。次は本居宣長を初めとする国学を見ていきましょう」


野獣「イクゾーーーーー!!!」


三浦「ダイナモ感覚☆ダイナモ感覚☆」


遠野「YO! YO! YO! YEAH!」」

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